百人一首、日本の文化伝統が詰められた600年のアンソロジー、その裾野の広がりは大きく私たちの文化教養の基礎として大いに貢献していると痛感します。
百人一首が単に古典和歌集としてお高くとまっておればこれほど普及はしなかったでしょう。かるたの形式になったのが大きい。かるたゲームになったお蔭で庶民レベルまで普及した。読み札・取り札を一対として読み手が読み、取り手が早く取ることを競い合う。この方式は外国にはない日本独自のものとのことで、百人一首かるたの発明は国民栄誉賞ものであろう。
そして婦女子にとっては嫁入りに際しての啓蒙・教養の道具としてまた書道の教材として重要視される。人間動機づけが肝心。「百人一首くらい覚えておかないとお嫁に行けないよ!」というように女子は必死に百人一首を覚えたのであろう。逆に男子は「なよなよした大和言葉の百人一首なんぞ」と敬遠し百人一首を苦手とするのが多かったのではなかろうか(まあ今でもそうでしょうかね)。
異種百人一首
有名な小倉百人一首に倣って同様形式の和歌集が編纂されたのは当然
著名なものとしては、
①後撰百人一首: 二条良基&その子孫 14世紀
②新百人一首: 室町九代将軍足利義尚 1483
③武家百人一首: 姫路城主榊原忠次 江戸初期
そして昭和戦時下で「愛国百人一首」
→真に国を愛するならもう1年早く降参してほしかった。
江戸時代あたりから各種パロデイも生まれる。
大田南畝の「狂歌百人一首」1843 が有名
二つほど挙げておきますと、
1番 秋の田のかりほの庵の歌がるたとりそこなって雪はふりつつ
8番 わが庵はみやこの辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治
ヨルタモリの日本古典文学講座も百人一首のパロデイである。
→どうしても下ネタ風になるのは致し方ないところか。
狂歌・川柳の類を楽しむには本歌が分かってなければならない。狂歌・川柳の流行は百人一首が一般人の基礎教養として定着してきたことを意味するのであろう。
→一首づつ川柳を作るというのはどうでしょう。九代目仁王どの、松風有風どの、枇杷の実どの考えてみてください。
他に異種百人一首として、
①「新々百人一首」丸谷才一(新潮文庫) 高尚過ぎて読み切れません。
②「平成新選百人一首」宇野精一編(文藝春秋)
これは記紀万葉から現代まで著名な歌が選び抜かれていて秀逸だと思います。
目次だけでもご一覧ください。
ということで、ウオームアップを終了します。4月から本番です。うまくリードできるか全く自信ありません。みなさまのバックアップをお願いするのみです。どうぞよろしくお願いいたします。
では、始めるにあたり競技かるたに従って序歌を、、、
難波津に咲くやこの花ふゆごもり今を春べと咲くやこの花
王仁(生没年不詳 渡来人) 古今集仮名序
・古今集仮名序でもう一つ歌の父母と称されているのは、
安積香山影さへ見ゆる山の井のあさき心をわが思はなくに
前采女(生没年不詳) 万葉集
・この二つが和歌を習い始める基本、書道(手習い)の教材でもあった。
・源氏物語「若紫」で10才の紫の上を所望する源氏に祖母尼君が「まだ難波津をだにはかばかしうつづけはべらざめれば、、、」と躊躇するところでこの二つの歌が引かれている。誰もが知っている基本中の基本だったのだろう。
それではこれでウオームアップ終了、いざマウンドへ!!
「百人一首」が昔、婦女子の嫁入りに際し教養の道具とされていたなんて!!
今の平成の世なら誰もお嫁にいけないことになりますね。
様々な異種百人一首が編纂されていたのですね。
その中の「平成新選百人一首」読んでみたいと思います。
ところで漫画「ちはやふる」3巻まで読みました。
冒頭
難波津に咲くやこの花ふゆごもり今を春べと咲くやこの花
何、これ?こんなの百人一首に無い筈なのにと思ってびっくりしました。。
競技かるたの序歌として読まれることを初めて知りました。
競技かるたについてはニュースでちらりと様子を見、まるでスポーツ競技だなと思ったぐらいで全くルールなど知らなかったのです。
先ずは漫画で競技に様々なルールのあることを知りました。
今まで遊んでいた「かるた」はそういう物を一切無視していました。
まあ遊びだからそれで良いのだとは思いますが・・・・
そして源氏物語「若紫」 思い出しました。
この和歌が手習いの教材だったのですね。
9回のウオームアップにお付き合いして「百人一首」にはいろんな世界が散りばめられていることを感じました。
さあ!!来月の一球目、どんな角度からの世界が描き出されるのでしょうか?
とても楽しみです、期待しています。
(お知らせ)
先週土曜日(28日)一年間に渡り放送された佐藤勝明先生の芭蕉 「奥の細道」が終わりました。
飛び飛びに聴いていましたが4月からは新しく芭蕉の紀行文を読む 「野ざらし紀行」と「笈の小文」が始まります。
1.「ちはやふる」面白いですか。私は中学生編(小説)を斜め読みしただけですが競技カルタのことよく分かりました。まあ何ごとも熱中することはいいこと。子どもたちに古典の世界を知らしめるだけでも意義あることだと思います。
2.古今集仮名序にある「難波津」の歌が競技の序歌とされている。これはグッドアイデアだと思います。平安王朝の人々にとって古今集はバイブルだったのでしょう。
・紀貫之が書いたとされる仮名序は格調高い(個々人への評価はちょっと激越かと思うが)。是非一読してください。
冒頭部分(ウキぺよりコピペ)
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり
・村上天皇女御(藤原芳子)は古今集1,100首を全て諳んじていた。天皇が本当にそうか試したら完璧だったと伝えられている(枕草子21段にも記事あり)。
→ちょっと考えると恐ろしい話だが、頭脳明晰で美人の人はいるものなんでしょうね。きっと紫式部も清少納言もこの人のこと意識してたと思います。
3.佐藤先生の古典講読、私も毎週録音で聞きましたが寝る前に聞くので「松尾芭蕉の生涯をたどる前半部分、、、」でいつも寝入ってしまい肝腎の奥の細道部分は殆ど聞けませんでした。やっぱりテキストがないのが拙いですね。「野ざらし紀行」「笈の小文」もいっしょのことになるでしょう。
こんにちわ。この談話室もウオームアップからマウンドへ、いよいよ本番ですか。
そういえば黒田は堂々としたマウンドだったそうで、TV放送が無く残念でした。よく見ると黒田の顔は平安貴族?烏帽子をのせて、白化粧させれば。
基礎学習として「揺れ動く貴族社会」を図書館から取り寄せ久し振りに歴史学習しました。平安時代は百々爺さん書くように実にいろんなことが起こった時代。当時の社会は浄土信仰、末法思想に支配されていたというが、百人一首にそれがあるのか、歌詠みは仏教とは異次元の世界か。
先々週末に京都でOB会があり、直帰するのはもったいないので嵐山の時雨殿に立ち寄りました。チタンパネルに刻まれた歌と解説に囲まれた雰囲気のある綺麗な展示室で、いろんなカルタ、100体の歌仙人形、歌詠みシーンのジオラマがあり面白い。
小倉山麓の常寂光寺、二尊院、清凉寺など散策し、時雨亭跡のスポットにも行ってきました。今は有数の観光地で大堰川両岸は大混雑だが定家が過ごした時は山深く人気がなく獣と草花と宙しかない。和歌を中心にミッション・パッション・ハイテンションの生活だったのでしょう。
時雨亭跡地から見下ろす京都市街はまことに絶景でした。
百人一首は日本文化が凝縮されたテキスト(吉海直人)とのこと、すこし興味がわいてきました。川柳ですか。感性、句才のないこの身ではたして・・・。
黒田は予想通りの堂々とした勝利だけど、嬉しかったのは巨人の新人、高木勇人の初勝利。高木なんて全く知らなかったけど、テレビをつけたら、三重県津市出身とのこと。彼も新人の割に堂々としていると思ったら、既に25歳。海星高校卒業後、7年間も社会人野球で苦労して、漸くドラフト3位で巨人に指名してもらったとか。頑張れ、遅咲きの新人、タッカーギ !!!
えっ、海星とは知ってましたが津市なの?それは応援しなくっちゃね。巨人戦は巨人リードの試合は見ないことにしているので昨日もチラチラとしか見ませんでした。今度予告当番の時はじっくり見てみます。それにしても開幕一軍で第3戦に先発、初勝利とはすごいですね。
新聞によると高校時代からプロ志望で三菱重工名古屋で何度も都市対抗に出てたとのこと。一体地元球団は何をしてたのでしょうねぇ。情けない。菅野・中田と同世代、楽しみですねぇ。
黒田、なるほど、面白い。カープは今年はやるんじゃないでしょうか。
百人一首に浄土信仰、末法思想が見られるのか、注目していきましょう(僧侶も多いですが線香くさい歌はあまりないかも)。
嵐山・嵯峨野散策よかったですね。昨年末行った源氏完読記念旅行のこと思い出しました。残念ながら時間がなく時雨殿の中には入れませんでした。
序歌の「難波津に咲くやこの花ふゆごもり今を春べと咲くやこの花」は大阪(難波津)の人々にとって、誇りや親しみを感じる歌なのでしょうね。25年前に大阪の鶴見緑地で開催されたEXPO’90「国際花と緑の博覧会」、通称「花博」における大阪市のパビリオンはその後「咲くやこの花館」と名付けられ、世界中の植物を観賞できる施設となっています。花博には小生も行きましたが、会場にマスターズの開催地であるオーガスタGCの12番ホール(有名なアーメン・コーナーにあるpar3のホール)そっくりなホールが設けられ、そこでワンオンにチャレンジできるなど、バブル経済期最後のお祭りといった雰囲気もありましたね。
大阪市には花博のずっと前の1925年にこの序歌から名前を取った浪速区や此花区も誕生しています。そして、此花区には何と「咲くやこの花中学&高校(中高一貫教育)」もあるようですね。
ところで、日本にはこの序歌が作られる前から、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)という女神もいらっしゃいますが、この女神さまと序歌とは関係があるのでしょうか?
EXPO’90、そうだったんですか。大阪人は難波という言葉に誇りを持っているのでしょうね。何せ百人一首には19番(難波)20番(侘びぬれば)88番(難波江の)と3首も出て来るし18番(住の江の)も入れれば4首ですもんね。それと大阪市の市章がみおつくし(澪標)(20番・88番)というのも面白いですね。
オーガスタの12番ホールですか、やってみたいなぁ。短いのに乗せるのが至難、ショートで池、オーバーでバンカー・ブッシュ、一つ間違えばダブルボギーですもんね。。
コノハナサクヤヒメさまのことは神話の大家にお聞きしないとよう分かりません。そう言えばこのお姫さま奥の細道の室の八島のところで出てきましたね。
古今和歌集を引っ張り出してざっと読んでみました。
この歌の「さくやこのはな」は「咲くこの花」と続く連体語の終りに間投助詞「や」をおいた形だそうです。(「や」は詠嘆の助詞)
同様の使い方として古今和歌集469「ほととぎすなくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬこひもする哉」があります。
古事記で三人の子供を火の中で生んだ「コノハナサクヤヒメ」とは関係ないようです。
ただし私の本は昭和40年のものなので、新説が他にあるかもしれません。興味があればお調べください。
仮名序にでてくる「めがみをがみとなりたまへること」とはイザナギとイザナミとが夫婦におなりになったこと。「したてるひめとは、あめわかみこのめなり」はシタテルヒメはアメワカヒコの妻となり、ということ。
神様はこれくらいでてはきますが、なんともわかりにくいです。
早速に調べていただいてありがとうございます。「や」は間投助詞ですか。サクヤコノハナとコノハナサクヤとは違うんですね。なるほど。
王仁って伝不詳ながら半島からの渡来人のようですね。渡来人が宮中に仕え論語などを伝える。そして詠んだ和歌(やまとうた)が和歌の父母として古今集序で崇められる。日本文化が如何に渡来人のお蔭で築かれてきたか改めて考えさせられます。
ウオームアップが終了しましたが、正直、ヘビーでした。
極厚のステーキの後に、スキヤキが出てくるような感じ。
付いていけるかなぁ?
「→ 一首づつ川柳を作るというのはどうでしょう。
九代目仁王どの、松風有風どの、枇杷の実どの
考えてみてください。」
これ、わたくしも お願いします。
ステーキの後は パリパリの野菜サラダが欲しくなります。
でも錦織も並み居る豪速サーバーにしがみつき、
昨夜も快勝、16強に進みました。これに倣い
来月からの本番、しがみつきながら楽しませて頂きます。
昭和蝉丸
えっ、何で!?あの源氏をいとも簡単に受け入れられた蝉丸どのが、ちょっと体調悪いんじゃないですか。百人一首、、、これやこの、、、色んな時代色んな人が出てきます。ちょっと合わないところは、、、知るも知らぬも、、、「ああそんなものか」と流すのも手かもしれません。
付いていけるか、、、なんて悩んでいるご仁には爺は「とにかく100首全部暗記しなさい!」と突っぱねています。いい財産になりますよ(相続不能ですけどね)。。
ウオームアップ終了、いざマウンドへ!!
今夜は颯爽とタイガース 能見君の登場ですな。おっと難波津のお話でしたね。安芸、お江戸、尾張、難波それぞれにマウンドへ ですね。
難波の「咲くやこの花姫」。霊峰富士の浅間神社におわしますね。昔から転勤族だったのかも。東上ののち、全国に支店を開設された模様。
今夜の難波津タイガース。咲くやこの花?いや 咲かせて見せましょう。史上初の開幕三連勝の勢いで。でっ、勝利の美酒もて、昭和蝉丸師御推奨の「砂子のなかより青き草」(宮木あや子)を紐解きましょう。ああ、それと○○としての投句もね。
コノハナサクヤ姫、色んなところにおわしますんですね。奥の細道(室の八島)では「此の神は木の花さくや姫の神と申して、富士一体也」となってます。富士浅間神社がご本社なんでしょうかね。本社があってフランチャイズチェーンを展開する、、、昔も今も変らないですね。
開幕3連勝って史上初ですか、、、、、またまた落ち込んでしまいました。「砂子のなかより青き草」、途中です。面白いですね。さあ、ハリルホッジ見なくっちゃ。。
難波津に咲くやこの花ふゆごもり今を春べと咲くやこの花
奥の細道の室の八島
これらとコノハナサクヤヒメの関係性について古事記の大家三浦氏にメールで問い合わせてみましたら以下のお返事をいただきましたので参考までに。
「この花」はウメとされているのでしょうが、とくにコノハナノサクヤビメという女神と結び付ける必要があるかどうか。木の花(ウメあるいはサクラ)を詠んでいると考えればいいとすれば、女神が出てこなくてもじゅうぶんに理解できそうですね。
曽良がそう言っているというのは確かですが、室の屋島(下野国の大神神社)にコノハナノサクヤビメが祀られているというのは不自然ですね。本来まったく関係のない神ですから。曽良以前にそういう説があったのかもしれませんが、どこから出てきたのかはわかりません。あるいは、曽良の言葉が有名になってからコノハナノサクヤビメと結ばれることになったのかもしれません。調べたこともないのでよくわかりませんが。
あまり知識がなくて、お返事できることは以上です。
取り急ぎ。
三浦佑之 拝
さすが小町姐さん、すごい行動力!
お蔭でよくわかりました。その解釈でいいのですよね。
三浦大先生の親切なお返事にも感謝です。
えっ、三浦先生に問い合わせた!すごいですね。返事をいただけるのも小町姐さんだからでしょう。ありがとうございました。
1.難波津の「サクヤコノハナ」は百合局さんもおっしゃる通り神さまとは関係ないですね。この花何の花については春になってすぐ咲く花で梅というのが定説のようですが私はむしろ桜でいいのじゃないかと思います。だってその方が華やかじゃないですか。
2.室の八島が富士浅間神社の末社かどうか、三浦先生は関係ない筈とのご見解、そうなんでしょうね。でも神社フリークの曽良が言ってるのも面白くっていいじゃないですか。室の八島は煙が詠まれた歌枕だったようでそこから火で身を焼いたコノハナサクヤ姫が連想されるのはむしろ自然かもしれません。
芭蕉が室の八島で詠んだとされる句
糸遊に結びつきたる煙哉
賑やかになってきましたね。
プロ野球(広島ファン、阪神ファン、巨人ファン、中日ファンが入り混じってるなぁ)、テニスにサッカー、百人一首以外にもいろいろ見なくちゃいけない(?)んで大忙し。「咲くや此花」に関しては僕が思い浮かべるのは フランク永井の「大阪ロマン」、「泣かへんおひとが しのび泣く 濡れてやさしい みどりの雨よ 好きやねん 好きやねん いちょうねぐらの 堂島すずめ 恋を 意気地の 文楽人形 好きやねん 好きやねん 咲くやこの花 大阪ろまん」=一番= ってヤツです。正調派の大阪演歌という感じなかなかいい詞ですなぁ。作詞は石浜恒夫、作曲は吉田正だそう。当然「キヨノリ千歌」には入ってるでしょうね。
そうか、「大阪ろまん」に「咲くやこの花」出てきましたね。さすが歌えないけど歌謡曲通の仁王どのですね。ご指摘ありがとうございます。
勿論爺の1000曲リストには入っています。フランクの大阪ものは他に「こいさんのラブコール」(S37 なんで泣きはる 泣いてはる~~」と「大阪ぐらし」(S39 赤い夕映え 通天閣も~~」があります。
おっと、敦賀気比見なくっちゃ。。
芭蕉が室の八島で詠んだとされる句
糸遊に結びつきたる煙哉
またもや「糸遊」に反応してしまいました。
源氏物語「蜻蛉」の段で蜻蛉とは?
錦三郎著の「飛行蜘蛛」です。
芭蕉の句に糸遊が出てくるとはね。
「糸遊」は東北地方の蜘蛛に見られる現象ですからさもありなんと思います。
ああ、どうしようこんなに次々とバカバカしいことばかり考える小町姐には我ながら呆れてしまいます。
「糸遊」と書いた時、「あっ、飛行蜘蛛だ、小町姐さん何かおっしゃるかな」と思いました。予感的中でした。陽炎と蜻蛉、、浮舟ですねぇ。。
あれまぁ~!
一昼夜でギョウサンですねぇ。
お応え川柳は
ちはやふる ホンマはワテも ふられたデ
落語「千早ふる」を踏まえてるんでしょうか。
リクエストも多いようなので是非一首づつ川柳に挑戦してください。いい記念になりますよ。。