36番歌「夏の夜は」で古今集からの出典は終わりです。2番目の勅撰集は後撰集。これまでも1「秋の田の」、10「これやこの」、13「筑波嶺の」、20「侘びぬれば」、25「名にしおはば」が後撰集からですがここで後撰集のことをまとめておきましょう。
【後撰集】「古今集の後の勅撰集」の意
・古今集に次ぐ2番目の勅撰集。勅は村上帝。951年宮中の梨壺(昭陽舎)に和歌所が設けられ5人が撰者に任命される(成立は不明だが951年と考えておきましょう)。
→古今集から40年程たって世代が変っている。
・撰者=梨壺の五人と呼ばれる
源順:嵯峨源氏 学者・歌人 五位能登守 漢詩文に長け 歌合の常連
勅撰集に51首 三十六歌仙
→百人一首に漏れた中では一番有力だったかも。
大中臣能宣:49番歌「みかきもり」の所で
清原元輔:42番歌「契りきな」の所で
坂上望城:何と31番坂上是則の息子! 勅撰集に2首 入集
紀時文:これも何と紀貫之の息子!勅撰集に5首 貫之も草葉の蔭から応援していたか。
・全二十巻 総歌数は1425首 撰者の歌は入れていない(どうしてだろう)
紀貫之(92首) 伊勢(72首) 凡河内躬恒(27首) 藤原兼輔(24首)が上位入選者
古今集に比べ四季の歌の比率が少なく恋歌・雑歌が多い
後撰集から百人一首に撰ばれたのは7首 1,10,13,20,25,37,39
村上帝も父醍醐帝の古今集を意識して大事業に取り組んだ筈。これで和歌の地位はますます高まったと言えよう。
前置きが長くなりました。37番歌です。
22番で父(文屋康秀)が秋の山風(嵐)を詠み、37番で息子(文屋朝康)が秋の野分を詠んで親子入選とは。。。偶然にしては出来過ぎじゃないでしょうか。
37.白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
訳詩: 夜明けの原いちめんの秋の野草
そのうえにおくいちめんの露
風がしきりに吹き寄せるたび
ぱらぱらときらめいて散る
まだ糸を通していない 真珠の玉
作者:文屋朝康 生没年未詳 六歌仙22文屋康秀の子 古今集に1首 後撰集に2首
出典:後撰集 秋中308
詞書:「延喜の御時、歌召しければ」
①文屋氏については父22文屋康秀の項参照。
天武天皇の孫から発しているが、、、
「要するに、摂政藤原良房が権力をにぎった九世紀半ばの貞観の頃、名族文室氏はかの紀氏と同様に、精力衰退の過程で和歌に心を寄せるに至ったのだ」(目崎)
父-息子の重代歌人は12僧正遍昭-21素性法師、13陽成院-20元良親王に次いで3例目
→百人一首に父子で入っているだけで文屋氏は十分に歴史に名を留めている。
→1100年後には多寡秀という子孫も名乗り出ているし???、、、。
文屋朝康 最高官位は従六位下・大舎人大允
父文屋康秀は最高官位 正六位上、縫殿助 ちょっと父の方が上である。
→こんなことはどうでもよろしい。朝康にしたら父がもっと頑張ってくれたらオレだってもっと上に行けたのにと思ってたかもしれない。
②歌人としての文屋朝康
・歌合には出ていたようだが(親の七光りもあったか)古今集に1首、後撰集に2首のみ
→六歌仙を父に持つ朝康としては忸怩たるものがあったかもしれない。
・勅撰集入集の朝康の歌
秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ(古今集)是貞親王歌合
→秋の野、白露、玉 37番歌とよく似ている。
浪わけて見るよしもがなわたつみの底のみるめも紅葉ちるやと(後撰集)
・是貞親王歌合、寛平御時后宮歌合といった有名歌合せに出ている由だが歌合の常連だった友則・貫之・興風らとの交流も伝えられていない。
→ちょっと寂しい。貫之も古今集序で父康秀をあんな風に(文屋康秀は、言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人のよき衣きたらんがごとし)言った手前、仕返しが怖くて近づかなかったのかも。。
③37番歌 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
・後撰集詞書は延喜の(醍醐朝)時の歌とあるが既に寛平御時后宮歌合(宇多朝)に載せられている。
→混乱しているようだが別に寛平の歌合で詠んだ自信作を醍醐帝に奉ったのでもいいのではないか。
・解説書を読んでいるとこの歌けっこう評価が高い。
「定家はこの歌を寂しい秋の野分のながめの中に白露の美しさを見出したとして高く評価している」(島津忠夫)
・白露= 草葉の上の露(雨つぶではない)
・風の吹きしく=風がしきりに吹く、野分である
・玉 白玉 真珠とする説、水晶とする説あり。
つらぬく=玉をつないで首飾りやら腕飾りにするということか
→白露、玉、つらぬく一連の類型で派生歌は実に多い
・定家も本歌取りしている
手づくりやさらす垣根の朝露をつらぬきとめぬ玉川の里
むさし野につらぬきとめぬ白露の草はみながら月ぞこぼるる
・「露」の歌、百人一首では他に、
1 秋の田の
75 契りおきし
87 村雨の
〇爺の感想
野分といえば激しい風で草葉の上の露は散るなんて悠長なものでなく一瞬にして吹き飛んでしまうのではないか。優雅な世界というより激しいすさまじい情景かと思うのだがどうでしょう。
④源氏物語との関連
野分については22番歌の所で書きました。
今回は「露」で考えてみました。
露ははかないものの象徴、源氏が生涯最も愛した紫の上が天に召される場面です。
晩秋風の激しく吹く夕暮、源氏と明石の中宮が紫の上を見舞い歌を唱和する。
国宝源氏物語絵巻「御法」の有名場面です。
紫の上 おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露
源氏 ややもせば消えをあらそう露の世におくれ先だつほど経ずもがな
明石中宮 秋風にしばしとまらぬつゆの世をたれか草葉のうへとのみ見ん
宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、御誦経の使ども数知らずたち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御物の怪と疑ひたまひて夜一夜さまざまのことをし尽くさえたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。
→臨終にあたり紫の上は自分の人生を幸せだったと思ったのか、源氏は紫の上の死をどう受け止めたのか。色々考えさせられる場面でありました。
〈オマケ〉
露ははかないもの。秀吉の辞世と伝えられる歌です。
露とおち露と消えにしわが身かな難波のことも夢のまた夢
「梨壺の五人」 良い名前ですね。
藤壺は知っていましたが宮中には梨壺というのもあったのですね。
清原元輔の他はよく知りません。
この37番歌 なんて美しいお歌でしょう、朝康さま、お父上の歌よりずっと素敵ですよ。
でも父上の「吹くからに」も貴方の作なんですって?
特に白露を玉に見たてた「玉ぞ散りける」が気に入りました。
野原の白露が宝石に見えてきました。
水晶か真珠か、キラキラ輝いてころころ転がるさまが目に見えるようです。
秋の野に置かれた白露、それが風に吹かれて玉となる、
一体その草の葉はなんでしょうね。萩それとも雑草?
先日早朝の散歩では雑草の葉に置かれた小さな可愛らしい露の玉が朝日にきらきら輝いていました。つい葉っぱに触れてみたくなるような光景です。
果たして玉と散ったでしょうか?
朝康のような素敵な歌には到底及びませんが私も真似て一首読んでみました。
名もしらぬ草葉に宿る白露は朝の陽映えて玉ぞ煌めき(小町姐)
白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける。
こんな発想のできる人って素敵、私好みです。ひょっとして女性好みの歌かもしれませんね。
源氏物語の露の歌
紫の上 源氏 明石中宮三人三様、「御法」の場面を思い出し泣かせますね。
今更のように露の儚さが味わえる歌です。
その点では37番歌の露は全く趣が異なりますね。
今日はこれから一泊のお泊り女子会(おしゃべり会)に行ってきます。
歌の世界からは一番遠い俗世界かもしれません。
たまの息抜き、良しとしておきましょう。
えっ、毎日息抜きしてるって?(陰の声)・・・かもね。
・梨壺に和歌所が置かれる。こういう後宮に出入りできる歌人たちは本当に誇らしかったと思います。顔ぶれからみると源順がリーダーシップを執ったのでしょうか。紀時文は父に続き撰者となったし坂上望城は父の果たせなかった役を与えられたという訳です。
→梨壺(昭陽舎)は源氏の宿直所であった桐壷の南にあり、東宮(後の今上帝)が住んでいた。源氏も後見にしばしば訪れた所。
この大臣(源氏)の御宿直所は昔の淑景舎(桐壷)なり。梨壺に春宮はおはしませば近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見たてまつりたまふ。(澪標10)
・素敵な歌をありがとうございます。これと言ったところでかまいませんので百人一首歌を本歌取りした小町姐歌をご披露いただけばと思います。
・お泊り女子会、いいですねぇ。リフレッシュは大事です。
36番歌にて古今和歌集からの出典が終わること、知りませんでした。そして、次の後撰集へと続くわけですね。
後撰集の解説、ありがとうございます。これもほとんど知りませんでした。
源 順をNETで見ると、次の歌が載っていました(見たサイトでは全部で14首あり)。気に入ったので、掲載します。
天暦御時歌合に
氷だにとまらぬ春の谷風にまだうちとけぬ鶯の声(拾遺6)
さて、37番歌、小町姐も言っておられる”玉ぞ散りける”という読み振りが小生も好きです。普通だと、”玉と散りける”となってしまうところを、”玉ぞ”といって、弾けるような動きを感じさせてくれます。爺が言っている、”野分”かまでは解りませんが、ため、風も少々強い風であると感じます。
田辺聖子さんによると、露と玉を詠った僧正遍照の歌として
蓮葉の にごりにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく
あさみどり 糸よりかけて 白露を 玉にも貫ける 春の柳か
を挙げているが、この種の歌は多かったともいう。
そして、久々の登場
名もしらぬ草葉に宿る白露は朝の陽映えて玉ぞ煌めき(小町姐)
もいいですね。
雑談
1)今日のBS TBS 22時 にっぽん歴史鑑定 という番組が
藤原道長
を放送します。どんな内容か不明ですが、興味ある方はご覧ください。
2)今年一月以来久しぶりに歌舞伎座で十月大歌舞伎を先週金曜日見てきました。
坂東玉三郎演じる壇ノ浦兜軍記 阿古屋 を見るためです。
阿古屋役の玉三郎が、琴、三味線、胡弓をそれぞれ弾きながら歌うという、一世一 代とも言うべき大役を見事に演じきっており、そしてその容姿の美しさともども、 もう出てこない凄い役者だなと感心して帰ってきました。
良かったでしょうね! 今月は何かと忙しくてチケット取れませんでした。なんとか、阿古屋の一幕だけでも観たいものです。
玉三郎もだんだん歳をかさねます。一日でも早く美しい姿を目に焼き付けておきたいです。
・定家は何故源順を百人一首に入れなかったのか。
八代抄には次の2首を入れているのですが、、、。
→2首は少ない。源順をあまり買っていなかったのでしょうか。
我が宿の垣根や春をへだつらん夏来にけりと見ゆる卯の花(拾遺集夏)
独り寝る宿には月の見えざらば恋しき事の数はまさらじ(拾遺集恋)
・氷だにとまらぬ春の谷風にまだうちとけぬ鶯の声
→古今集の二条后(高子)の歌を思い出しました。
雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん
・道長のTV番組、見てみます。
古典文学を愛で伝統芸能を堪能する。いいですねぇ。何と言っても玉三郎は京都の宿の配役決定会議で六条御息所に抜擢された当代一の女形ですもんね。
露というのは日本人の感性に訴えるところが強いと見えて、俳句にも数多く詠まれています。大きく分けると、ここで話題となっている天文の露と、秀吉の歌に詠まれた「儚さ」「涙」に例えた露に分かれ、前者には「露時雨」「露葎」「露の秋」という粋な季語もありますが、俳人は後者の「露の身」「露の世」「露けし」を好んで詠みます。秋には「身に入む」もあって、「露」とともに物に即しない心象風景など非常に融通がきく季語だということもあるでしょう。
一茶にも、
があって、苦節を経てようやく授かった長女を失った逆縁の嘆きです。表面だけを見ると何だと思いますが、そうと知って読み返してみるとあらためて身に沁みてきますね。
単独の「露」だけでなく「露」を含んだ色々な複合語の季語もあるのですね。それぞれに日本人の繊細さを表す言葉なんでしょう。でも詠み分けるのは難しそうですね。「露けし」は源氏物語にもよく出てくる言葉、今でも使えるいい言葉だと思います。
一茶の「露の世は」の句、身につまされます。俳句と言うより絶唱の感じです。
この「玉」は真珠でなく、水晶のほうがぴったりする感じです。透明感がありますからね。
この歌、清らかで好きな歌です。謡曲に使われていてほしいと願って調べたのですが見当たりません。(あとで見つけたら報告します)
源氏物語「夕顔」の巻の歌にある「白露の光」がなんとなくつながりがあるように思うのですが、謡曲『夕顔』には「うつろふ方は秋草の」「夕顔の露の世に」「露消え給ひし」「心の色はしらつゆの」「水の泡とのみ散り果てし」「末葉の露の消えやすき」などの表現がありますが、この歌にぴったりするものではないようですねえ。
伊勢物語 六 にある「草の上にをきたりける露を『かれは何ぞ』となんをとこに問ひける」「白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを」も何となく関連ありそうに思われますが・・
「小倉百人一首文芸苑」(構成する10の勅撰和歌集ごとに百首すべての歌碑が建立されている。嵐山亀山公園地区、野々宮地区、奥野々宮地区、長神の杜地区、嵐山東公園地区)を訪ねるのも面白いかもしれません。
・そうですね、水晶でしょうね。露は透明ですもんね。
・そうか、源氏物語「夕顔」の有名歌も白露でしたね。
心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花
源氏がこの歌が書かれた扇をもらったのは朝なんですかね。乳母の所へ寄ってそれから六条御息所を訪ねるのなら夕方かと思うんですが。それだと夜露になりますね。
・伊勢物語第六段にも「白玉」が出て来るのですね。読み返してみました。業平が高子に通っていた時、基経が高子を業平から遠ざけた話ですね。白玉といえば露、露と言えば白玉。王朝人の連想のほどがよく分かります。
・「小倉百人一首文芸苑」ご紹介ありがとうございます。
確か昨年末野宮神社に行った時付近にいくつかありましたかね。
月初からのフィールドワークが過ぎまして、昨夜遅く宝塚の我が家に戻りました。
彼の芭蕉が夢にまで見た「陸奥」、車でも大変な道のりを彼は歩き通したんですからまず驚き。ひょっとして芭蕉は伊賀の忍者なのでは?との説にも納得。感動の松島では句を詠まず曽良の作のみ。私なんぞは「松島やああ松島や松島や」と読みましたが、誰かに「待つ寿司やああ待つ寿司や待つ寿司や」と、まぜっかえされる始末。なにはともあれ、栗駒山、蔵王、磐梯山の紅葉にうっとりの一週間でした。お江戸では神楽坂の夜をありがとうございました。なんてったって生はいいですね。ネットに厚みが出来ますね。ほんとビールもうまかった。
さて37番歌。文屋家の2番手、朝康登場に何とか間に合った格好です。
やはり親の名前の重さに苦労したんでしょうか。しかしまあ歴史にちゃんと名前と作品を残してるんですから大したもんです。その作品の出来栄えは、親の康秀作品まで貴方の作ではと言わしめるんですから文句のつけようがありません。親の七光りもさることながら、子の七光りもありかなと思わせます。
やはりこの37番歌は定家が再評価したんでしょね。なんてったって定家好みの詞が三つ(白・風・秋)も含まれてますもんね。それに露は涙を、玉散る風情は悲恋を想像させます。
万葉集から本歌取りした定家の歌
手づくりや曝す垣根の朝露をつらぬきとめぬたまがわの里(拾遺愚草)
つまり「白露」歌は「後撰集」以後完全の埋もれていたものを、定家が発掘してその後の諸集に撰んで高く評価したことにより後世に名を残したことになるんでしょうね。(吉海直人:百人一首で読み解く平安時代)
(朝康の独白)
つゆのうたつゆのうた・・・と足元の露を蹴散らしながら歩いているとき、さあっと風が吹きました。露を舞いあげて風が通り過ぎたのち、私の中に宝石のように輝く歌が一首(三七番歌)出来あがりました。そうです文屋親子にはこの「風」が、いつも歌を詠ませてくれるんですよ。
秋の陸奥よかったですね。それにお孫さんの運動会と神楽坂の飲み会。リフレッシュされたことでしょう。またよろしくお願いします。
朝康の37番歌は父康秀の22番歌より格上だと思います。ただ父は古今集序で取り上げられた六歌仙だし小野小町との関係が取沙汰された色男。これって男として最高の勲章じゃないですか。息子さんは男性歌人との交流も記録されてないし女性との色恋沙汰も伝わってこない。チト地味ですねぇ。父の小町に対抗して朝康も19伊勢女御あたりにちょっかい出せなかったものでしょうか。結果が「つらぬきとめぬ玉ぞちりける」だったっていいじゃないですか。