全くプライベートな書き込みですみません。
昨日無事生まれました。予定日より約2週間早くでも3000g超で元気に出てきました。やっと名前も決めたとかで前日前祝いの祝杯をあげたら翌朝催し昼過ぎに生まれました。あわただしくてびっくりしましたが無事に済んでホッとし昨夜はまた祝杯をあげました。いよいよ育爺稼業も第二ステージに入ります。新生児の湯浴みも爺のジョブになっています。
これで7人になりましたが全て無痛分娩(麻酔をかけての分娩)です。最初の4人は長男・長女ともアメリカ駐在の時だったので自然と(ごく普通に)無痛分娩になったのですがやはり自然分娩と比べ圧倒的に楽なようです。5人目以降は日本での出産でしたが無痛分娩にしました。何せ痛みがないので出産時産婦の消耗度が格段に違うようです。アメリカでは午前出産なら当日、午後出産なら翌日退院も可とのことです。日本ではさすがに3~4泊のようですが翌日以降は子育てに入る前のしばしのリフレッシュ休暇的感覚で過しているようです。必死に体力回復に努めねばならない自然分娩とは違うように感じます。
日本では自然分娩が普通で無痛分娩の産院は少ない、需要と供給の関係なのでしょう。日本人の意識として分娩は自然でやるべき、麻酔は怖い、分娩の痛みに耐えてこそ一人前の母親になれる、、、というのがあるのでしょう。爺としては分娩への恐怖の軽減、出産時の体力消耗を考えると絶対に無痛分娩がお勧めです。だって帝王切開は勿論、歯を抜く時だって麻酔なしではやらないじゃないですか。無痛分娩には麻酔医の常駐など問題点もあるのでしょうが是非考えて欲しいと思います。少子化対策、子育て支援の一つとして無痛分娩の勧めを書かせていただきました。
→百人一首とは全く関係ない話で、ごめんなさい。
→子を詠んだ歌としては小町姐さんから先日紹介いただいた藤原兼輔の
人の親の心は闇にあらねども子を思う道に惑いぬるかな
が有名ですが、王朝和歌で孫を詠んだ歌は思いつきません(調べてもいませんが)。孫との交流などあまりなかったのかもしれません。
百々爺、おめでとうございます。
無事生まれて良かったね!
しっかりと育爺しごとに励んでください。楽しんでね。
出かける前にパソコン開いたら、この書き込みが目に飛び込んできました。
今日もなんだか良い一日になりそうな気分です。
百々爺さん、7人目のお孫さん無事誕生おめでとうございます。
三重で両親の法事(父三回忌と母満中陰)を終え今帰りました所、嬉しいお知らせ。
忙しくなりそうですね。余裕で育爺楽しんでください。
振り返れば生死の境をさまよい輸血まで経験した者にとっては羨ましい無痛分娩です。
当時選択肢がもっとあれば私も当然考えたでしょう。
育児環境やストレスなど多い産婦にとって負担の少ない出産の選択肢が用意されていればと願ってやみません。
お名前教えてね。そして時々育爺日記を発信して下さい。
百々爺どの、お孫さんの無事誕生、誠におめでとうございます。少子化が進む中、7人目のお孫さんとは頼もしい限りです。
無痛分娩ですか。小生もアメリカに計5年間住んで、アメリカは合理的と考えられることは何でも取り入れていく前向きの社会だと感心しました。変化を受け入れる勇気があるのですね。
これに対して、日本の社会は変化に臆病で、凄く保守的。国民背番号制、結果を出す英語教育、女性の政治やビジネスへの進出を促すためのクォーター制、一票の格差の抜本的解消、過度の保護や減反等の不合理に充ちた農業政策の抜本的改革などなど、日本を良くし強くするためにすぐにでも採用すべきと思われる政策が山ほどあるけど、改革の動きは鈍いですね。こんなことでは、世界における日本の存在感は益々薄れ、国際社会で名誉ある地位を占める(憲法前文)などというのは夢のまた夢になりそうと危惧しますが、老人の愚痴と言われそうだから、この辺で止めます。
いずれにせよ、誕生したばかりのお孫さんを含めて、7人のお孫さんが元気で健やかに成長されるように心から祈念しています。
打てば響くが如くのコメントありがとうございます。
保守的で新しいことに引っ込み思案、良きにつけ悪しきにつけ日本人の国民性そのものなんでしょうか。おっしゃるような政策レベルもそうですが行政レベルもひどいですね。いまだに図書館や公民館など公共建物のトイレは和式が大半、いやはやです。私も個人の生活レベルでは新規挑戦には消極的な方で何とも言えないのですが。。
みなさん、ありがとうございます。
二度目でお産も軽かったようで何と僅か2泊で今日の昼に退院してくることになりました。戦闘開始であります。昨日初めて対面した2才児の母を見る目が微妙でした。面白いことになりそうです。
百々爺の七人目のお孫さん誕生、おめでとうございます。
百々爺の育爺休暇宣言で、”これで一休み出来るぞ、
なによりCATCHUP(?)のチャンスだ”と、
先週、堺に行く用事があったので、往路、木曽路等を、
2,3日漕いだり(最近、駅前でチャリを借りて回るのを
覚えました)、歩いたりして来ました。
⇒ 本来の目的は、「お城」で、
今回は、上諏訪の高島城、中津川の苗木城址、
垂井の竹中半兵衛陣屋跡、
それに堺に落ち着いてから高取城跡を訪れてきました。
所が戻って談話室を開けると、熱いトークがてんこ盛りでビックリ。
とりわけ、投稿してみなさんに尋ねてみようと思っていた、
徒然草の記述箇所が文屋多寡秀によって説明されていたのに
再度ビックリ。
この談話室、本当に密度&程度が高いです。
(余談ですが)
某先輩から、「この談話室に”参加”したい女性が居るが
何かルールはあるのですか?」と聞かれ、
「まずは投稿して下さい」と答えておきました。
この女性、津田塾卒の才女で、数年前から源氏物語の原文の読破に
取り組んで、現在は平行して百人一首にも取り組んでいる方とか。
こんな方が参加されると益々わが身の浅才にさいなまれそうです。
(余談ついでに)
木曽路、ですが、実は木内昇の『櫛挽道守』を読んで
急遽 藪原に途中下車したのですが、木曽川に覆い被ってくるような
新緑の山あいの宿場で、小説に出てくる神社や本陣(跡)に
佇んでいると主人公の登瀬が後ろに立っているような錯覚を
覚えました。
真夏にもう一度訪れ 鳥居峠を越え奈良井まで 歩いてやろうかと
思っています。
昭和蝉丸殿 木内昇の『櫛挽道守』御紹介ありがとうございます。図書館に予約しましたら十六週間待ちでした。秋口には詠めると思います。
予約に至りましたのは、学生時代から中仙道には縁がありまして、木曽路、薮原、奈良井、鳥居峠など懐かしい名前に居てもたってもいられなくなったからです。そして峠にも反応してしまいました。司馬遼の長編時代小説「峠」にあこがれ八十里越えを訪れたこともあります。長岡藩家老 河井継之助が会津に落ち延びる最後の地ですね。でもこの時は会津には至らず浅草岳を目指しましたけれど。
秋まで想像を逞しゅうして待つことにいたします。
お城巡り、高尚ですね。木曽路をゆっくりとなんて贅沢な時間じゃないですか。中津川や竹中半兵衛陣屋跡なんて随分渋いですね。何かつながるものがあるのでしょうか。
この談話室、オープンでして何もルールはありません。おっしゃる通り先ずは投稿いただき談話を楽しんでいただければと思います。
遅まきながら 百々爺 殿 まずは七人目のお孫さんの御誕生 誠におめでとうございます。
ここのところ「人生の幕引きの作業」にかかりっきりの身には、これに勝る吉兆は御座りますまい。
その昔テレビ草創期に「七人の孫」というテレビ番組ありましたね。森繁久弥歌う人気の主題歌がどこからともなく流れて来ますね。
♪どこかで微笑む人もある~いろんな人が生きている~人生とはいいもんだ~~♪ といった人生讃歌でしたね。
百々爺 御家族と七人のお孫さんに栄光あれ!!
ありがとうございます。「七人の孫」、ありましたね。いしだあゆみが可愛いかった。主題歌、youtubeで聞いて記憶を甦らせました。それと「七人の刑事」もよく見ましたね。鼻歌だけのあの主題歌?、カラオケバージョンもあるんですかね。私の1000曲リストには入っていませんが。。
七人目のお孫さん、誕生おめでとうございます。
この少子化の時代、七人とは天晴れですね。
因みに、よろしければ、名前教えていただけますか。まさか、爺がつけることができたわけではないですよね。
吾子 二人は、日本産ですが、二人とも、無痛分娩。孫二人も日本産、無痛分娩を予定するも、一人目は準備の前に既に出産、二人目は逆子で不可、と今家内から聞きました。
保守的といえば、教育もそう思います。
日本の古典文学、古代中世史などもどうして、もっと興味が湧くように学校でも教えないのでしょうね。漫画の世界のほうが、先きを走っていますね。
名前は「統里」(とうり)になりました。勿論両親が名付けました。爺は「とおる」とか「ひかり」とかもあるよな、、、ってつぶやいていただけです。でも何となく「融」+「光」のようにも思えるので爺としては満足しています。親には親の思いもあるようで。別に大豪邸に住めなくても女性にモテモテでなくても元気に育ってくれれば十分です。
奈良の旅では安産祈願されてるお姿が印象に残っております。
その御利益もあってか無事に男子(?)出産されておめでとうございます。
何とかの子だくさんとは言いますが、孫は多ければ多いほど結構なことですね。
子ならば育てるのも育ってからも苦行もあったりして詩は生まれますが、孫となればひたすら可愛い対象でしかありませんから秀歌、秀句は生まれないのでしょうね。
ありがとうございます。印象深い奈良への旅直後に生まれた子として長く記憶に残るかと思っています。孫は句に詠むものじゃありませんよね。
家内の実家の跡取り(甥っ子)、いわゆる”高島姐”の息子に第二子・女児が誕生しました。第一子が男児だったのでまずはめでたしめでたし。早速お祝いに駆けつけました。久しぶりの酒席を期待しての訪問のきらいもありましたが。
一時は高島市民病院の産婦人科は閉鎖の危機もありましたが、新しく立派な施設の産婦人科に驚きました。ここからは乙女が池(壬申の乱最後の戦闘地)や大溝城(明智光秀設計・織田信澄築城)跡がよく見えます。あたりには万葉の歌碑が6か所あります。やはり帝王切開の麻酔付きだったようです。妊婦の負担は格段に軽いようですね。
百々爺宅の「統里」君とは同級生になるわけですね。藤原氏の天皇の妃政策ではないですが、どういった糸がどうなるかは神のみぞ知る世界ではあります。が、とかくこの世は何が起こっても不思議ではありません。
遠くから慈愛の眼差しで見守ることにいたしましょう。
ありがとうございます。そしておめでとうございます。酒席もさぞ盛り上がったことでしょう。
ウチのかかった産院も大手・有名どころのようで大変な賑わいで新館大増設、まもなく新規オープンです。産院というより「マザーホスピタル」として出産&不妊治療の二本立て構想のようです。一方小規模産院は人手も足りず大変なようですね。ここでも過密過疎の問題に行き当たります。少子化対策に向けて各方面色々考えることありそうです。