60番 和泉の小式部 まだふみもみず、、、

情熱の天才歌人和泉式部の娘、小式部内侍の登場です。短い人生でしたが母に負けず存分に人生を謳歌した女性のように見受けましたがいかがでしょう。

60.大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立

訳詩:    母のいる丹後の国は遥かかなた
       私はまだその地を踏みもせず
       なつかしい母の文もまだ見ていません
       大江山そしてまた生野の道
       あまりにとおい 天の橋立

作者:小式部内侍 ?-1025 享年26-7才 母は和泉式部 中宮彰子の女房の一人
出典:金葉集 雑上550
詞書:「和泉式部、保昌に具して丹後国に侍りける頃、都に歌合のありけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、中納言定頼つぼねのかたにまうできて、歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしけむや、使ひはまうでこずや、いかに心もとなくおぼすらむ、などたはぶれて立ちけるを、ひきとどめてよめる」

①小式部内侍 生年は999(大弐三位と同じ)と考えておきましょう。
・父橘道貞 母和泉式部(和泉式部の初婚、20才の時の子)
 56番歌の時の和泉式部の年暦を小式部内侍の側から見てみましょう。

 995 父母結婚
 999 @1 小式部内侍誕生
1001 @3 母、父との関係悪くなり為尊親王と交際始まる。翌年為尊親王死去
1003 @5 母、敦道親王と交渉、敦道親王邸へ召人として入る。
1007 @9 敦道親王死去 母、宮邸を去る
1009 @11 母、中宮彰子に出仕 ほどなく小式部もいっしょに出仕したのか。
   その後華々しい男性遍歴を重ねる。
      藤原教通(道長の五男)と結婚 静円を生む
      64藤原定頼(公任の長男)と交際 -60番歌のエピソード
      藤原頼宗(道長の次男、右大臣、歌人でもあった)と愛人関係
      藤原範永(藤原氏傍流、歌人)と結婚、女子を儲ける
      藤原公成(藤原氏支流、歌人)と結婚、
1025 @27 頼仁阿闍梨を出産後死去@27

 幼少にして父母は離婚、父は無関係となり、母も男性遍歴を繰り返す。
 母と宮中に出仕後、今度は自分が男性遍歴。上に挙げただけで5人の男性。
 その内、3人との間では子を生んでいる。
  
 →恋多き女性と言えば聞こえはよいが、いくら何でもやり過ぎではないか。乱婚でもあるまいし、、。
 →この間、小式部はどこに居たのか。母の実家たる大江雅致邸に居てそこへ男たちが通って来て、そこで出産したのだろうか。よく分かりません。

・母とともに彰子中宮に出仕。紫式部母娘は母が引退した後、娘が入っている。
 →母娘でお仕えするってどういう感じなんだろう。お互いやりにくいこともあったのだろうか。

・小式部は内侍(天皇との取り次ぎ役内侍司の女官)を勤めている。
 →歌の才もあり、事務能力にも長けていたのだろうか。

・27才での死去は哀れである。出産がいかにデンジャラスだったか。
 重病に陥った小式部が母和泉式部に詠みかけた歌
  いかにせんいくべきかたも思ほえず親に先立つ道を知らねば
  →この時は持ち直したというが。親に先立つ不孝、切ない歌である。

②歌人としての小式部内侍
・幼い頃から美人で歌の才能ありと名高かった。
 →何と言ってもあの和泉式部の娘、当然世間は持て囃したのでしょう。

・後拾遺集以下勅撰集に4首
 千人万首より、

 二条前大臣、日頃患ひて、おこたりて後、「など問はざりつるぞ」と言ひ侍りければよめる
  死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしかいきてとふべき身にしあらねば
(後拾遺集)
  →何で見舞にきてくれなかったのかとの教通の問いかけへの返歌 当意即妙の歌

・私家集もないようだし折角の男性たちとの恋の贈答歌もあまり残っていないようだ。和泉式部とは違った感性でもあったようで面白い歌もあったと思うのだが残念である。

③60番歌 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
・58番歌「有馬山・猪名」に対抗してのご当地ソング「大江山・生野・天の橋立」
 →大江山は京都市西北の大枝山(481M)が多数説のようだが酒呑童子伝説の丹後の大江山(800Mクラス)の方が面白いのでは。

・地名を散らし、「生野・行くの」、「文・踏み」、掛詞と縁語を巧みに取り入れた技巧的な歌。
 →中学高校の教科書に必ず出てくる有名な歌。百人一首中でも覚えている歌ランキングでは上位であろう。

・金葉集に長い詞書 このエピソードも有名
 64定頼が「お母さんからの代作は届きましたか」と問いかけたのに対する返歌。
 小式部の才能がほとばしる当意即妙な歌だとされる。

 このエピソード、色々勘ぐってみると面白い。真実に迫ってみましょう。
 *小式部の歌は母が代作しているとの噂があった。
  →和泉式部は自分の純な感情は詠めても人の代作は不得意だったのでは。
  →噂に基き小式部はこの歌を予め考えていたのではないか。

 *返歌もできずこそこそ逃げ出したとされる定頼
  →三舟の才55公任の息子としたことが恥ずかしいのでは。
   この時公任はまだ元気に活躍中、息子に説教の一つも垂れたのであろうか。
  「何だったらオレが代作してやってもよかったぜ、、、」とか。

 *詞書にある歌合せ、公任主催のものだったとの解説もあったが、一方では確たる記録が見当たらないとの記述も。
  →どうなんでしょう、定頼と小式部が組んだヤラセだったとしたら出来過ぎでしょうね。

・エピソードが先行し肝腎の歌の鑑賞が妨げられるきらいがあるが、この歌、機智に富んでいて私は大好きです。
 →「あなたが定頼だったらどんな歌を返しますか、、、」なんてのも面白いかも。
 →爺はカラオケは得意ですが和歌はできませんので悪しからず。

・定家の派生歌 
  ふみもみぬいく野のよそにかへる雁かすむ浪間のまつとつたへよ(藤原定家)

④源氏物語との関連
さっぱり思いつきません。以下苦し紛れです。
・小式部は3人目の子を産んで27才で亡くなる。
 →葵の上は初産、夕霧を産んで26才で亡くなる。

・内侍司の長官は尚侍(ないしのかみ)
 →源氏物語では朧月夜と玉鬘が尚侍になっている。
 内侍司の次官は典侍(ないしのすけ)
 →あの老熟女源典侍が有名

・「大江山」のように冒頭に〇〇山と歌枕を詠みこんだのは源氏物語では以下3首
 浅香山あさくも人を思はぬになど山の井のかけはなるらむ(源氏@若紫)
 鳥辺山もえし煙もまがふやと海人の塩やく浦見にぞ行く(源氏@須磨)
 妹背山ふかき道をばたづねずてをだえの橋にふみまどひける(柏木@藤袴)

失礼しました。お後がよろしいようで。。。

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21 Responses to 60番 和泉の小式部 まだふみもみず、、、

  1. 小町姐 のコメント:

    この歌は余りにも有名過ぎる。
    大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
    この母有りてこの娘有り。
    百々爺さんの解説によれば恋愛関係もしかり、母に勝るとも劣らずですね。
    紫式部母娘同様に母子で彰子に仕えている。
    若くして才気煥発、歌がうまいのは母親の代作ではないかと(64番藤原定頼)に疑われ即興に詠んだ大江山。
    バカにしないでよ!!定頼さま、と言ったかどうか?
    権中納言定頼、公任の長男「思はずにあさましうて、 こはいかにかかるやうやはある とばかり言ひて返歌にも及ばず袖を引き放ちて逃げられにけり
    この勝負、明らかに小式部の勝ち、痛快ですね。
    掛言葉、縁言葉がふんだんに使われしかもウイットに富んでいる。
    母を嘆かせた早世は誠に惜しい、しかし歌で世に遺る。
    もっと長命であれば母に劣らず多くの名歌が生まれたかも知れず惜しい才能を失くしたのは残念である。
       大江山待てど暮らせど来ぬ文を寝なまし空に月かたぶきぬ 
    お粗末でした   

    • 百々爺 のコメント:

      先週から娘二家族が同居しており家の中は難民状態、爺は民宿のあるじ業+保育園の保爺状態で机に座れません。そんな中、自治会の源氏講座やら年寄りゴルフ会やら、、、。返信もなおざりになってしまい申し訳ありません。

      ・紫式部母娘、和泉式部母娘。二組の母娘から母娘関係を考えるのは面白いかもしれません。それぞれ娘は母をどのように見ていたのでしょうか。母のようになりたいと思う面と母のようにはなりたくないという面もあったのでしょうか。 男性との関係を見ると小式部は母の生き方を肯定していて、男性を何度も取り替えています。27才にして5人とするともっと長生きしたら一体何人の男性と結婚することになったのか、それぞれの子どもは誰がどのように育てていったのか、、。

       →小式部の生き方からは家族のあり方、子どもに対する両親の責任など現代にも通じる問題が多数内包されているように思います。

      ・おっ、久々に小町姐和歌出ましたね。ありがとうございます。
       59番歌と60番歌を見事につなげて素晴らしいと思います。こういう風に前歌との連携で100首詠むのも面白いかも。。。

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    流るような響きのある心地のいい歌であるが、なかなか技巧を凝らしたコテコテ感もある歌でもある。また直情的お母さんの歌とはかなり違う作風。
    小生には 62番歌

    夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ

    の清少納言の歌のほうが、歌どうしでは、親子に近い感有です。

    千人万首を見ると

    春のこぬところはなきを白川の わたりにのみや花はさくらむ (詞歌 280)

    という、典型的和歌(古今調でよろしいですか)を詠っていました。

    最近映画爺になっていることは先週書きましたが、一昨日も見てきました。

    ”ちはやふる”です。漫画を読まれた方も多いと思いますし、小5の孫は拙宅に来るたびこの漫画の各巻を10回近く読みふけっていましたが、小生はこの映画で初めてストーリーを知りました。
    主演の広瀬すずも熱演で、競技カルタの激しい世界を見たという感じになりました。でも、これは百人一首の世界観とは別世界、と少し斜め気味で思っていたら、歌の世界を理解する女の子も登場、競技カルタの世界に没入、これが、かの”舞妓はレディー”で舞妓役をした上白石萌音、顔のイメージが完全に違っていましたが、それでも広瀬すずとの役柄の組み合わせもよく、面白く見てきました。
    劇場は、100人以上が高校生、数十人の中学生に、おじさんは小生ともうひとりだけ(ともに60歳代)、おばさんも3-4人だけ、高校時代に戻った感じすら。
    今回は、上の句でカルタ部結成から、東京地区戦優勝までのストーリー、下の句は近江神社での全国大会まで、4月上映らしいので、楽しみです。

    • 百々爺 のコメント:

      ・和泉式部と小式部内侍との歌風の違い、爺には元よりよく分かりませんが、とにかく心に浮かんだパッションをそのままぶつけたような和泉式部の詠み振りは天才そのもので娘と言えど小式部にはできなかったのでしょう。その分時代に即した無難な歌風になっているということでしょうか。
       (次々週は清少納言、楽しみですね。まだ投稿手についてませんが)

      ・そうでした、どこかで見た顔だなと思ってたら舞妓役の子でした。
       学校で競技かるたをやるのは大いにけっこうですが折角日本の最たる文化遺産なのですから、決まり字の上下1~2字だけでなくキチンと31文字を勉強して欲しいと思います。呉服屋の奏チャンを登場させたのは作者の見識だと思います。

  3. 小町姐 のコメント:

    八麻呂さんも映画にはまりつつあるようですね。同趣味の人が増えてうれしいです。

    どこかで見た女の子だな~と思っていました。
    そうでした、思い出しました。「舞妓はレディー」で熱演した歌の上手い女の子でしたね。
    今回は呉服屋の娘で歌を愛する大江奏チャン。なかなか面白いキャラです。
    今月は合計6本の映画で締めくくりました。
    来月29日に「ちはやふる」下の句が公開されます。楽しみにしましょう。

  4. 百合局 のコメント:

     和歌を作らない私ですが百々爺の挑発にのって、もし私が定頼だったら、こんな歌を詠んで小式部内侍を誘ってみたい。
     遠けれど君と二人でいく野ならおもしろからむ天の橋立
    小式部内侍に馬鹿にされるかな?

     定頼と教通と小式部内侍の関係で次のような面白い記事がありました。
    小式部内侍と教通が臥しているところに定頼が訪れ、侍女にそれと知らされ定頼はすごすごと帰る。帰ろうとしながら立ち止まった定頼は尊い経文の一節を朗々と読み上げ、小式部ははじめふと耳を立てて聞き澄ますようであったが、やがてゆるゆると遠のく声に嘆息しつつ寝返り、教通に背を向けてしまった。後に人に教通は「さばかり堪へ難う恥づかしかりしことなかりしか」と言ったとか。 これを読むと小式部内侍と定頼とが好ましい間柄だったような気がしますよね。

    謡曲『大江山』にある「真なり此処は名を得し大江山、生野の道はなほ遠し、天の橋立与謝の海、大江の天狗も我に親しき友ぞと知ろし召されよ」は、この小式部内侍の歌「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」からとっています。

    謡曲『九世戸』にある「丹波路の末遥々と思ひ立つ、旅の衣の日も幾日、生野の道の程遠き、まだ踏みも見ぬ橋立や、はや九世の戸に着きにけり」も、同じくこの60番歌によっています。

    • 百々爺 のコメント:

      ・何と!よくぞ挑発に乗っていただきました。さすが百合局どの当意即妙ですね。王朝の後宮勤めをしてたらユリちゃんの局は男たちが押しかけたでしょうよ。  
       遠けれど君と二人でいく野ならおもしろからむ天の橋立
       →これは定頼の勝ちでしょう。新婚旅行に二人で母の居る丹後天の橋立へ出かけるというのもいいじゃないですかねぇ。

      ・男女が同衾している所へ別の男が入ってくる、、、、なんてこともしょっちゅうだったのでしょうね。現代の感覚からするとぞっとするような修羅場が現出されるのではと思いますが、当時は日常茶飯事で大したこともなかったのかもしれませんね。定頼は朗々と経文を読み上げ退出したのですか。示威行為ですね。
       →それで教通は恥じ入った! そんなばかな。教通は子まで成した最初の夫じゃないですか。普通なら定頼を罵倒し妻を糾弾し張り手の一つも飛ばすところだと思いますが、王朝の貴人はそんなことしませんものね。

       →源氏が3倍も年上の源典侍と同衾しているところにおふざけで頭中将が押しかけてくる場面がありましたね。ふるえる老女、刀を構えて対峙するも相手が分かりふざけ合う二人の若者、、、なんじゃこれはと思いました(紅葉賀14)。
       

  5. 文屋多寡秀 のコメント:

    スプリングハズカム、春ですねえ、至る所春いっぱいですねえ。選抜高校野球、大相撲春場所、プロ野球開幕。こりゃあ、体がいくつあっても足りまへん!!
    由伸Gが3連勝なら、中日ビシエト3戦連発。阪神ヘイグも負けずに、3戦連続タイムリー。嬉しいね、新生金本阪神、●○○の好発進。

    以下はデイリースポーツ(3/28)からの引用
    ヘイ!グー!金本知憲監督(47)も最敬礼の大活躍だ。阪神のマット・ヘイグ内野手(30)が4-4の六回、決勝の右前タイムリーを放った。開幕から3試合連続適時打は球団の新外国人としては史上初。チームも開幕戦黒星の後、2連勝でカード勝ち越しが決定。●○○スタートは優勝した1985、2003、05年と同じ吉兆や!(●が小さいのは意図的ではありません。なぜかそうなってしまう)

    まあね。気持はわからんでもありませんが、欲目にもやや浮かれ気味。長~いシーズンが始まったばかり。正統派ファンとしては、他チームの動向も注視して冷静に対処してゆきましょう。

    さて60番歌 小式部内侍

     大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立

    御幼少のみぎり、余り百人一首には馴染みのなかった多寡秀も、この歌は諳んじております。それほどポピュラーにして且つ人気のある歌ですよね。

    母のいる丹後の国は、大江山、生野を通って天の橋立までとても遠いから私はまだ踏み入っていませんし、文も見ていません。という意。「大江山いく」「いく野」と、「まだ踏みも見ず」「まだ文も見ず」という二組の掛け詞を組み入れて、中納言定頼のからかいに見事に応じた、機知と才気に溢れた一首であります。中納言は、ほうほうのていで立ち去ったとか。
    しかし百合局さまの「小式部内侍と定頼とが好ましい間柄だった」とのご指摘なんぞありますと、やらせだったのかなあとか、前もって用意しておいたのかなあとか、ふたりのほのぼのとした交情が漂ってきますなあ。

    こんな事情を抜きにして読めばそれほどの名歌とも思えない。との説も。(彼の阿刀田説)

    余談ながら、21世紀の巷間では、
    「あなた、教養あるねえ、いつから」
    「今日よ」
    会話にシャレが入り交じる。ダジャレや、親父ギャグと呼ばれ軽蔑されることが無くもない。このシャレと掛け詞は構造的にはよく似ています。単に笑いを狙うだけか、二つのイメージを漂わせて余情を誘うか、目的の違いがポイントになりましょうか。

    このあたりの吟味は掛け詞が当時の和歌の技巧として評価された背景を考えねばなりません。この構図はコピペと本科取りにも言える基本的な相違点でしょうかね。

    そしてお二人の競演

    小町姐
     大江山待てど暮らせど来ぬ文を寝なまし空に月かたぶきぬ 

    百合局
     遠けれど君と二人でいく野ならおもしろからむ天の橋立

    お見事というほかありません。脱帽!!
    (こんなにす~っと詠めれば月末の俳句に冷や汗流すこともないんですが・・・。)

    • 百々爺 のコメント:

      ・そうですか、阪神地区の球団は●○○と来ただけでもう大騒ぎですか。まあ、いいでしょう。それでこそデイリースポーツも売れるというもんですな。
       相変わらず甲子園には魔物が棲んでおりますねぇ。先週のいなべ対高松商、それと昨日の木更津対秀岳館。爺の熱烈応援する二チームとも勝利を目の前に最終回の詰めの甘さで儚くも散ってしまいました。勝ちきることの難しさ、若い人には身をもって知って欲しいですが、もうこの年になってはTVサイドで応援する身とは言え味わいたくありません。折角大阪桐蔭を破って絶対優勝だと思ったのに、、、ブツブツ。

      ・小式部と定頼、二世同士。二人とも親に比べるとやはり小粒に感じられるのですが単に先入観でしょうか。親同士(和泉式部と公任)も軽妙な駆け引きどまりだったようですから小式部が定頼と恋仲になったとすれば親を越えたとも言えましょうが。。

      ・掛詞や縁語、歌人たちはきっと愛用の虎の巻をいつも懐に入れていたのでしょう。しゃれと掛詞、使う人と使い方で下品にもなるし含蓄深いものにもなる。末摘花や近江の君が使う以上馬鹿にしかされない。要は人だと思います。

      ・いけない、月末近づいてますね。ちょっとブルーになりました。

  6. 在六少将 のコメント:

    60番とは全く関係ないのですが、今朝の日経朝刊文化欄でエンジニアリタイア爺が和泉式部の全歌1549首を現代短歌に置き換えた話が掲載されてます。
    世の中にはいろんな人がいるもんだと感心しますが、この人はまた自宅を開放したサロンで、百々爺のように地域の方と交流しているとも。それもまた楽しいだろうなと思いました。
    参考まで。

    • 百合局 のコメント:

      その記事私も読みました。月一回自宅を開放しての同好の集い「サロン・ド・和泉式部」いいですよね。
      百々爺のやっていることと似ていますね。
      「うかうか近づくと、やけどするに決まっている。時を隔てたまま、焦がれているのがよいのかもしれぬ」と和泉式部を評してありましたね。

      私もわが隠れ家(亡くなった母がすんでいた場所)を開放していますが、私の思うようなサロンにはほど遠いです。
      市内の私の友達はここに来て、言いたい放題、心に溜まったことをはき出しています。それぞれ、ご主人の介護とか病とかいろいろあるので、しかたありませんね。
      連れ合いの川柳仲間は、打ち合わせと称して、ここに集まりますが、最後は飲み会になります。私の役目はビールを冷蔵庫に入れておくことと簡単なつまみを用意することだけです。あとは退散して勝手にやってもらっています。
      もう少し文芸の香りのする雰囲気にならないものかとも思いますが、私が私だから、まあ、しようがありませんよねえ・・・

      • 百々爺 のコメント:

        ・「うかうか近づくと、やけどするに決まっている。時を隔てたまま、焦がれているのがよいのかもしれぬ」

         言い得て妙ですね。でもいざとなれば「やけどしてもかまわないや」って心境になるのかも知れませんがね。

         爺も紫式部に焦がれていますが同じことが言えるのでしょうね。

         「うかうか近づくと、バカにされるに決まっている。時を隔てたまま、焦がれているのがよいのかもしれぬ」

        ・だって百合局さんが関与してるサロンなんでしょう。十分に文芸の香りがするじゃありませんか。古典に俳句に伝統芸能そしてその内、謡も始まるのでしょうから。大切にしてください。

    • 百々爺 のコメント:

      ありがとうございます。技術屋さんが和泉式部ですか、いいですねぇ。全歌を現代短歌に置き換え。もうなりきりですね。理詰めで終始してきた会社人生に区切りをつけ今度は理屈を度外視した情熱歌人になりきる。素晴らしいと思います。この方、ブログでもやっておられないのでしょうかね。

  7. 源智平朝臣 のコメント:

    「蛙の子は蛙」ということでしょうか、小式部と母親の和泉式部はよく似ていますね。魅力的な女性であったこと、歌の才に恵まれていたこと、恋多き女性で華々しい男性遍歴を重ねたことなど、小式部は正に和泉式部二世と呼ぶに相応しい女性ではないでしょうか。でも、享年だけは母の50歳以上に対して26-7歳と、太く短い人生でした。和泉式部は娘の小式部の死を悼んで、悲痛な叫びともいえるような悲しい歌をいくつか詠んでいますが、既に56番歌の解説で紹介があったので、再掲は差し控えます。

    小式部の60番歌と紫式部の娘である大弐三位の58番歌は共に二世女流歌人の歌であるためか、構造的にとてもよく似ています。この点も58番歌の解説で指摘がありましたが、説明はなかったので、ここで詳しく見てみましょう。

    58番 有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
    60番 大江山生野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
    ①両歌とも「有馬山、猪名野」・「大江山、生野」」と地名を詠み、それが「否」・「行く」の掛詞となっている、②3句目が接続助詞「ば」になっている、③4句目に「そよ」・「ふみ」という掛詞が置かれている。
    以上は構造的な類似点ですが、内容的に男に対する手厳しい返歌であることも共通しています。さらに、その相手の男が同一人物である可能性もありますが、この点は60番歌については、詞書から相手が藤原定頼であることが明らかであるのに対して、58番歌の詞書からは間遠になった男としか分かりません。でも、定頼は大弐三位と男女関係があったらしいので、あるいは58番歌の相手も定頼かもしれないようです。いずれにせよ、両歌とも天才女性を母に持つ才能豊かな女流歌人が詠んだウィットに富むクールでスマートな歌であると感じます。

    最後に、60番歌に出てくる天橋立は、松島(宮城県)、宮島(広島県)と並んで、日本三景として知られていますが、なぜ天橋立と呼ばれるかご存知ですか。「丹後国風土記」によると、イザナギノミコトが天界と下界を結ぶために、はしごを作ってたてておいたが、眠っている間に海上に倒れ、そのまま一本の細長い陸地になったのが天橋立とされています。天橋立を逆さに眺めると、海と空が逆になり、天に架かる橋のように見えるので、股の間から見る「股のぞき」という鑑賞方法が有名です。智平も大阪勤務時代に家族のドライブ旅行で天橋立が良く見える傘松公園に立ち寄り、子供と一緒に股のぞきをしたことがあります。天橋立はとても綺麗でしたが、子供と一緒に泳いだ宮津湾にはクラゲがいて、痛い思いもしました。なお、雪舟の代表作の一つに「天橋立図」があり、国宝となっています。また、与謝野寛・晶子夫妻は、寛の父が近くの与謝郡加悦(かや)町出身ということもあり、度々天橋立を訪れて歌を詠んでおり、与謝野夫妻の歌碑も建てられています。

    • 百々爺 のコメント:

      ・小式部と大弐三位、ほぼ同年齢の二世歌人。中宮彰子のサロンで重なってるようですね。

       彰子中宮への出仕期間
       紫式部  1006-1014?
       和泉式部 1009-1016(1016で保昌と結婚している)
       小式部内侍 和泉式部出仕後まもなく、即ち1010年代前半から
       大弐三位 1017-

       親同士も重なっていたし娘同士も重なっていた。これほどの二世対決は世にも珍しいのではないでしょうか。この二人のライバル対決を小説に仕立てるってのはいかがでしょう。しをんちゃんでもやってくれませんかね。

      ・58番歌と60番歌の構造分析、ありがとうございます。正にピッタリ符号しますね。歌としてはガップリ四つの感じでしょうか。両方定頼と考えるのが面白いかもしれませんね。定家もそう想定して意図的に構造が全く同じ男への返歌を並べたということでしょうか。

       →内容的に手厳しい返歌、男たるものなよなよしたラブ贈歌をもらうよりピシャっと手厳しい歌を返された方が却って燃えるのかもしれませんよね。源氏でも朧月夜の歌はいつも手厳しかったように記憶しています。

      ・天橋立の解説、よく分かりました。天橋立の成立、理科の教科書で地学的に習うのも大事でしょうが神話もまた妙なりってことでしょうね。「股のぞき」を考案した人にアッパレでしょうね。日本三大〇〇というのは何かと異説があるものですがこの日本三景には紛れがないようですね。このあたり丹後が京都府というのも面白く感じます。

  8. 枇杷の実 のコメント:

    この60番歌はどの解説書をみても藤原定頼をとっちめた小式部内侍の当意即妙の歌詠みがテーマになっている。定頼は雅の平安文学の頂点を演出した藤原公任の息子で、歌風もその流れをくむ歌人として自負もあったはず。たまたま小式部に言った「たわぶれ」に、この即興の歌で返され、「思わずあさましくて、’こはいかに’とばかり言ひて、返しにも及ばず、袖をひきはなちて逃げられけり。小式部、これより歌詠みの世おぼえ出でにけり。」(古今著聞集)
    ”あさまし”は今の意味と違って、意外な成り行きに驚き呆れるさまだそうで、アッと驚く為五郎とばかりの定頼の様子がいろんな説話集で伝えられる。十訓抄では「人倫を侮らざる事」の一つの教訓として年少者啓蒙の題材になっている。
    しかし、当時は題詠(歌合せ)が歌作りの主な状況で、また歌学書(俊頼髄脳)には、「歌を詠まむには、急ぐまじきがよきなり。いまだ、昔よりとく詠めるにかしこき事なし。されば貫之などは歌ひとつを十日、二十日などにこそ読みけれ・・」とある世界にあっては、定頼の行動は是非もなし。返歌をしようとしたが、「急ぐまじ」という一般論に従って、下手な返歌をすることなくその場を去ったという説がある。小式部詠は急いで詠んだにもかかわらずすばらしい出来だった稀有の例。とはあるが、このような掛詞巧みに、縁語を駆使した歌を僅か10秒程で返すとは信じ難い。ましてや小式部10代半ばの歌詠みとあらばなおさらに。
    小式部の和歌の多くが説話的詠歌状況を伴って伝えられているが、美人で才能豊かな若き女性には多くの人の興味があり、人物の実人生のある部分に強烈に興味が集中した結果、ある意味ではそこだけが大げさに表現され伝えられる。そもそも説話が生まれるということはそういうこと・・とはネットの記事。
    大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
    この小式部歌は今では高校古文の教材の定番だとか。NHK高校講座(ラジオ)説話・古今著聞集~小式部内侍が大江山の歌の事~が放送されており、聞いてみると平明で理解しやすい。講義の結びには、定頼について、父親の七光りと言われたり、比較されたり、面白くない体験を重ねながら成長したことが容易く推測され、だとすると小式部にした「からかい」を定頼自身も受けたかもしれません。

    • 百々爺 のコメント:

      ・なるほど、「あっと驚く為五郎」。正に不意打ち、定頼にしてはまさかそんな変化球が打ち返されてくるとは夢思いもしなかった。不用意とは申せ定頼としてはアッパレ!と兜を脱いで潔く降参するしかなかったのでしょう。こんな場面、ゴチャゴチャ考えて下手な歌を返すよりよっぽどカッコいいと思います。男が面子に拘って負けを認めないところから始まる悲劇が何と多いことか。この事件をきっかけに小式部は定頼を「ステキな方」と思ったことは間違いないでしょう。

       →だって、余程気がないならそんな戯れを仕掛けることなんてないでしょうよ。小式部のことをよくフォローしているからこその問いかけだったのでしょう。

      歌を詠まむには、急ぐまじきがよきなり。いまだ、昔よりとく詠めるにかしこき事なし。されば貫之などは歌ひとつを十日、二十日などにこそ読みけれ・・

       拙速か巧遅か。当時から議論されていたのですね。宜なるかなです。結局は「やはり中庸がいい」ということなんでしょう。題詠なんかはお題が出された時から(現在の歌会始めのお題も1年も前から=来年のお題は「野」とのこと)時間をかけてひねくり回す。いいものもできるでしょうが、即詠、一発勝負の方が新鮮でいい文学表現ができるようにも思います。

       →私は即詠派です。ひねくり回せば回すほど新鮮味が失われ腐臭すら漂いはじめるのではないでしょうか。

      ・NHK高校講座(ラジオ)、こりゃまた大変なものをお聞きですねぇ。ゴルフ講座番組ばっか見ておられるのかと思ってましたが、、、(失礼!)。完全無欠とも思える公任(何せ「三舟の才」ですから)を父に持った定頼。まあ今で言えばカズシゲみたいなものでしょうか。64番に登場してくれます。またそこで定頼の光と蔭を語り合いましょう。

  9. 小町姐 のコメント:

    拙速か巧遅か、歌詠みならぬ素人趣味でさえ詠んでから浅はかにもああでもないこうでもないと思い悩み迷う事しきりです。
    俳句、短歌に関わらず瞬間のイメージを大事にしつつ推敲することは必要なことだと思います。
    歌会始と言えば今年のお題は「人」でした。
    今上明仁天皇のお歌は素晴らしいと思いました。
    これまで60首の人物や背景の内には訳のわからない物狂いの天皇も多かった中で人格、お振舞い一際輝いています。
    そんな天皇皇后両陛下を持つ日本は世界に誇れる存在だと思います。
    平成28年歌会始御製御歌
       戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

    • 百々爺 のコメント:

      御製御歌、ご紹介ありがとうございます。素晴らしいです。
      歌会始めと近江神社での名人戦・クイーン戦。これも日本のお正月だと思います。王朝からの和歌が今も根強く日本人の心に横たわっている証しでしょう。

      推敲は必要、その通りだと思いますがいささか耳が痛いです。できたって送信ボタン押したら後は野となれ山となれ、、、。これじゃダメですね。反省しています。

  10. 松風有情 のコメント:

    春の甲子園決勝!
    我が故郷の長崎海星を破り決勝戦に進んだ第2の故郷の高松商業に声援を送りましたが残念無念、、、。
    ただ、ほんといい決勝戦を見せてくれました。
    高校野球最高!!

    • 百々爺 のコメント:

      ほんといい試合だったようですね。外に出てて見損ないましたが。
      今年の選抜は優勝候補がバタバタ消え紙一重の接戦が多かった。

      そうか、高松商は準々が海星だったのですね。その高松商、1回戦は三重のいなべ総合だったのですよ。3点差を8,9回で追いつき10回でサヨナラ。ほんと九死に一生を得て勝ち上がっていった。対する智弁も昨日の準決で9回1死から逆転サヨナラ。その両チームの決勝戦がまたももつれて延長サヨナラ。球史に残る一戦だったのでしょう。。

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