百人一首が詠まれた時代(歴史)について考えてみました。
百人一首は勿論平安王朝の「やまとうた」が中心なのですが100首全部が平安時代に属するのではなく前後10首づつくらいは飛鳥・奈良時代&鎌倉時代のものが含まれています。これが実にいい。このおかげで400年間もの長きに亘った平安王朝がどのように作られどのように崩れていったかに思いを馳せることができるというものです。
以下歴史年表から主だった事項をピックアップしてみました。
年 事項 キーワード キーパーソン
645 大化の改新(乙巳の変) 王権国家への第一歩 天智
663 白村江の戦い 日本国存亡の危機 天智
672 壬申の乱 律令国家へ 天武・持統
→この50年ほどで日本国家・天皇制が形作られる。百人一首がここから始まるのはすごい。
710 平城京に遷都 奈良時代へ 持統→藤原不比等
794 平安京に遷都 平安時代の始まり 天智系王家へ
→政治的反乱・道鏡の台頭など混乱の奈良時代を経て平安時代へ
866 良房、摂政に 摂関政治の始まり 源融・業平・菅原道真
872 基経、関白に
905 古今和歌集 延喜・天暦 国風文化 陽成院・貫之
→古今集は勅撰集の初め、平仮名による王朝和歌が花開く
1000 二后並立 摂関時代全盛 道長・紫式部
→平安時代の真中。道長と寛弘の女房たち 百人一首も全開
1086 白河院院政開始 藤原摂関家の衰退 白河院・待賢門院璋子
1156 保元の乱 平氏の台頭 崇徳院・藤原忠通
1159 平治の乱
→ここからは前稿定家についての年表に続く
1192 頼朝征夷大将軍(鎌倉幕府成立)
1221 承久の変 後鳥羽院、隠岐に配流
百々爺の感想
①600年ってとてつもなく長い。今から600年遡れば1400年。室町幕府ができて義満が金閣寺を建てたころ。応仁の乱も始まっていない。遠い遠い昔です。
→そういう悠久の昔を思いつつ定家は百人一首を編んだわけであります。
②日本の国防の危機は最初が白村江の戦いの頃(唐がもう少し安定してれば日本国は完全に征服されていたろう)。これに対処したのが天智・天武天皇。その次が元寇(1274文永の役 1281弘安の役)、北条武家政権が対応した。
→百人一首の600年間は丁度この二つの危機に挟まれている。外敵からは比較的安全であった。日本文化が形作られ熟成していった時期だろうか。
③前後の動乱の時代を思う程いかに道長の摂関政治を頂点とする平安時代が文字通りの平和で安定した時代であったか(個別の争いはあろうとも)分かる気がする。
→そして居並ぶ寛弘の女房たち、、、色好みのプレーボーイたち、、、。
→和歌が意思疎通の手立てとしてだけでなく政治道具にまで高められた時代
わずか100首の和歌の裏には600年の歴史が隠れている。
いつか百々爺さんが「年代順に配列されている事がすごいことなんです」とおっしゃったことを思い出しました。
天智、持統親子に始まり後鳥羽、順徳院親子に終わる100首。
前後二つの危機に挟まれた比較的安穏な時代からも保元、平治の乱があり平氏の台頭から滅亡にいたるまでの紆余曲折が年表から見えてきます。
百人一首から学ぶ600年の歴史と文化、そして100人の歌人の生きた時代を感じ取りたいですね。
100首に凝縮された和歌から様々な歴史と文化、人物を知る手掛かりとしてこのブログは大いに貢献するのではないでしょうか。
【余談】
今日徳川美術館で貝合わせの体験講座を受講しました。
貝合わせと言うのは平安時代から伝わる遊びで歌合わせ、香合わせ、絵合わせ等合わせ物の一つです。
実際、蛤の片方の柄や形をみてぴったりの貝殻を探し裏に描かれた絵が同じならば正解という遊びを体験しました。意外と簡単でした。
その後に金色に塗られた蛤の裏面にデコパージュする遊びもあり作品を持ち帰りました。
これはちょっとセンスが試されます。
正式には色合いや形の美しさを競ったり、その貝を題材にした和歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びだそうです。
源氏物語の「絵合」を思い出しますね。
「百人一首」の中にももしかしたら歌合わせの和歌が登場するかもしれませんね。
丁度美術館では尾張徳川家の雛祭りの展示があり豪華な御殿飾りなども観てきました。
圧巻は正面にある幅7㍍高さ2㍍もある巨大な雛段飾りです
尾張徳川家の姫君のために誂えられた人形や雛道具は御三家筆頭の名にふさわしい豪華絢爛、目を見張るものばかりでした。
貝合わせに使われた合わせ貝も貝桶と共に展示されており金箔に豪華な絵が描かれておりました。
なかには源氏物語の絵もあり目の保養をし、お抹茶を楽しんできました。
{おしらせ}
今年の「国宝 源氏物語絵巻」 11月14日~12月6日
開館80周年を記念して全場面一挙に公開されます。
ホント「たかが100、されど100」ではないでしょうか。スッと通り過ぎればそれだけだが奥を探るとどこまでも深い、、、と感じています。
和歌の持つ意味も人によってそれぞれ。歌で権威を示した人、心底の恋情をぶつけた人、出世の道具にしようとした人、歌に逃避した人。この時代の和歌という定型詩の持つ力だったのだと思います。
徳川美術館訪問記ありがとうございます。余談、大歓迎、それこそ談話室ですもん。貝合わせってそういう風にやるのですか。いい体験でしたね。絵柄は源氏物語のものが多いようですがパッとめくって同じ場面だとすぐ分かるんですかね。
貝合わせの入れ物が貝桶なんですね。先年江戸東京博物館に出張してきた国宝「初音蒔絵貝桶」を思い出しました。歌が隠されているというあの貝桶ですよね。
年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ
(明石の君 @初音)
徳川美術館には昨年伊勢参りの帰りに立ち寄りました。
確か館内で百人一首の展示即売会コーナーがあって高いものは10万円以上していたのでビックリしました。
源氏物語では17帖の『絵合』がまさに貝合わせに通じますね。
うきめ見しそのをりよりも今日はまた
過ぎにしかたにかへる涙か
600年を未来に伸ばせば27世紀ですか、想像もつかない世界です。
絵合、いかにも優雅に聞こえますがその実源氏と頭中の壮絶な後宮争いでしたね。宮中での歌合も歌人たちには自分自身は勿論一族の盛衰を賭けた必死のバトルだったのでしょう。
そうか、今から600年バックトゥザフューチャーすれば2615年。そう考えると恐ろしいですね。
松風有情さん、こんにちは。
松風さんの「源氏物語 和歌絵本」を手にしてみました。
17帖「絵合」の場面は須磨の日記風の絵と思われます。
「貝合わせ」の絵も描かれていることに気付きました。
「薫物合わせ」とかいろいろな合わせ物の遊びがあるようですね。
その道を極めることは難しいですが知識の一端として知っておくのも悪くはないです。
27世紀(2615)、どんな時代になっているのでしょうか。想像もつきません。
ドラえもんじゃないけどタイムトンネルをくぐって見てみたいですね。
小生も貝合わせはどうするのか知らなかったので、小町姐さんの話でなるほどと理解できました。描かれた絵と絵を合わせるのでは同じ絵ゆえ簡単過ぎるので不思議に思っていました。
また、今年の秋の徳川美術館の源氏絵巻は全巻が展示されるとのこと、是非是非行ってみたいと思いました。いろいろと情報ありがとうございます。深謝。
ところで、源氏物語を読む際に周辺情報も勉強しましたが、百人一首の時代背景がいまいち良くわかっておらず、百々爺のウオームアップに併せて今以下のような、下勉強をしています。
初心者クラス向けですが、歴史に弱い方の参考になればと書き記しておきます。
1)百々爺 源智平朝臣さん推奨の”百人一首の作者たち”を読み始めています。
2)初歩の初歩として、高校の日本史の教科書を読んでいます。何が良いか知りませんが、小生は山川出版社”高校日本史B”を買いました。
3)昨年聴講した 三田誠広先生”古代ロマンの愉しみ”で配布された、天皇家と藤原氏の系図、これは昨年の”源氏物語 道しるべ”完読旅行の際、参加の皆さんにはお送り済みのもの。在原業平・菅原道真・紫式部・清少納言も載っている優れものです。
持っておられないかたもおられるので、別にメールしておきます。ブログの展開に併せてみるのが良いかも知れません。
三田先生の講義録そのものもありますが、ページ数が多いのでPDFでは送れません。もし興味ある方には1-2週間お貸しできますので、連絡ください。
4)あと、2年前源氏物語を読むにあたり、時代背景を知りたいと清々爺に尋ね、教えてもらった小学館”日本の歴史 揺れ動く貴族社会”です。
ご参考まで。
いやあ、すごい勉強ぶりですね。素晴らしい。やるほどに色んな世界が広がり楽しくなっていくと思います。これは面白い、なんてことありましたらドンドン書き込んでください。
年表と系図は必須ですよね(源氏の時も年立・系図・地図は離せませんでした)。じっと見てて「あっ、そういうことなんだ!」と気が付いたこと何度もありました。
小学館”日本の歴史 揺れ動く貴族社会” この本平安時代を解きほどくのに古今集から入っています。最初に編まれた勅撰集、その重さ、歌の力。百人一首は勅撰集から選び抜いた100首ですから重要性も分かろうというものです。
退職して暇になったせいか、またしてもアフリカに関する講演を頼まれるようになりました。このため、アフリカの歴史を見返したりしていますが、そうした作業中に思ったことが2点あります。
第1は、日本には古くから文字があって良かったなあということ。エジプトなどの北アフリカを除くアフリカの国々、即ち、サブサハラ(サハラ砂漠以南)アフリカと呼ばれる国々には殆どの国には文字がありませんでした。このため、15世紀初めにヨーロッパが進出して来るまでの生活や文化を記録した文献は皆無に近く、ヨーロッパ人はアフリカを「暗黒大陸」とか「歴史なき大陸」と呼びました。これに比べると、日本には(神代文字の有無はともかく)3~4世紀までには漢字や漢書が伝来し、それを基にした仮名も発明されたため、後世の我々に様々な文献や詩歌集が残され、古くは7世紀に作られた万葉集の歌を題材に談話室でおしゃべりもできるわけです。こう考えると、日本は文明の進んだ隣国に恵まれて本当に運が良かった、今は関係が良くないものの、漢字を発明した中国やそれを中継した韓国には大いなる敬意と感謝を表する気になってきます。
第2は、紛争や軍事クーデターが頻発した第2次大戦後のアフリカの歴史に比べると、
摂関政治や親政・院政という形で文民政権が維持された平安時代の日本は何と平和な国であったかということ。最後は武士である平家に実権を握られたものの、民主主義といった考えが全くない千年以上も前から、文民政権が400年間近く維持された国は世界史的にも珍しいのではないでしょうか。その意味では、日本人は元々平和を愛する国民なのかもしれないとも思う次第です。
えっ、アフリカって人類誕生の地ですよね。文字がなかったんですか。なるほど、そりゃあ文明の進行速度が全く違うんでしょうね。
国風文化の権化みたいな源氏物語をやっていて逆に日本は大陸・半島の影響を如何に受けて来たのか(お蔭をこうむってきたのか)つくづくと思いました。おっしゃる通り漢字の伝来が大きい。そして仮名を発明しやまとことばを自由自在に読み書きできるようになった。それで生まれたのが古今集であり源氏物語というわけですからね。
大陸・半島に近かったお蔭で文明の恩恵に与れたこと、でも陸続きでなく島国であり大陸・半島からの蹂躙を免れたこと、、、つくづく幸運だったと思います。
古代大和に隣国から仏教、漢字や文化が伝わってきたことは希有な幸運だったと言わねばなりませんね。
今や対外的にも色々あり政治面でも様々問題は抱えきれない我が国ですがそれはまた別問題に考えるとしてともかくこうやって言いたいことが言えて議論できる平和に感謝です。
アフリカの文化(特に東アフリカ)では本や文字になっていない口承によって伝達される文化というのがある事を以前に少し知りました。
アフリカ大陸の識字率がが低く先進国のように読み書きができないと言う社会において生まれたものではないかと思います。
これらを理解することがアフリカの文学を理解する一助になるのかもしれませんね。
少し 戻りますが、ハッチーさん、もとえ、現在は 浜寺八麻呂さんの
投稿で『天皇家と藤原氏の系図』が言及されていましたが、
図式的に理解するのはシンドイとおっしゃる向きに
お勧めする小説があります。
『砂子のなかより青き草』(宮木あや子)です。
清少納言が4人の子供を置いて定子に仕えるところから
定子が三番目の子供を産み亡くなるまでの間の「中宮」争いを背景に、
定子の知恵袋=少納言の奮闘が描かれた、フィクションと分かっていても
実にリアリティーのある、それでいて貴族社会の香りがいっぱいの物語です。
道隆、道長あたりの系図がかなりすっきり整理(?)出来ます。
なお、この小説の白眉は敵役で登場の紫式部です。
圧倒的な存在感で、悪役なのに、益々式部を好きになってしまいます。
進乃君改め昭和蝉丸
「昭和蝉丸」ですって!考えましたね。面白い。
蝉丸って訳の分からない人ですが人気ありますもんね。何となく人を喰ったようなイメージでぴったりですよ。「談話室」でも「道しるべ」同様思う存分暴れてください。
『砂子のなかより青き草』ご紹介ありがとうございます。枕草子を読むには格好の参考書でしょうね。紫式部が適役で登場と聞けば読まずにおれません。アマゾン中古で注文しました。