91~100番」カテゴリーアーカイブ

100番 締めは順徳院 「百々しきや」

さて2015.4.2天智帝の1番歌から始まった百人一首「談話室」、丁度2年を経て100番歌に到達です。大トリは後鳥羽院の子で承久の乱で後鳥羽院に連座して佐渡の地で果てた順徳院。高らかにフィナーレを飾っていただきましょう。 … 続きを読む

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99番 承久の乱で隠岐へ 後鳥羽院 人もをし人もうらめし

さてラス前、当然大物の登場です。天智・持統帝から始まった天皇&藤原氏による治世も承久の乱を以て終りをつげ、武家筆頭による政権へと移行する(中世の始まり)。その立役者が後鳥羽院。「和歌を通じて日本の文化的統合を狙った意欲的 … 続きを読む

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98番 定家と並ぶ双璧 家隆 風そよぐ

いよいよラストスリー(上がり3ホール)となりました。定家が明月記に「1天智天皇以来、98家隆・94雅経に及ぶ」と書いた家隆。百人一首撰定時(1235)定家と並び双璧だった家隆(家隆が4才上)。百人一首の配列からもその歌人 … 続きを読む

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97番 百人一首の産みの親 藤原定家 来ぬ人を

さて、いよいよ百人一首の産みの親(&源氏物語の育ての親)定家卿のお出ましであります。この談話室、百人一首を1番から人物像を中心に語り合って来たわけですが、それはとりもなおさず撰者の定家について論議してきたとも言えましょう … 続きを読む

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96番 承久の乱後の権門 西園寺公経 花さそふ

今につながる西園寺家の始祖とされる公経。承久の乱またぎで一歩抜け出し後鳥羽院失脚後、京朝廷での第一人者となる。豪奢を極めた西園寺(今の金閣寺の所)を建て権勢を誇った公経、どんな人だったのでしょう。  91九条家の  良経 … 続きを読む

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95番 公武合体推進論者 大僧正慈円 おほけなく 

権門生まれの大僧正慈円。現実的に世相を眺め朝廷を重んじつつ武家の世を受け入れ公武合体を説いた。こういう物分りがよく徳のある人がいたから頼朝も王朝転覆は考えなかったのではないか。偉い人だと思います。 95.おほけなくうき世 … 続きを読む

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94番 歌鞠両道の達人 飛鳥井雅経 衣うつなり

京生まれの鎌倉育ち、鎌倉幕府創成期に京と鎌倉の橋渡し役となった飛鳥井雅経。蹴鞠(スポーツ)と和歌(文芸)の上手。ゴルフ・テニスと古典・俳句・カラオケを愛する爺にはお手本みたいな人。どんな風に文武両立してたのでしょうか。見 … 続きを読む

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93番 三代将軍にして天才詩人 実朝 綱手かなしも

源実朝、昔から「大海の」の歌、大好きです。東映映画のタイトルシーン、よくぞ豪快にこんな歌詠めたものだと感心します。そんな実朝、武家のならいとは言え28才にして暗殺さる。どんな一生だったのでしょうか。 93.世の中は常にも … 続きを読む

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92番 沖の石の讃岐 キテレツな題詠に臨む わが袖は

源三位頼政の娘として名高い二条院讃岐。父の一生をバックとしつつ考えてみましょう。 92.わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし 訳詩:    わたしの袖は そうです あの沖の石です        潮がひいて … 続きを読む

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91番 九条家の才人貴公子 良経 ひとりかも寝む

いよいよ終盤、時代的には13世紀鎌倉歌人の歌へと入っていきます。91良経は76忠通の孫、兼実の息子、95慈円の甥にあたります。権門の摂政関白家にして和歌・漢学に秀でた優秀一族の人模様。見て行きましょう。 【本文は「百人一 … 続きを読む

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