「風のかけたるしがらみ」この名フレーズで後世までその「軽演劇の芸名みたいな名」(田辺)を残した春道列樹。人生どこにどういう「からみ」が待ってるか分かりませんね。
32.山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
訳詩: 森閑として人里遠い山道をたどる
眼にもさやかに走る山川
と なんと 目もさめるようなしがらみが――
近づいて見れば深山の秋が降りしきらせる
これは紅葉のしがらみではないか
作者:春道列樹 生年不詳~920 文章生(漢文に長ける) 下級官吏
出典:古今集 秋下303
詞書:「志賀の山越えにてよめる」
①春道列樹(つらき)父は春道新名(と言っても知る由もないが)物部氏の末流
何れにせよ没落豪族の流れで全くの下級官吏
→藤原氏ばかりでは官僚組織は成り立たない。それを支える下の階級があってこそ。歯車と言われようが捨て駒と言われようが。
文章生、漢文ができる文書官吏だったのだろう。その後やっと六位・壱岐守の辞令をもらうが赴任前に死没
→壱岐!すごい赴任地。それでも一国の主として花を咲かせたかっただろうに、、、。
②歌人としての春道列樹
古今集に3首 勅撰集に計5首 群小歌人の一人か
歌人同士の交遊もないようだし歌合せにも出ていない(出られていない)。
貫之・躬恒・忠岑・是則らと同世代なのに全くの孤独。
→逆に言えば一匹狼って感じだろうか。
32番歌の他に古今集に採られた列樹の歌
作日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり
梓弓ひけばもとすゑ我がかたによるこそまされ恋の心は
→二つともちょっと理屈っぽくそんないい歌とは思われないのですが。。
③32番歌
「風のかけたるしがらみ」何と言ってもこれがすごい。
→一世一代のキャッチコピー。これで末代に名を留めることになった。
→一曲のヒットで生涯歌い続けている一発屋歌手、けっこういますよね。
この歌が百人一首に選ばれたのは歌人列樹としてではなくこの歌ゆえである。
・「、、、は、、、なりけり」自問自答式の理知的な(理屈っぽい)歌
古今集から例をあげると、
同じ枝をわきて木の葉の移ろふは西こそ秋のはじめなりけれ 藤原勝臣
見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり 貫之
→理屈、説明。俳句では「止めなさい」と叱られるケース。
→「吹くからに」よりはいいか。
・「しがらみ」=せきとめるもの、まといつくもの
紅葉の葉っぱが風で吹き寄せられている。
「しがらみ」が詠みこまれた歌
ながれゆくわれは水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ
大宰府に左遷された道真が宇多院に助けを求めた歌(大鏡)
→醍醐帝・時平コンビの前に宇多院は何もしてやれなかった。
→「しがらみとなりてとどめよ」切実な訴えである。
定家が32番歌を本歌取りした歌
木の葉もて風のかけたるしがらみはさてもよどまぬ秋のくれ哉
→こんなのパクリもいいとこじゃないでしょうか。
・百人一首中紅葉を詠んだのは5首
5奥山に 24このたびは 26小倉山 32山川に 69嵐吹く
この内散る紅葉、散った紅葉を詠んだのは 32 と 69
④詠まれた場所 :「志賀の山越えにてよめる」
・志賀越え=京都北白川から左に比叡山、右に如意ヶ岳を見て北大津に抜ける山道(県道30号線) 古来の街道 天智帝創建の崇福寺(志賀寺)があった。
・京都から近江の志賀寺へ 春は桜、秋は紅葉を愛でてのハイキングコースであった。女たちは着飾って、それを見た男たちは胸ときめいて、、、。
志賀越えで詠まれた歌
あづさ弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける(貫之 古今集)
春風の花のふぶきにうづもれて行きもやられぬ志賀の山道(西行 山家集)
袖の雪空吹く風も一つにて花に匂へる志賀の山越(定家 風雅集)
→志賀の山越えが著名な歌枕であったことがよく分かる。
一夜めぐりの君(元良親王)も志賀の山に住む女に通っている(大和物語第137段)
仮りにのみ来る君待つとふり出でつつ鳴くしが山は秋ぞ悲しき(元良親王)
⑤源氏物語との繋がり
・宇治川の網代はあるけどしがらみはないかなと思いましたが一か所見つけました。僧都に助けられ小野の山里に匿われた浮舟が我が身を顧みて手すさびに歌を書きつけるところ。
身をなげし涙の川のはやき瀬をしがらみかけて誰かとどめし 浮舟@手習11
→これ見ると川の流れをせき止めるものとして「しがらみ」はよく使われたのであろう。
→小野の山里、志賀越えとは隣り合わせの所である。
・紅葉は源氏物語でさまざまな場面に見られる。また改めて書きます。
→散る紅葉、紅葉の落葉はあまり出て来ないような気がしてるのですが。
またまた聞いたことのない「春道列樹」珍しい名前が出てきましたね。
新しい人物が登場する度にお勉強をさせていただくのも楽しみの一つです。
しがらみと言えば時に世間のしがらみはうっとおしく現代社会ではマイナーなイメージが付きまといます。
ここでの「風のかけたるしがらみ」とはどんなしがらみでしょう?
しがらみは柵のことらしいですが知りませんでした。
「紅葉のしがらみ」とわかれば田舎育ちの私にはこの歌の背景、容易に想像できます。
誰でも一度や二度は見たことのある光景でしょう。
これが澱んでいると紅葉の美しさは失われますが山川とあるので清流の流れに絡まった色とりどりの紅葉の美しさがイメージできますね。
同じしがらみでも人間のしがらみと自然のしがらみの相違を感じて面白いです。
しかし現実を見れば最近は色鮮やかな紅葉のしがらみばかりではありません。
病葉や落ち葉や塵同様々入りまじって流れのない澱んでいる場所に溜まっているいことが多いのです。
紅葉のしがらみの美しさを無粋な発言でごめんなさい。
「風のかけたるしがらみ」このワンフレーズで後世に名を残したというのもすごいですね。
確かに凡人では浮かばない名フレーズです。
身をなげし涙の川のはやき瀬をしがらみかけて誰かとどめし(浮舟)
浮舟の悲壮な決意とあの宇治川の急流を思い出します。
まさに宇治川は「涙の川」です。
一つ質問です。
「志賀」と「しがらみ」は関係ないですよね。
1.藤原やら源やら何とか法師やらの多い百人一首作者の中にあって春道列樹、凡河内躬恒あたりが一番けったいな名前じゃないでしょうか。覚えやすくていいと思います。どうもこれ以上の人物像が分からないので「しがらみの男」として勝手にイメージしておけばいいんでしょうか。
2.「しがらみ」とはこの当時(浮舟の歌の「しがらみ」も)柵の意味だったのでしょうが、現代ではおっしゃる通り人間関係において邪魔になるもの、厄介なものみたいなイメージですよね。「しがらみ」の持つ意味合いも段々と変ってきたのでしょう。そしてどの時代でも「しがらみ」を考えるときには32番歌が思い出されたのでしょうね。
3.そうか。「しが」の音がダブってますね。どうでしょう、まあ「志賀」と「しがらみ」は直接関係ないと思います。ただ「しがごえ」の道中、列樹には「しが」の音から「しがらみ」という言葉が閃いたのかもしれませんね。
4.身を投げた浮舟を詠んだ青玉さんの歌、思い出してみました。
むせび泣く宇治の流れに身をゆだねあはれ浮舟病葉のごと(@浮舟)
31番歌、坂上是則も歴史的には余り知られていない人物と書きましたが、源智平さんにより紀貫之との交流があったことがかかれ、当時の歌壇で活躍したことがわかりましたが、32番歌、春道列樹は、それよりもどんな人物だったかわからないようです。定家がこの歌を選んだのは、爺が言うとおり、人物からでなく、歌そのものがよかったからでしょう。これも、歌人冥利というべきでしょう。
京都には良く出かけるので、結構知っているつもりですが、この”志賀越え”の道は行ったことがありません。昔の歌枕、機会があれば、歩いてみたいものです。
さて、紅葉、WIKIによれば
紅葉・黄葉・褐葉、それに草紅葉があると。
草紅葉は、戦場ヶ原で何度も見ました。派手さはないが、男体山を背景に、美しいものです。
ところで、百人一首に歌われた紅葉は、すべて赤い紅葉ですよね。歌を聞いてもそのようにしか色が見えてきませんが、いかがですか。”百人一首今昔散歩”の5番歌の解説に出ている花札の鹿では、紅葉・黄葉・褐葉の三色のもみじが描かれいます。また実際にみる山の紅葉(広義)だと、紅葉に黄葉が織り交ざり山を染めていますよね。
なお、同じWIKIでは、以下の木々が紅葉(広義)で挙げられていました。
紅葉する植物[編集]
紅葉:カエデ科(イロハモミジ、ハウチワカエデ、サトウカエデ、メグスリノキ)・ニシキギ科(ニシキギ、ツリバナ)・ウルシ科(ツタウルシ、ヤマウルシ、ヌルデ)・ツツジ科(ヤマツツジ、レンゲツツジ、ドウダンツツジ)・ブドウ科(ツタ、ヤマブドウ)・バラ科(ヤマザクラ、ウワミズザクラ、カリン、ナナカマド)・スイカズラ科(ミヤマガマズミ、カンボク)・ウコギ科(タラノキ)・ミズキ科(ミズキ)
黄葉:イチョウ科(イチョウ)・カバノキ科(シラカンバ)・ヤナギ科(ヤナギ、ポプラ、ドロノキ)・ニレ科(ハルニレ)・カエデ科(イタヤカエデ)・ニシキギ科(ツルウメモドキ)・ユキノシタ科(ノリウツギ、ゴトウヅル)
褐葉:ブナ科(ブナ、ミズナラ、カシワ)・スギ科(スギ、メタセコイヤ)・ニレ科(ケヤキ)・トチノキ科(トチノキ)・ズズカケノキ科(スズカケノキ)
1.「志賀越え」県道30号線は急な狭い道のようですね。当時は近江大津に行くのに逢坂の関を通っていくより志賀越えの方が距離も短いのでけっこう使われていたのかもしれません。春・秋はハイキングコースだったようですし。
2.「紅葉」に対する考察ご紹介ありがとうございます。
百人一首中の紅葉は全て紅い葉か。確かに5番「奥山に」は萩の黄葉ではないかと言われていますがその他は全て紅い葉でいいんじゃないでしょうか。現代語としても普通「もみじ」と言えば楓(類)の紅い葉を意味し、「こうよう」と言えば山や野の木の葉が赤~黄に色づくことを言うんだと思います。百人一首の歌はすべて「もみじ」と読まれるわけで楓の紅い葉と解することでいいと思います。
紅葉する樹木沢山ありますね。言ってみれば落葉樹は落ちる前には赤~黄に色を変えるということなんでしょうね。その色合いに差があって錦を織りなす。まさに「山が化粧をする」のであります。
百々爺が書いている内容以外、なんら目新しいことを見つけられない春道列樹であり、32番歌です。
謡曲『紅葉狩』にある「げにや谷川に風の懸けたる柵は、流れもやらぬ紅葉を、渡らば錦中絶えんと、先ず木の下に立ち寄りて、四方の梢を眺めて暫く休み給へや」は32番歌「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」からとっています。
謡曲『紅葉狩』なんてのもあるのですね。さぞ紅葉が詠みこまれた古歌がいっぱい引用されているのでしょう。謡曲作者は故事、伝説、説話、物語を題材にストーリーを作り上げる。そこに古来の名フレーズを散りばめて読者(観劇者)との共感を図る。作り手も演じ手も観る者も古典に通じてないと訳の分からない世界なんでしょうね。
→それだけに引用が分かる人には堪らない知的満足感が得られるのでしょう。
シルバーウイークも晴天に恵まれ、夏休み後半の遺恨を果たすかのような、行楽日和に恵まれましたね。シルバーウイークにシルバーテンプルと洒落たわけではありませんが、先日たまたま銀閣寺を訪れました。その隣の北白川から近江神宮への峠道が32番歌で話題の「滋賀越え」ですね。これも歌枕とすれば31番歌で百々爺得意の「奥の細道」が、将に「歌枕を訪ねる旅」そのものですよね。10月上旬にはこの多寡秀、「歌枕の旅」をなぞってみたいと思っております。本州では涸沢より早い紅葉の栗駒山もあこがれの峰です。そしてお江戸で皆様にお会いできればなおいいですね。
さて32番歌、我が先祖の康秀(22番歌吹くからに)張りの理屈っぽい歌ですね。ただ康秀が「幻想」を詠じたのに対して、列樹は「眼前の景色」を詠じている(多寡秀の独断?)だけに力を感じます。そしてやはりこの歌の真骨頂は、百々爺指摘の通り「風のかけたるしがらみ」がすべてと云うことでしょう。
定家の紅葉好みは有名ですが、この場合は散った紅葉、現実には落葉であり色あせ汚れているはずが、和歌においては色彩豊かに絵画的に表現しています。
落葉をも色彩豊かに表現し、紅葉としがらみを組み合わせたのも、列樹が最初とのこと。そうするとこの歌もやっぱり実景ではなく、幻想的な心象風景を詠じた歌なのかもしれませんね。ほんとにほんとに、どうなってるんでしょう。まったく。
なるほど、シルバーウイークに銀閣寺、洒落てますね。これもキャッチコピーになるんじゃないですか。
涸沢カールの紅葉ってすさまじいんですね。写真で見ただけですが圧倒されます。陸奥の紅葉の旅、楽しんでください。土産話楽しみにしています。
→奥の細道は夏の旅(新暦で5月中旬~9月中旬)ですから紅葉の描写は一切ありません。紅葉の名所白河の関では「秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也」と嘆じています。陸奥の紅葉、芭蕉も羨ましがることでしょう。いい句ができるといいですね。
そうですね、32番歌も説明調の理屈っぽい歌ですね。まあこれが古今調、下手をすれば言葉遊びにもなってしまうのを花鳥風月の雅さでオブラートに包み観念の世界に仕立ててしまうという図式ですかね。
→「、、は、、なりけり」これが昂じると「、、とかけて何と解く? 、、と解く」笑点のなぞなぞですもんね。
ネットで春道列樹に関する情報をざっと調べてみましたが、皆さまが指摘されているように、百々爺が記している以上のことは見当たりませんでした。
仕方がないので、勝手に想像の翼を広げて、春道列樹の人物像を描けば、彼は基本的には真面目で秀才タイプの役人だったと思います。なぜなら、彼は数百人に及ぶ(歴史と漢文を学ぶ)紀伝道の学生の中から毎年20人しか及第しない文章生になっているからです。
他方で彼は駄洒落上手なお笑い芸人のような面も持ち合せていたのではないでしょうか。そもそも彼は名前からして芸人のような妙な名前ですが、それはともかく、彼の歌には巧みに駄洒落が折り込まれています。
32番歌の「しがらみ」は多分「志賀」が掛けられているのでしょう。
次に「作日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり」の「あすか川」は「明日香川」で、明日が掛けられています。この歌の意味は「昨日と言い今日と言って日々を暮らし、明日はもう新年を迎える。飛鳥川の流れが速いように、あっと言う間に過ぎ去っていく月日であることよ」ですが、すごく実感が伴った面白い歌だと思います。
最後に「梓弓ひけばもとすゑ我がかたによるこそまされ恋の心は」の「よる」は「寄る」と「夜」を掛けたものです。この歌の意味は「梓弓を引けば、本と末(弓の上端と下端)が私の方に寄って来る-その「寄る」ではないが、夜になるとつのるよ、恋心は」です。この歌も、寄ってくれない冷たい恋人を上手に嘆いたユーモラスな歌ではないでしょうか。
これらの歌は無理のない駄洒落で読み手をニャッとさせる春道列樹のお笑い芸人としての面目躍如と感じるのは小生だけでしょうか。
色々と調べていただいてありがとうございます。ネット社会の今それだけ調べていただいてないというのもまた凄いことですね。
想像の翼、いいですね。いつも駄洒落で周りの人を和ませるユーモアいっぱいのオジサン。体型的には丸顔でちょっとメタボ、そんなイメージでしょうか(光琳カルタはそうでもないですが)。列樹の周りには笑いが絶えなかったことでしょう。
→今後春道列樹のことをネットで調べる人には智平どのの想像の翼が指針になるのではないでしょうか。
駄洒落、掛詞。同音異義が多い日本語ならではですね。
春道列樹の「つらき」は「辛き」も掛っているのかもしれません。周りを和ませる列樹も心の中では「男はつらいなあ」と思っていたのかも。
→「男にはしがらみってのがあるってことよ!」寅さんの声が聞こえます。
昨日書き忘れたので追加します。
能『紅葉狩』から歌舞伎『紅葉狩』も生まれました。
以前、舞台を観ましたがもちろん歌舞伎の方が動きが激しく美しくわかりやすいですよね。『紅葉狩』という優雅な題ですが、前半は公達が姫君たちと飲み舞い踊り楽しむ美しい場面ですが、後半はその姫君たちが実は鬼女だったとわかり、退治する場面となります。文句なしに楽しめる出し物ですよ。今の季節にぴったりです。機会があればご覧ください。
<春道列樹の「つらき」は「辛き」も掛っているのかもしれません。> なるほど。
列樹の新しいキャラがどんどん明らかになってきましたね。
能から歌舞伎。そして駄洒落、掛詞。ここまでくればやはり川柳、狂歌まで行くしかないでしょう。
春道のつらき上戸の連れに下戸 (俳風柳多留28)
花見でも野駆け(ピクニック)でも上戸につきあう下戸は辛いもの。呑めぬ酒を強いられ、酔うては管をまかれ、やがては泥酔した男を連れ帰らねばならない。
春道へ下戸山川を下げていき (同140)
「山川」は有名な甘酒の銘柄
わる道につらきと車力地口なり (やないばこ2)
車力は車引き。重い車に悪路は辛かろう。だがまだ地口(語呂合わせの洒落)をいうゆとりがある。
以上(阿部達二・江戸川柳で読む百人一首)。
ありがとうございます。蜀山人の狂歌ネットから引っ張りだしました。
質蔵にかけし赤地のむしぼしはながれもあへぬ紅葉なりけり
【質屋の蔵で虫干ししている赤地の着物(もちろん女物)を、「質流れ」に掛けて「流れもあへぬ紅葉」と言いなした】
→「しがらみ」が入ってないしあまりいいできとは思えないのですが。
「やまとうたは、人の心を種として、万の事の葉とぞなりにかる・・・」、百々爺のお勧めもあり、紀貫之の名文、仮名序だけでもと古今和歌集を図書館から取り寄せ見てみると、秋歌下に紅葉シリーズで4首が並び置かれている。
もみじ葉の流れざりせば竜田河水の秋をば誰かしらまし (是則)
山川に風のかけたる柵は流れもあえぬ紅葉なりけり (列樹)
風吹けば落つるもみじ葉水きよみ散らぬかげさえ底に見えつつ (みつね)
立ちとまり見てを渡らむもみじ葉は雨と降るとも水はまさらじ (躬恒)
「ことわざ繁きものなれば、心に思うことを、見るもの聞くものにつけて、言い出せるなり」。いずれも水の流れ、水面との取り合わせで、紅葉の秋ににそれぞれの心情を詠む。列樹の歌は、京・北白川から近江の滋賀にぬける、志賀寺へ向かう山道で詠んだという歌。題詠でなく、即興の歌とか。 山道で見た実景で、紅葉の吹き込む清流、晩秋の風の雰囲気が出ていい。(田辺聖子)
嵐山、黒部渓谷、上高地、十和田湖などそれぞれの名所では感動したが、紅葉に染まる樹木、山塊を仰ぎ見てのことで、散り紅葉、その跡地に目を向ける事はない。したがって歌詠み人の心境には到底、至らない。
この列樹の歌は美しい音の響きがあるという。
「かぜのかけたる」の「か」、「やまがわ・・しがらみ・・ながれ」の「が」、「ながれ・・なりけり」の「な」等、同音が繰り返されることで音が響き合うようになっているのが、なんとも美しいと。
いいですねぇ。古今和歌集、岩波文庫の中古版でも買って座右において都度参照してください。古今和歌集(季節の部)は季節の移ろい順、事象別に並べられているので便利です。挙げていただいた4首は晩秋、紅葉の葉が散る部分ですね。4首並ぶと列樹のが一番いいなあと思うのですがいかがでしょう。
→この4首は何れも題詠でなく吟行詠ですからそれぞれに迫力ありますね。
美しい音の響きですか、なるほど。ご指摘ありがとうございます。
余談13 (建礼門院右京大夫集)
弓削、倉本、五味先生の講義が今月すべて終了しました。
中でも平家物語に続いて一年半に渡る弓削先生の「建礼門院右京大夫集」の講義は現在百人一首で和歌を学んでいることもあり印象深い講義であった。
この作品はその名のとおり、建礼門院徳子のもとに「右京大夫」という召名で仕えた一人の女性の家集です。
家集とはいえ、そこには清盛の孫の資盛との恋と別れと追憶の日々が平易な詩文で綴られていて日記文学や物語のような性格も有しています。
右京大夫は三蹟の一人として著名な藤原行成の六代後裔にあたる世尊寺伊行を父とし大神基政の娘夕霧を母として平安末期に生まれている。
世尊寺家は能書の家柄で父、伊行は源氏物語最初の注釈書である「源氏釈」を著わしている。
高倉天皇の中宮建礼門院徳子に出仕(17歳頃)、空白期間を経て後に後鳥羽天皇に仕えている。(39歳頃)
その一生は歴史の狭間、動乱の世を生き波乱万丈である。
平家物語にその名は見えないが源平争乱の中で愛する平資盛を壇ノ浦に失った悲しみ、覚めやらぬ夢を追い、死ぬことも出家もできぬわが身をかこちながらも生命の証として書きつけたのが建礼門院右京大夫集(私家集)である。
その序文には
家の集などいひて歌よむ人こそ書きとどむることなれ、これは、ゆめゆめさにはあらず。ただあはれにもかなしくもなにとなく忘れがたくおぼゆることどものあるをりをり、ふと心におぼえしを思ひ出でらるるままに我が目ひとつに見むとて書きおくなり。
われならでたれかあはれと水茎の跡もし末の世に伝わらば
に始り中宮への出仕
雲のうへにかかる月日のひかり見る身の契りさへうれしとぞ思ふ
間を置いて最後は定家への歌
言の葉のもし世に散らばしのばしき昔の名こそとめもほしけれ
かへし
おなじくは心とめけるいにしへのその名をさらに世に残さなむ
で閉じられている。
350首余りの和歌と向かい合った一年半であった。
新勅撰集には二首しか入首してなくて特に技巧をこらした名歌でもなくどちらかと言えば平凡で素直な感情を詠い素人にも特に女性には親しみやすい。
授業中、女性陣からは何度も共感の声が上がりました。
男性にとっては多少女々しい(私でさえそう感じた)かも知れませんが講師は何度読んでも新しい発見があり受講生と勉強するのが楽しい時間だと言われました。
平家物語の行間を埋めていくと同時に彼女の人間像、生きざまがありありと映し出された家集と言えます。
俊成九十賀に院よりの贈り物の装束に和歌を刺繍をしたとあり歌の贈答や祝宴の様子を見聞きした記事もあり定家から新勅撰和歌集への声掛けの光栄など動乱の時代を自分の目で確かめ80歳近くまで生き抜いた女性の一生は見事でさえある。
ところで俊成との並々ならぬ縁については出仕の事情がある。
講師は母、夕霧の前夫が俊成であったと、詳しい根拠の上に論文を書かれている。
兄、定伊(出家して尊園)は俊成との間の連れ子との見解。
いつの世にも歴史の表舞台には直接現れない陰の存在の人がいることもわかる。
出仕に当たっての召名は近親者の官職に因むのが通例であり当時右京大夫の職にあったのが俊成であり、俊成女の京極局は後白河の近習であることから出仕に際して俊成からの働きかけがあったものと考えられる。
いわば俊成は右京大夫の親代わり的存在であったと言えよう。
最終二回は「平家公達草紙」で最後まで楽しく充実の講座を締めくくった。
今日の最終講義「平家公達草紙」から
秋のみやまのもみぢ葉(国立博物館本)の一部
「藤壺の御前の紅葉散りしきて色々の錦と見えて風にしたがふけしきいと興ありけり」
「風にしたがふけしき」から列樹の「かぜにかけたるしがらみ」を想像しました。
したがふは風に吹かれるの意、やはり列樹の方が一枚上手ではないでしょうか?
そこで小侍従が即興で詠んだ歌
色ふかき秋のみ山のもみぢ葉は庭の錦にたちぞまされる
たちぞのたちは立つと裁つの掛け言葉です。
これは中宮徳子の御衣の紅葉の模様の方が優れているとの意です。
長文になってしまってすみません。
来月からは弓削先生だけに絞ります。
新たに「方丈記 発心集」の講義が始まります。
貴重なる余談ありがとうございます。
名古屋のカルチャーセンターってすごいですね。弓削先生は存じ上げませんが倉本・五味先生ですか。勉強に力が入ることでしょうね。
「建礼門院右京大夫集」の詳細なる説明ありがたいです。年令・年代的にも定家と重なるようですし(俊成が親代わりだとすると定家とは姉弟みたいなものか)、この談話室90番台の読み解きには参考になりそうですね。早速岩波文庫本(中古)注文しました。
それと76番忠通、77番崇徳院あたりからは平家物語が中心となっていくでしょうからその点でも徳子、後白河院、後鳥羽天皇と関係のあった右京大夫は研究に値すると思います。
→勅撰集にも入ってるなら百人一首に入ってもよかったでしょうにねぇ。
毎回、面白いですねぇ。
百人一首がこんなに面白かったとは!
特に、今回の32番の春道列樹なんてサイコーですねぇ。
百々爺は、列樹さんを「軽演劇の芸名みたいな名」「没落貴族の流れで
全くの下級官吏」「一発屋歌手」etcと ボロっかすのコメント。
でもこういう人こそ味があるのでは と各氏の投稿を期待していたら、
やはり、出てきました、出てきました。
智平さんの“実感の伴った面白い歌”と指摘の
「作日といひ 今日とくらして あすか川
流れてはやき月日なりけり」、
小生もとてもModernでRhythmicalと思います。
しかし皆さんの博覧強記には脱帽の限り。
いつもの百合の局の謡曲紹介、そうですか歌舞伎の「紅葉狩」は列樹さんの
歌からでしたか。
小町姐さんの講義のお話「建礼門院右京大夫集」、急いでコレを本屋さんで
探してきます。
→ ネットで買うと、天眼鏡でも見えないような小さな字の本が
送られてきてシマッタ!と 何度も。
加えて、百々爺からは76,77番あたりから平家物語が中心になる」、
なんて恐ろしい見通しが語られており、武者震いしました。!
以上、作品とは何の脈略も無い呟きですが、
まだ(?)follow-upしている証としての投稿でした。
PS 昨夜は十五夜で、新車に乗り換えたことで ご機嫌のカミさんが
ススキと月見団子を備えてくれて 部屋からお月見をしました。
今年はスーパームーンの満月で大きくとても綺麗でした。
あんまり綺麗なので写真を撮りましたので、
メールの方で添付送付しておきました。
http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/08/IMG_0299.jpg
http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/08/IMG_0300.jpg
http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/08/IMG_0301.jpg
いつもながら蝉丸流の読み解きをされてるようで誠に結構だと思います。
いや、私は列樹のことをボロっかすにこき下ろしているのではありません。百人一首に撰ばれながら解説書ではほとんど人物的に取り上げられてない春道列樹、気の毒じゃありませんか。それで列樹のことを大いにPRしようとわざと大げさに感想を述べたまでであります。少しは印象に残るとしたら列樹さんも許してくれるんじゃないでしょうか。
一つ、春道列樹は宮中或いはトップ貴族の行う歌合に出ていない(歌が見当たらない)のですね。歌合はまあ紅白歌合戦じゃないですが一種のステイタスシンボルでこれに招かれることが歌人としての誉れだったのだと思います。列樹は悔しかったことでしょうね。
スーパームーンの写真ありがとうございました。大きさそんなにも違うんですね。知りませんでした。
昭和蝉丸様
お久しぶりです。昨晩の名月、近年にない素晴らしさでしたね。
参考までにもし「建礼門院右京大夫集」買い求めるのでしたら「新潮日本古典集成」が良いと思います。
活字が大きく見やすいです。
但し講師は糸賀きみ江(校注)はあまり良くないと言っておりました。
「建礼門院右京大夫集」取り寄せました。俊成・定家・慈円・式子内親王らと交流の深い右京大夫、壇の浦に散った平家の公達資盛との恋物語。百人一首終盤部読み解きの鍵になる本だと感じています。ご紹介ありがとうございました。該当箇所に来ましたらよろしくご講釈お願いいたします。