59番 代作オバサン 赤染衛門 やすらはで寝なましものを

ちょっと入れ込み過ぎだった紫式部母娘から離れて大分先輩格にあたる赤染衛門の登場です。しっかり道長の摂関政治をみつめて生きた女性のように思います。

59.やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな

訳詩:    こんなことと知っていましたら
       ためらわず寝てしまえばよかったのに
       夜がふけて 人の気も知らぬげな月が
       西山にかたぶくまで眺め明かしたことでした
       あなたをじっとお待ちしながら

作者:赤染衛門 生没年未詳 1041年80余才で生存 父は?(二説あり) 中宮彰子の女房
出典:後拾遺集 恋二680
詞書:「中関白、少将に侍りける時、はらからなる人に物いひわたり侍りけり、たのめて来ざりけるつとめて、女にかはりてよめる」

①赤染衛門 生没は956-1041 86才と考えましょうか。女性の長寿は少ないとどこかで書きましたがこの人も長寿でしたね。
・父は赤染時用(受領階級)か40平兼盛か? 母は出自不詳
 (赤染氏は中国からの渡来系氏族、あまり聞かない)
 この母は兼盛の妻であったが妊娠したまま兼盛と離婚し赤染時用と結婚した。
 生まれた娘は時用の娘とされたが兼盛が自分の子だと裁判を起したが敗訴。
 
 →正に民法改正で話題になっている女性の再婚禁止期間に関わるお話。
 →裁判で時用は「私はずっと前から兼盛妻と不倫してました。私の子どもに違いありません」と主張してこれが通ったとのこと。何ともけったいな話。
 →兼盛は「何を言うかオレの妻だ、オレも子づくりに励んでた」と言い返せなかったのか。
  
「忍ぶれど、、」なんてつぶやいているから寝取られてしまう。情けないぞ兼盛。
 →この話からは赤染衛門の父は「分からない」。母に聞いても「分からない」と言うのかも。

・赤染衛門、大江家の学者大江匡衡(まさひら)の妻となる。
 大江匡衡、文章博士、一条朝を学問方面で支えた、和泉式部の父大江雅致との関係は不詳
 
・赤染衛門、源倫子(道長の正室)の女房→娘彰子の女房
 衛門は倫子の12才上、道長の10才上、彰子の32才上
 →年上のしっかり女房として道長一家を支えた良妻賢母型才媛であったのだろう。
 →何となく花散里を思わせる。

・紫式部日記  
 丹波の守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衡衛門とぞ言ひはべる。ことにやんごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。
 →和泉式部について一言言った後に続く。やはり先輩をたてて敬意を表している。
 →この後に清少納言へのコテンパン評伝が続く。

匡衡衛門とぞ言ひはべる
 女房名は夫の名前で呼ばれていた。これは珍しい。オシドリ夫婦だったとも。
 →「ウチのマサヒラったらねぇ、、、」なんてのろけてたんだろうか。

②歌人としての赤染衛門
・拾遺集以下93首入撰 和泉式部と並び称される歌人であった。
 私家集「赤染衛門集」 歌合せ出詠 歌人たちとの交流も多数。

・56番歌の所で指摘があった和泉式部(夫の親族)との歌の交流
  和泉式部、道貞に忘られて後、ほどなく敦道親王にかよふと聞きて、つかはしける
  うつろはでしばし信太しのだの森を見よかへりもぞする葛のうら風
(新古今集)

・59番歌がそうだが代作を快く引き受けた。「代作オバサン」として敬愛されたか。
  右大将道綱久しく音せで、「など恨みぬぞ」と言ひ侍りければ、むすめに代りて
  恨むとも今は見えじと思ふこそせめて辛さのあまりなりけれ
(後拾遺集)
  →これも娘の代作。相手はあの53蜻蛉の君の御曹司道綱である。

・息子の大江挙周が重病の際、住吉大社に治癒祈願で奉納した歌
  代わらむと祈る命は惜しからでさても別れんことぞ悲しき
  →子を思う母親の情!

・最晩年1041 曾孫73大江匡房(「高砂の」)誕生! 
  匡房朝臣うまれて侍りけるに、産衣縫はせてつかはすとてよめる
  雲のうへにのぼらむまでも見てしがな鶴の毛ごろも年ふとならば
(後拾遺集)
  →自分で縫った産着、ひいお祖母ちゃんよほど嬉しかったのだろう。

・紫式部、清少納言、和泉式部はさておき他に交遊があったとされる人 列挙のみ。
 61伊勢大輔、65相模、64定頼、62道雅ら

③59番歌 やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな
・姉妹に代っての代作 相手は中関白道隆(儀同三司母=貴子の夫)
 正に貴子が伊周、定子を生んでた時期。道隆は衛門姉妹の所に通っていた。
 →妻が妊娠出産時に不倫してドツカレタ議員さんいましたね。

・「たのめて来ざりける
 女は一晩中、月を眺めて一人じっと待っていた。
 →これはマズイ。約束は守らなくっちゃ。

・来ざるを嘆く歌だが53番歌「嘆きつつ」の激しさとは違い、穏やかで情感を込めて女のいじらしさを訴えた歌、、、とされる。
 →そんな調子だから男はつけあがる。末摘花じゃあるまいし、もちょっと怒った方がいいのでは。

・21番歌の類想歌との指摘も
 今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな(素性法師)
 →この歌も素性が女性になり代わって詠んだ歌だった。身代わり歌だとこんな調子になるのだろうか。

・定家の派生歌
 やすらはで寝なまし月に我なれて心づからの露の明ぼの(藤原定家)

④源氏物語との関連
・約束して来ない男、じっと待つ女。
 それと三日の夜は約束と言うより必ず行かねばならなかった。
 →あまりないように思うが手紙事件で小野の落葉宮の所へ行けなかった夕霧、三日間とにかく無理に宇治の中の君の所に通った匂宮、、くらいでしょうか。

・赤染衛門作と言われる「栄花物語」について考察しておきましょう。
 栄花物語 別名世継 平安時代の歴史物語 編年体物語風史書 当時の現代文たる仮名書
  全巻40巻 凡そ890-1090 200年間をカバー
  正編30巻 宇多帝治世~道長の死まで この部分が赤染衛門の作とされる。
        当然道長の繁栄を愛でる物語となっている。
  続編10巻 道長死後~堀河帝(白河帝の子)まで

 各巻に源氏物語に倣ってか和名がつけられている。
  月の宴 見果てぬ夢 はつ花 つぼみ花 御賀 殿上花見 根合 松の下枝 等々

 →栄花物語 上中下 岩波文庫版あるのですが細かく現代語訳も語釈もないので容易に読めません。
 →作者は赤染衛門かどうか確定はできないらしい。平安中期の女房であったことは確かとのことなので、長く倫子~道長~彰子に仕えた学者を夫とする才女である赤染衛門で間違いないでしょう。全くのフィクションである源氏物語を意識しながら歴史物語として栄花物語を書いたのでしょう。

「日本文学史」小西甚一の「栄花物語」評
 同じ時期に書かれた大鏡が史書であり批判意識は道長の摂関政治の功罪を描き出し文藝的効果を挙げえたとした上で、

 「これに対して、『栄花物語』は、貴族社会に身をおく人が、失われた栄光への郷愁として、摂関政治の昔を詠嘆する哀歌である。しかし、文藝精神の稀薄は、哀歌を哀歌たらしめず、退屈な史実の羅列に終わらせている」

 →それはそれで価値は高いと思うのですがいかがでしょう。

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16 Responses to 59番 代作オバサン 赤染衛門 やすらはで寝なましものを

  1. 小町姐 のコメント:

    夫を支え子を守り良妻賢母の誉れ高き才媛。
    良妻賢母からは程遠い不良婆さん、小町姐からすれば女の鑑とも言えそうである。
    藤原公任から辞表の代作を頼まれた夫に助言をし内助の功を発揮したり母として長男の出世の遅れを嘆いた歌が道長の胸をうち和泉の守に任ぜられたという。
    また病で愛息が危篤の時も住吉明神に歌を奉納するとたちまちに神威が発動し病が平癒したらしい。逸話、エピソードに事欠かない。
    和泉式部と並び称された王朝屈指の女流歌人。
    紫式部は他の女流歌人に対して厳しい評価をしているが赤染衛門に対しては素直に褒めている。
    実父は40番 「忍ぶれど」で知られる兼盛とされている。
    しかし事実はわからない、本人同士でもわからないのだからましてや?である。
    もし兼盛の娘であればその歌才はうなずける。
    代作の名手であったらしくこの59番も待ちぼうけを喰わされた妹に代わって翌朝贈った歌という。
      やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな
    本人になり変わり待ち疲れた怨みを妹の事ながらうまく感情移入しているのは恐らく本人にもそのような経験があったのではないだろうか?
    さりげなくやさしくは詠んでいるがこの歌からは強烈な個性は感じられないしインパクトに欠けるように思えるのは私だけであろうか。
    私なら月を見るまでもなくとっくに寝入っているかもしれない。
    こんな歌もありましたね。
      待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな

    道長父子の栄達を必然の歴史と捉えた「栄華物語」正編の作者は赤染衛門とされている。
    主家筋にあたる摂関家に対しても文才で恩義に報いたとは小林一彦氏の言である。
    百々爺さんの解説から栄華物語全巻40巻(正編30巻 続編10巻)と知りこれはとても読む気がしなくなりました。
    最近長編を読む根気がなくなりつつあります。

    • 百々爺 のコメント:

      何が不良婆さんなものですか。その溌剌とした姿こそご家族にとってかけがえのないものでしょうよ。

      ・「女性は良妻賢母たるべきか」、正に「あさが来た」のテーマですね。男と違って女性にはお産~授乳~子育てというお役目がある。それでもしっかりと教育を受けて子どもからも夫からも頼りになるお母さんになる。同時に社会への参加もはたしていく。人により方法や程度はあるでしょうが、そういうオープンな社会こそ望ましいと思っています。もう既にそんな時代なんでしょう。女性は強いですよ。

      ・紹介いただいたエピソードからも赤染衛門の「頼りになるお母さん」振りが分かりますね。女性として地に足がついてる感じがします。夫大江匡衡との仲も余程睦まじかったのでしょう。内では「ねぇ、マサヒラさんっ」って甘え、外では「ウチのマサヒラったらねぇ」とのろけていたのでしょうか。衛門は二夫にまみえた母を反面教師として匡平との愛を貫いたのだと思います。

      ・59番歌については確かにピリッとしたものが感じられませんね。でもこれも事をつきつめ鋭く問いつめるのでなく、ふんわり大きく包み込む母性本能に根ざした寛容の歌かもしれません。こんなのもらったら男は「ごめん、悪かった」と反省するしかないでしょう。

      ・エベレストたる大長編源氏物語を征服したのですから、後はチラチラ見下ろしておればいいのですよ。気楽にいきましょう。

  2. 百合局 のコメント:

    私が読んでいるのは「栄花物語新註 河北騰著 笠間書院」ですが、解説、頭注があって、読みやすいと思います。
    枕草子、源氏物語、大鏡などの記述と比べ合わせて読むのは面白いです。
    中関白家の悲運を扱った「浦々の別れ」のところなど私は大いに哀れを感じました。
    栄花物語の記述の中で、財産の譲渡や家屋の伝領、所領権の意識、贈賄などの問題、貴族たちの異常な権勢欲とそれに寄せる作者の批判の心情、結婚をめぐる人々の駆け引きと関係者の心の機微についてなどを読むと文筆だけでなく様々の能力のある頼もしいしっかり者の女性像が浮かび上がってきます。おそらく赤染衛門作でしょう。

    この59番歌にかんして安東次男は次のように述べています。
    「親身の情があふれていて、作者もそのころ同じ心境にある恋をしていたか、それとも代わりに詠んでやった姉妹あるいは馬内侍に対する作者の情愛が並々でなかった、と解すべきか。いずれにしてもこの代作の娘心は面白い。男の気休めの言葉を恨みながらも、男のことなど忘れようとしている。下弦ごろの西山の端に沈みかける月に向って、精一杯感情を移している女心のうたである」

    謡曲『春栄』にある「散らぬ前にと尋ね行く 散らぬ前にと尋ね行く 花をや風の誘ふらん」は玉葉集264赤染衛門の「花をこそ散らぬさきにと尋ねつれ雪をわけてもかへりぬるかな」や新千載集の「古の春のかたみにながめつる花をいづこの風さそふらん」に基づいています。

    謡曲『丹後物狂』にある「思ふことなくてや見まし与謝の海の天の橋立都なりせば」は、千載集504旅 赤染衛門の「 丹後国にまかりける時よめる  おもふことなくてそみましよさの海のあまのはしたて都なりせば」を引用しています。

    謡曲『三輪』にある「この草庵を立ち出でて 行けば程なく三輪の里 近きあたりか山陰の 松はしるしもなかりけり」は赤染衛門の「わがやどの松はしるしもなかりけり杉むらならば尋ね来なまし」によっています。 

    「今昔物語 四 第二十四の 大江匡衡妻赤染、読和歌語第五十一」は赤染衛門が愛児の病に、任官に、また夫の浮気に、度毎に歌を詠じて、霊験を得た話です。
    以下、その時々の三首

      カハラムトオモフ命ハオシカラデサテモワカレムホドゾカナシキ

      オモヘキミカシラノ雪ヲウチハラヒキエヌサキニトイソグ心ヲ

      ワガヤドノ松ハシルシモナカリケリスギムラナラバタヅネキナマシ

     赤染衛門集では言葉の使い方や設定が少し異なっています。

    赤染衛門は才能を生かし、手づるを生かし、時には官途を求めての渉外的手腕も発揮した、夫にも子供にも仲間にも大いに頼りにされた存在であったようです。

     

    • 百々爺 のコメント:

      ・栄花物語の紹介ありがとうございます。源氏を読むとき事典的に使うと役立ちそうですね。百人一首にはちょっと遅いかもしれませんが中古本、注文しました。

      ・安藤次男が言うといちいち説得力がありますね。詠み手の心は読み手に考えさせるべきもの。この辺が文藝としての和歌(勿論俳句も)の醍醐味なんでしょうね。でも安藤次男先生みたいに読み解いてくれる相手は少ないのかもしれませんが。

      ・そうですか、マサヒラさんも浮気してましたか。浮気止めの歌を奉納し霊験を頼まれてはマサヒラさん、観念したのでしょうね。面白いです。

  3. 浜寺八麻呂 のコメント:

    日経新聞夕刊の映画紹介欄に、めったに出ない五つ星の評価が出ており、家内も以前から見たいと思っていたというので、今朝9時半から、性同一障害を扱った”リリーのすべて”という映画を見てきました。いろんな人性があるのだと演技もうまく興味深く見てきました。聴いている大学の講義が2月、3月と長期休講なので、この一ヶ月で、”オデッセイ” 火星に一人取り残された男の話で結構面白い、と”マネー ショート”というリーマンショックの時の逆張りで儲けた金融界の話、これは面白くない と3本映画館で映画を見ました。
    このほか、シンガポールへの行き帰りの機内で数本(これは一ヶ月以上前)、さらにBS番組をHDDで録画した映画も2-3本見ました。

    さて、赤染衛門、超大物女性歌人が続いた後での登場のためか、いまいち感情移入が難しいのですが、千人万首から、好きな歌を2首

    踏めば惜し踏まではゆかん方もなし 心づくしの山桜かな (千載83)

    いかに寝てみえしなるらむ うたたねの夢より後はものをこそ思え (新古今 1380)

    爺が書いてくれた

    和泉式部、道貞に忘られて後、ほどなく敦道親王にかよふと聞きて、つかはしける
      うつろはでしばし信太しのだの森を見よかへりもぞする葛のうら風
    (新古今集)

    この返しが

    秋風はすごく吹くとも葛の葉のうらみがほには見えじとぞ思う

    和泉式部の歌も面白い。

    爺はこどもを詠った歌も上で引用してくれたが、最後に夫を思い歌った歌

    司召にもれてむつかしく思ふに 桜の花を見て
    思ふこと春とも身には思はぬに 時知りがほに咲ける花かな

    • 百々爺 のコメント:

      そうですか、大学は受験で在校生の講義どころではないのでしょうね。そんなんでいいのかなぁとも思いますが。。代ってシネマ爺ですか、いいじゃないですか。大いに楽しんでください。

      ・大物歌人が続いた後での登場ですか、なるほどそうですねぇ。
       そのインパクト、大物度を源氏物語の女君たちに例えてみると、
        53番 道綱母 - 六条御息所
        54番 儀同三司母 - 明石の君
        56番 和泉式部 - 朧月夜
        57番 紫式部 - 紫の上
        58番 大弐三位 - 女三の宮
       そして、
        59番 赤染衛門は花散里か空蝉か、、くらいでしょうか。

       まだ後に3人続きますが(65相模を入れると4人)この順番のつけかた難しかったと思いますよ。私が監督なら9人の打順、もうちょっと考えたいところです。

      ・栄転の異動通知を期待していたが来たのは「サクラチル」。落胆するマサヒラ。妻の歌を見て「オレのこと思ってくれてるんだなあ」と慰められたことでしょう。 

  4. 源智平朝臣 のコメント:

    赤染衛門って、女性とは想像し難い名前ですね。子供の頃はてっきり男性とばかり思っていました。今回初めて赤染衛門がどんな人物か勉強しましたが、一流の歌人にとどまらず、頭が良くて気配りにたけ、全方面外交で、世渡りの機微も心得たキャリアウーマン&良妻賢母ですね。にもかかわらず、気取らないオバサンだったというのは好感が持てます。

    「やまと心」という言葉を初めて歌で使ったのは赤染衛門とのことなので、ネット情報を参考に「やまと心」と「やまと心を詠った歌」についてまとめてみました。

    後拾遺集には、匡衡・衛門夫妻による次の贈答歌が収録されています(目崎p247参照)。
    乳母(めのと)せんとてまで来たりける女の、乳(ち)の細く侍りければ、詠み侍りける。
    大江匡衡朝臣 はかなくも思ひけるかなち(乳・智)もなくて 博士の家のめのとせんとは
    返し赤染衛門 さもあらばあれやまと心しかしこくば 細乳(ほそち)につけてあらすばかりぞ」

    贈答歌は匡衡が乳があまり出ない女を乳母にしようとする衛門をからかったのに対し、衛門が「やまと心」さえ賢いなら乳が細くても問題ではないのですと答えたもので、「やまと心」という言葉が歌で使われたのはこれが最初のようです。この「やまと心」は「ものを判断する能力」、平たく言えば「生活の知恵」の意味です。「やまと心」という言葉は平安時代に「漢才」に対するものとして使われ始めました。漢学博士の匡衡からは衛門の返しに一言もなかったようです。

    源氏物語の乙女の巻では、光源氏が息子の夕霧を大学寮に入れて漢学を学ばせる理由として「才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ(才=学問という基礎があってこそ、実務の能力が世間に重んじられることも確実でしょう)」と言っている。この「大和魂」は「やまと心」と同義で、漢学で得た基本的諸原理をわが国の実情に合うよう臨機に応用する知恵才覚のことです。

    後世、大和心や大和魂が用いられた有名な歌として、次のような歌があります。
    本居宣長(1730-1801)
      敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花
    吉田松陰(1830-1859)
      かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂
      身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
    明治天皇(1852-1912)
      しきしまの大和心のををしさは ことある時ぞあらわれにける

    大和心や大和魂と言うとちょっときな臭い気がしますが、一般的には日本人の心や魂のことで、他国との関わりにおいて、日本人が何かを感じたり、決めたりする時の心や魂のあり方と定義されます。このあり方は戦時では吉田松陰や明治天皇の歌のように「国のために勇ましい気概を発揮し、生命を燃やす」というきな臭い傾向が強くなる一方で、平時には本居宣長の歌のように「雅を愛でたり、わびやさびを好む」という優雅で繊細な傾向が強くなります。智平は、平和憲法の下、いつまでも後者の世であってほしいと願っています。

    59番歌については可もなし不可もなしというのが智平の率直な感じです。最後に、ネットで見つけた59番歌関連話を紹介したいと思います。
    夏目漱石が英語教師をしていた時、生徒が“I love you”を「我君を愛す」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったとされる。では、これに対して何と返すのが良いのでしょうか。正解は59番歌を参考にして、「傾く前に会えてよかった」答えることです。お粗末でした。

    • 百々爺 のコメント:

      長文のコメントありがとうございます。いつもながら目のつけどころがいいですねぇ。

      ・「赤染衛門」、どう考えても男の名前ですよね。昔中国との法律交流で中国から二人を招へいし成田に迎えに行ったことがあります。二人は「龍」とか「烈」とかの名前だったのでてっきり男だと思ってたのですが、二人とも女性。びっくりぽんで出迎えてもしばらく言葉が出てこなかったこと思い出します。「赤染衛門」もちょっと気の毒、「匡平愛妻」とでも呼んであげればいいいのに。

      ・「やまと心」を詠んだのは赤染衛門が初めてなんですか。それはすごい。乳の細い乳母をめぐる夫匡平との歌の応酬、面白いですね。私も全く衛門に賛成、乳よりも「やまと心」の方が大事だと思います。「智」も「やまと心」の一部だと思いますけどね。
       →「やまと」は「唐(から)」に対する言葉。匡平に対して「あなた、「唐」ばっかじゃダメなんですよ」とのメッセージもあったのかも。

      ・「大和魂」、私も源氏物語少女2でこの言葉が出て来たのにはびっくりしました。夕霧を六位からスタートさせようとする源氏に大宮ばあちゃんが猛反対する。それへの説得の場面でした。説明いただいたように唐から輸入された学問を日本流に応用すること、これこそ当時一番大事だったのだと思います。

      ・並べていただいた「やまと心」「やまと魂」の歌。覚えておきましょう。宣長先生の歌など先生の意に全く相違して軍艦の名前やらタバコの名前やらに使われてますが真意はそこにあらず。私も平和主義、「やまと心」こそ大切にしたいと思っています。

      ・「I love you」を翻訳する話、実は私も源氏物語で「やまと言葉」のこと話そうと調べていて、昨日ネットで読みました。私たちの話している現代語は「やまと言葉」+「翻訳語、特に明治維新」+「カタカナの外来語」だと思うのですが、明治維新に作られた翻訳語は実に多い。societyは「社会」だしnatureは「自然」。漢字を使ってうまく翻訳できたものだと思います。そんな中で「I love you」の話。漱石は「月が綺麗ですね」、二葉亭四迷は困りぬいて「死んでもいい」と訳したとか。ことほど左様に外来の概念を日本語に訳すのには苦労があったものと思います。それもこれも「やまと心」「やまと魂」を大切にするからであります。

  5. 文屋多寡秀 のコメント:

    伊勢路は只今サミット一色であります。従いまして鳥羽に向かう道路は至る所工事中であります。そんな中、先週、ゴルフコンペを兼ねて帰省しました。
     紫陽花会はピーカンの御天気でしたが、「天気良ければスコア良し」とは行かず、毎度の除夜の鐘たたきでありました。優勝はH君。ゴルフ場でのアルバイトの暇を見てラウンドしたり、プロの指導を受けたり、ゴルフ三昧の生活を送ってるようで、飽くなき向上心は見上げたものです。
     年2回の開催ですが、3回にしようとか、7月の古希同窓会の翌日コンペをしようとか話は盛り上がりました。4月末頃には案内状が届く予定とのこと。古希同窓会は還暦を上回る200名程の参加予定とか。

    源智平朝臣殿の「大和魂、やまと心」の分析、毎度のことながら格調高く素晴らしいですね。ここは吉田松陰でなく本居宣長で行きたいものです。次回の帰省では宣長記念館、斎王博物館等も訪ねてみたいですね。

    さて59番歌 
     やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな

    赤染衛門 何といかめしい名前なことか。
    「どうせ男は来ないんだから、ぐずぐずしないで、寝てしまえばよかったのに、起きていたものだから、夜はどんどん更けて西へ傾く月を見てしまいましたよ。」ですね。

    わかりますね。この状況は。この心境は。往時は、男が訪ねてくるのを待つ、というのが恋愛の基本であったから、女性としては、男が来れば自分の魅力を訴える、来なければ来たくなるような巧みな、手を打つこと、それがもてるこつ、生活の重要条件であった。
     赤染衛門の妹は
    「ねえ、私、困っちゃたの。彼、来ないのよ。どうしたらいいの」
     姉が答えて、
    「怒っちゃ駄目。恨みっぽいのも駄目よ。さりげなく男ごころをくすぐるのがいいのよ。わたしが創ってあ・げ・るゥ~」くらいのやり取りだったろうか。滝川クリステルばりにね。

    さりげなく女ごころを訴えているところが名歌のゆえん。やきもちは狐色にやくのがよく、恨み節もほどほどに、さりげなさが漂うのがよろしいようで。と、彼のお方はのたまわっておられます。はい。

    • 百々爺 のコメント:

      ・ふるさとレポートありがとうございます。ご当地県、注目を浴びてますね。アダムス方式で一人減らされるようですしね。サミット恙なく終えられますように。七夕の出会い、楽しみにしています。

      ・「待つ女に待たせる男」、当時はそれが恋愛の基本だったのかもしれませんが、やはりこの構図はよくありませんね。国連の委員会ならずとも許しがたいところであります。とは言うものの、「郷に入っては郷に従え」「男に政策あれば女に対策あり」。女性はそんなこと百も承知であの手この手で男を籠絡していたのでしょう。そうです、女性はしたたか、私なんぞが心配することもないのでしょう。

  6. 枇杷の実 のコメント:

    アイラブユーの話はおもしろい。漱石、二葉亭四迷もその翻訳に苦労したんですか。
    外国語を翻訳する場合、感じ方の差があって、そこを適切に理解できないため、さっぱり要領を得ないことが起こる。古文もある点で外国語のようなもので、むかしの人が、どんな「考え方」をし、どんな「感じ方」をしたかについて知ることは古文の理解を深めてくれる。(小西甚一)
    昔の人の考え方・感じ方では、歌に詠む場合のテーマは「恋は苦しい」ものとなる。
      我れゆ生まれむ人は我がごとく恋する道にあひこすなゆめ(柿本人麻呂)
      恋しきに命をかふるものならば死にはやすくぞあるべかりける(古今集・恋一)
      思いわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり(#82 道因)
    「恋は楽し」なんていう歌は殆どないらしい。実際は歓喜に満ちた楽しい恋はいくらでもあったはずだが、ウエットな感じ方に価値を認められていた時代では喜・怒・楽ではなく、哀に「あわれ」を意識していた。
    当世のミレニアル世代はデジタルネイティブとも言われ、恋・思いを絵文字一つで喜怒哀楽をストレートに表現する。ひとつ前のミレニアム世代には、いわば仮名文字ネイティブが登場し、女流文藝の全盛を迎える。その第一線に立つ作品、「源氏物語」では「泣く」「涙」がキーノート。泣くことは品の良いしぐさだが、笑は卑俗だと意識されていた。陽気なもの、愉快なもの、ドライなものはあまり価値がないと考えられていた、とは甚一先生。
      やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな
    逢いに来てくれなかった男への恨み節になるところを、敢えて感情を爆発させない、逆にに余情がしみじみと伝わってくる仕掛けになって、まさにイイ女の詠みっぷりだとか。

    • 百々爺 のコメント:

      ・源氏物語を読んでいて或いは百人一首の歌を読んでいて原文を現代語に直すことに何となく違和感を感じます。現代語にしようとすればするほど原意から遠ざかってしまうような。やはり原文そのもので味わうのがいいと思います(勿論現代語訳はありがたいし大事ではありますが)。

       と言うことは昔の人になりきらなければ昔の文藝は読み切れないということでしょうか。逆に作品になれば作者の手を離れて読者の解釈に委ねられるわけで、源氏物語や百人一首といった第一級の文藝作品は時代に応じ人々に新しい解釈を施され生き続けていくという面もあるかと思います。

      ・歌詠みのテーマに関する小西甚一先生の見解、ご紹介ありがとうございます。納得です。恋歌における「哀れ」、源氏物語における「泣く」「涙」こそが甚一先生の謂われる「雅」であったということですね。
       
       →そうなると何ごとも「楽しく・陽気で・愉快であるべき」という現代の価値観とは大分違っている。
       →でも当時も文藝(建前)は「雅」が尊ばれたのかもしれないが実生活(本音)では案外笑いや率直さ(「俗」)が大事だったのではないでしょうか。

  7. 小町姐 のコメント:

    【余談24】 
    先日一日中映画館に入り浸った日のことは【余談23】に詳しい。
    実はもう一本見たい映画があったが夕食の支度があり、やむを得ず帰宅した次第。
    今日はその見残した映画を見るために書道塾を終えて映画館に直行。
    Subwayで簡単なランチをする。(200円の映画割引券がゲットできる)
    「東京物語」(小津安二郎)を見たのは今月初めのこと、その後テレビ番組で「東京家族」という映画を見つけた。
    えっ!!これって東京物語と関係ある?
    録画したのを見るとすでに何年か前に映画館で見た映画なのである。
    しばらくそのまま見ていたら例の「東京物語」と家族構成、俳優に違いはあるけど何とセリフまで全くそのまま。
    舞台を現在の東京に置いた山田監督の平成版東京物語(東京家族)だったのである。
    すでに見たことに気付かなかった自分が悔しい。(歳とったな~)
    鑑賞済みの映画を(あえて二度、三度見ることはあっても)劇場でうっかり二度見ることは今の所ないのだが最近タイトルを見ただけでは瞬間に判断がつかなくなった私。
    たとえば昔の洋画に詳しい連れ合いにタイトルを告げてどんな内容かを確認することが多くなっている。
    以前は手帳に読んだ本、見た映画は記録していたのが最近は面倒臭くなった事もある。
    読んだ本を忘れて二度借りして数行読んで気付くことも増えつつある。
    そんなこんなで今日の映画は「東京家族」の続編ではないが八人の俳優陣は全く同じメンバーの「家族はつらいよ」。 「男はつらいよ」シリーズから20年が経つ。
    劇場は中高年のオバさんでほとんど埋め尽くされて笑いの渦。
    笑いとペーソスに包まれ身につまされるのである。
    夫婦を演じる橋爪功と吉行和子が良い味を出している。
    特に橋爪が親戚の叔父(二言目にはうるさい!!と怒鳴る)にそっくりで笑ってしまった。
    家族とは、夫婦とは?山田洋二監督ならでは世界である。

    • 百々爺 のコメント:

      シネマ姐、けっこうですね。ドンドン見るドンドン忘れるでいいじゃないですか。初めて見る新鮮なジャンルもいいでしょうが、リメイクとかシリーズものとかマンネリとも思われるものも安心して世界に入って行けていいと思います。山田洋二監督と言うだけでもうそのワールドに入ってしまいますもんね。
       →昨日「ちはやふる」見てきました。千早、美人ですねぇ。好きになりました。大会の様子を見て何よりも一番大事なのは集中力だろうと思いました。終了と同時に爆睡する姿に感激しました。

  8. 文屋多寡秀 のコメント:

    百々爺の「エベレストたる大長編源氏物語を征服したのですから、後はチラチラ見下ろしておればいいのですよ。気楽にいきましょう」なあ~んてセリフがありましたね。

    多寡秀はどんな映画を見てきたかといいますと、「家族はつらいよ」「ちはやふる」の人気2作をやり過ごし、「エヴェレスト 神々の山嶺」の部屋へ。夢枕獏のベストセラー作品ですが、まさか映画化されるとは思っても見ませんでした。やはり5,000m超地点での映像は迫力満点でしたね。前半のスローな展開は小説のリテール・心理面の描写ですが、こちらは起承転結の起承部分でしょうか、やや抑え気味でしたね。転から結へは平山監督の独壇場。圧巻ですね。イル・ディーボの歌う「よろこびのシンフォニー」がフィナーレを一層盛り上げてくれました。まさに総合芸術の成果でしょうか。

    こんなハードな世界は未体験ゾーンですが、せめて今夏は阿蘇・久住のミヤマキリシマの世界にもう一度挑戦したいと思っております。

    • 百々爺 のコメント:

      そりゃあ生まれた時から山と渓谷をこよなく愛してきた多寡秀どの、何をおいてもエベレストでしょうね。鑑賞記ありがとうございます。見てみたいと思っています。

      これって夢枕先生なんですか。先生、さすが未体験ゾーンを苦もなく描かれるのですね。先生が「源氏物語を全部は読んでません」と正直におっしゃって書かれた「秘帖・源氏物語」なるもの読んでみましたが残念ながら起承の部分で止めてしまいました。やはり転結まで行かねばいけないんでしょうね。

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