何というタイミング!!桜の季節に桜の歌。東京も奈良も京都も満開のころでしょうか。
「いにしへの」、九代目仁王さんが大好きでハンドルネームにした歌です。百人一首中でも高人気の歌でしょう。伊勢大輔、49大中臣能宣の孫、伊勢神宮ゆかりの女人の登場です。
【本文は「百人一首 全訳注」(有吉保 講談社学術文庫)による】
61.いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
【訳詩は「百人一首」(大岡信 講談社文庫)より転載】
訳詩: そのかみ
奈良の都に咲きほこった八重桜
京の都の九重の宮居のうちに
今日照り映えて 咲きほこって
作者:伊勢大輔 生没年未詳 正三位神祇伯大中臣輔親の娘 49大中臣能宣の孫
出典:詞花集 春29
詞書:「一条院御時、奈良の八重桜を人の奉りけるを、その折、御前に侍りければ、その花を題にて歌よめとおほせごとありければ」
①伊勢大輔989-1060 @72才としておきましょう。
・祖父は49大中臣能宣(正四位神祇大副)、父は大中臣輔親(正三位神祇伯)
何れも著名歌人かつ伊勢神宮のおえらいさんである。
→大中臣氏&神祇官、伊勢神宮については49番歌参照
・伊勢大輔の名前は伊勢神宮+父の輔親の輔からか。
・1008頃(20才頃)中宮彰子後宮に出仕。新人女房で61番歌を詠む。
紫式部が先輩女房としていた。後に和泉式部・小式部内侍が入ってくる。
→「いにしへの」で名声を博したことでもあり、後宮ではモテモテ女房だったのだろう。
・この伊勢大輔を仕留めたのは高階成順(五位筑前守)。恋の経緯はよく分からない。
高階成順、高階氏の登場。成順の父は明順、54高階貴子の兄弟である。
→従って成順は中宮定子の従兄弟にあたる(定子は既に1001に死亡しているが)。
→58大弐三位も高階氏(高階成章)と結婚していた。
・高階成順との結婚生活で伊勢大輔は二男三女を儲けている。
三女は康資王母・筑前乳母・源兼俊母で、何れも優秀な歌人であった。
→49大中臣能宣からずっと勅撰歌人を輩出している。すごい家系である。
・60小式部内侍が次々に5人もの男性と関わりを持ったのに対し、伊勢大輔はずっと高階成順の妻で成順の子どもを産み続けている。
→こちらの方がまともに思える。
→小式部内侍の相手は何れもトップ貴族だったが、伊勢大輔の高階成順は受領階級。身分的にも釣り合いがとれていた(或いは伊勢大輔の方が上かも)からだろうか。
・晩年には白河帝(1053-1129)の養育係に任ぜられている。
→これってすごい。和歌、文藝もさることながら人格的に余程優れていたのだろう。
②歌人としての伊勢大輔
・さすがに歌人一家のお嬢さん、後拾遺集以下 勅撰集に51首! 宮中歌合多数出詠
・64藤原定頼、63藤原道雅とも歌の交流(恋愛関係にはなかった模様)
59赤染衛門、57紫式部、56和泉式部、65相模とも親しく交流
58大弐三位とは三度の歌合に同席
→人付き合いのいい人気者だったのだろうか。愛敬もあり女性にももてた感じがする。
→小式部内侍とはどうだったのだろう。夫多数vs夫一人
・彰子の健康長寿祈願のため清水寺へ行ったとき、同じく清水寺に来ていた紫式部に詠みかけた歌。
いにしへのちぎりもうれし君がためおなじひかりにかげをならべて
→「ひかりの君さまを書かれた式部さんと同じく彰子さまにお仕えしてる、、、何と誇らしいことでしょう」との気持ちではなかろうか。
・61番歌と並び当意即妙の歌として挙げられてるエピソード
52藤原道信が満開の山吹の花をかついで宮中で女房たちに詠みかけた、
くちなしに千入八千入染めてけり
(くちなしの黄染料で念入りに染めたんですよ)
女房たちが逡巡する中、これに上の句をつけたのが伊勢大輔
こはえもいはぬ花の色かな
→「くちなし」に対する「えもいはぬ」の洒落。やんやの喝采を受けた。
とここまで書いて道信の年暦をみると994に亡くなっている。すると伊勢大輔は6才でこの歌を詠んだ?? インチキくさいですね。まあ相手が道信というのが間違いなんでしょう。
・千人万首から一首
物思ふことありけるころ、萩を見てよめる
おきあかし見つつながむる萩のうへの露吹きみだる秋の夜の風(後拾遺集295)
→「萩の上露」紫の上の絶唱を思い出しました。本歌はそれほど深刻ではないですが。。
③61番歌 いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
・詞花集&伊勢大輔集の詞書から本歌が詠まれた情況がよく分かる。
奈良興福寺から宮中に大ぶりの見事な八重桜が届けられる。宮中、一条帝に中宮彰子、それに道長が陪席。桜を受け取って歌を詠むのは紫式部の仕事だったが紫式部は新参女房伊勢大輔にその役を譲る。さて道長に「歌詠め」と命じられて詠んだのが61番歌。
→60番歌に続くいわくつきの歌、当意即妙の歌。
・「いにしへ」と「けふ」、「奈良」と「京」、「八重」と「九重」の照応
桜の散った京に再びもたらされた豪華な桜、宮中は華やかさでいっぱいになる。
そんな折り詠まれた61番歌。一条朝・道長摂関家を存分に寿いだ慶賀の歌。
→居並ぶ全員、ハッピーハッピーで有頂天になったのではないか。
→「殿を始め奉り万人感歎、宮中鼓動す」(袋草子)
・伊勢大輔集では本歌に中宮彰子が歌を返したと出ている。
九重ににほふを見れば桜狩重ねてきたる春かとぞ思ふ(彰子)
→なかなかいい歌である。
→ところが紫式部集に「卯月に八重咲ける桜の花を、内裏にて」として同じ歌が載せられている。
→他人になり代わっての歌作は紫式部の得意技。彰子に代わって(彰子として)詠んだ歌ということでよかろう。
・一条朝の時代からすれば奈良は「いにしへ」 300年も前のことになる。
奈良と言えば「あおによし」
あをによし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり(万葉集)
ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり(古今集)
・八重桜は奈良東大寺・興福寺のものが有名で遅咲きであった。
八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多く成り侍るなる(徒然草139段)
京の桜を愛でた歌
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり(素性法師 古今集)
④源氏物語との関連
・奈良は源氏物語には舞台としても話としても出てこない。初瀬の長谷寺は何度も登場するが。北嶺の延暦寺は宇治十帖で重要なものとして出てくるが南都興福寺、東大寺は出てこない。何故だろう。
・桜を愛でると言えば当然「花宴」
春宵一刻値千金
照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(大江千里 新古今集)
→「お花見」(花よりだんご、だんごよりお酒)は最高であります!
超有名な歌、忘れなさいと言われても忘れられない。
唯一、名前に伊勢とくればこれもまた忘れ難く貴重な一首で得意札にしたい歌です。
九代目仁王さんも大好きだったとの事、思い出の歌にしましょう。
時、あたかも日本列島は南から北へ花一色、八重桜はまだ少し早いがソメイヨシノは今盛りとばかり咲き誇っています。
雲の上、宮中の華やかな情景までが映像としてありありと想像される女性好みの歌。
紫式部とのエピソードも良い。
中宮のもとに奈良から八重桜が届き紫式部が使者から受け取る手はずであったのを新参女房の伊勢大輔に譲ったとのこと。
紫式部の本心はいざ知らず、後輩を立てたか、意地悪な女心があったかどうか?
その時、当意即妙に詠んだのが
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
中宮の返歌がまた素晴らしい、と思ったもののどうやら百々爺さんの解説から紫式部の代作らしい。あり得ない話ではない・・・
九重ににほふを見れば桜狩重ねてきたる春かとぞ思ふ
晴れやかな宮中の様子が目に浮かぶような華やかな歌である。
伊勢大輔の感激もひとしおであったと同時に紫式部も期待を裏切ることなく見事に役目を果たした後輩に面目躍如の思いであったろう。
代々歌人の家に生まれた伊勢大輔とあればこれぐらいのことは何でもなかったのかもしれない。
晩年に白河帝の養育係になったとの事、さもありなん。
人格共にバランスのとれた好もしい女性だったのであろう。
折しも平成の世は桜、真っ盛り。
しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花(宣長)
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな (伊勢大輔)
季節感漂い花を愛でる大和心はいつの世も変わらない。
お調子に乗ってもう一首、遊びはこれでお終いです。
いにしへの奈良の都の遠ければ八重の桜ぞふみむすびたる
・この季節、日本列島はどこへ行っても桜、桜。素晴らしいと思います。
六条院の春の町には色々花期の違う桜が植えられ、長い期間桜が愛でられたとありましたね。日本人の桜大好き人種のDNAはこの頃から確立していったのでしょうか。桜と紅葉は外国人観光客を呼び寄せる最大の武器だと思います。
・中宮彰子、紫式部、伊勢大輔 + 一条天皇、藤原道長の5人を登場人物にこの場面を舞台化したら面白いでしょうね。高校の文化祭ででもやればいいと思うのですがどうでしょう。
・ 60番と61番見事繋がりましたね。折り枝に文を結んで贈る。桜と言えば紫の上でしたが紫の上の場合は樺桜。八重桜となればむしろ朧月夜がお似合いでしょうか。
いや、待っていました桜の季節。今日の雨で少々散りそうですが、東京の桜を満喫中です。千鳥ヶ淵・井の頭公園・片倉城址(八王子)・拙宅近所は桜だらけ:三鷹中央通のさくらのトンネル・近所の桜並木と公園、成蹊大、去年はこの時期、京都・奈良に出向き、桜を見ていたので、ゆくっり楽しむのは2年ぶり。
そして、桜が咲くと、小生の自由大学の新規講座も始まり、いよいよ春となり忙しくなります。
また、今年は、来週一杯関西へ出かけます。一番のお目当ては、吉野、12日に行きますが、桜が咲いていて天気がよければ万歳です。旅行記、帰ってから書きます。
桜の歌は無数にあるのでしょうが、好きな歌を、まず爺と小町姐 さんが引用した歌から
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな (伊勢大輔 詞花集)
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり(素性法師 古今集)
しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花(宣長)
そして
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平)
久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ (紀友則 古今)
願はくば花の下に春しなむその如月の望月のころ (西行)
千人万首によれば、この61番歌の派生歌として
奈良七重七堂伽藍八重桜 (芭蕉)
が紹介されています。
そして、千人万首より、伊勢大輔の歌
聞きつとも聞かずともなく時鳥心まどわすさ夜のひと声 (後拾遺188)
うれしさは忘れやはする忍ぶ草しのぶるものを秋の夕暮 (新古今1732)
・都内、ご近所の桜見物、いいですね。吉野の桜、見聞記お待ちしてます。自由大学の今年度の講座は何でしょう。また聞かせてください。
・百人一首に桜の歌は6首(9花の色は・33久方の・61いにしへの・66もろともに・73高砂の・96花さそふ)。一斉に咲き一斉に散る。華やかさとともに潔さも日本人好みなんでしょう。でも昨今潔さよりも粘ってあきらめないことが称揚される。まあバランスこそが大事だと思うのですが。
61番歌の詠まれた場面からすると、そこで求められるものは
①即詠の早さ ②場における栄え栄えしさ ③よみあげる声音、態度、気配の優美さなどです。
新参者の一女房には大役ですが、見事にやりおおせ、中宮彰子からの喜びの返歌もあり、伊勢大輔は面目をほどこしたようです。
先日、勝川春草の肉筆美人画展に行ってきましたが、「雪月花図」の「雪」は、香炉峰の雪は簾をかかげてみるの清少納言、「月」は、石山寺で月をみながら源氏物語の想を練る紫式部、「花」は、奈良から届いた八重桜と伊勢大輔の構図でした。
誰もが知っている話だからこそ、画家が描けば幾重にもその絵は深みが増すのでしょうね。そうしてパターン化されていったのかもしれません。
幼いころの白河院から「かがみを見よ」と一枚の鏡を賜った時、大輔は即座に
君みれば塵も曇らで万代の齢をのみもます鏡かな
と一首の賀の歌を捧げています。老いてなお強さと才とおおらかさのある晴れの即詠です。
謡曲『雲雀山』にある「お輿に乗せまゐらせて御喜びの帰るさに、奈良の都の八重桜咲き返る道ぞめでたき」は伊勢大輔の「いにしへの奈良の都の八重ざくらけふ九重に匂ひぬるかな」によっています。
謡曲『笠卒都婆』にある「げにやいにしへになりにし奈良の都路も、春に帰りて花盛り、八重桜木は面白や」も、この伊勢大輔の61番歌によっています。
・おっしゃる通り①②③三つとも重要、一つが欠けても場は台無しになったことでしょう。特に満座が注目の中、「いにしへの~~~」落ち着いて声調正しく高らかに朗詠するのは難しかったでしょうね。「宮中鼓動す!」よくぞやったり伊勢の大輔。天照大神のご加護のお陰だったのでしょう。
・勝川春草の肉筆美人画、ネットで見せてもらいました。平安王朝の3人の女性を江戸風にアレンジして、、。なるほど。3場面とも有名なだけにみなピンと来る。これぞ古典の威力だと思います。次の62番歌にもつながりますね。
→MOA美術館の説明では花は小野小町となってますが諸説あるのですかね。
・白河院というと先入観的に「大いに変わった人物」のイメージなんですが、、、。まさか伊勢大輔の躾け教育のせいでもないでしょうし。お後の楽しみということにしておきましょう。
染井吉野が終わり、十分春が行き渡ってきますとやっと奈良の八重桜の順番が廻ってきます。かつて八重桜があったとされる東大寺知足院(若草山ドライブウェイ入口横)には枯れてもう見られません。
県花であり、奈良市の市章のベースとなっていることもあって、数年前に知足院のDNAを持つ木が再生されました。
場所は東大寺大仏殿西側、大仏殿入口受付脇すぐのところにあります。まだ幼いので見落としてしまうかもしれません。例によって外国人観光客でごったがやしていますが、フォリナーの立ち寄る姿はさすがに見たことがありませんね。日本人ですらほとんどの人が気づきませんしね。
これほど奈良を宣伝してくれた61番ですが、単独の歌碑らしい歌碑は奈良市にはありません。大和郡山市に行けばあると言うことですが。
南都仏教と源氏物語の関係ですが、南都仏教は国家安護、教理研究の寺院ですので、浄土崇拝、個人救済の気分が強かった都の貴族には縁が薄いものだったのではないでしょうか。それに、そもそも遷都したのは、とかく政治に口をはさむことが多かった南都仏教を嫌ってのことだったことも理由に挙げていいと思いますね。
・奈良県にとっては今年の春は特別ですね。何せ優勝旗が持ち帰られたのですから。そんな奈良、そろそろ県花たる八重桜も見ごろになるのでしょうか。八重桜の本拠は東大寺知足院だったのですね。再生された木、その内大木になるのでしょうね。そしたら名所になるでしょうに。
・南都仏教と源氏物語との関係、納得です。源氏物語の人々が仏教に求めるのは正しく個人救済。病気でもお産でもとにかく何かことがあれば僧侶を呼んで助けてもらう。僧侶=医者でありました。
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
以前から、この歌を見る、聞くにつれ古都に咲く桜を美しく調べ豊かに詠んだものだな~と。詞書にある事情では、紫式部と道長に推されて人々の注目する中、咄嗟に詠んだ歌とあって、「万人感嘆、宮中鼓動す」と宮中がどよめいたとか。意味するところは「かつての奈良の栄華をしのばせる豪勢な八重桜だけど、今の帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っているようだ」と、朝廷を寿ぐ歌とは知りませんでしたが。
伊勢大輔は即吟の名手といわれた。先の#60(大江山・・)小式部と同様に、その歌才には恐れ入谷の鬼子母神。歌人家系の子女は厳しい躾けと英才教育で、日常会話でも掛詞、対語、縁語を使い即詠の鍛錬をしていたのかもしれません。
中宮彰子に仕えた女流歌人たち。華やかなサロンの構成員とはいわれるが、実際のところは後宮に仕える女房達は常に即興の試練にさらされ、才気と才気が火花を散らしつつ、彼女らの歌は作られたのではなく、生まれたのだ。(目崎徳衛)
ネットにみる桜の和歌ベスト10は次のとおり。時期は少々さかのぼるが。
1.ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(#33紀友則)
2.もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし(#66行尊)
3.いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬるかな(#61伊勢大輔)
4.花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり(#96公経)
5.清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子みだれ髪)
6.世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(業平 古今集)
7.あをによし寧楽の京師は咲く花のにほふがごとく今さかりなり(小野老)
8.花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(#9小町)
9.願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃(西行 山家集)
10.高砂の尾上の桜さきにけり外山の霞立たずもあらなむ(#73大江匡房)
九重仁王さんもこよなく愛した歌がベスト3で満足だったのでは。
・後宮に仕える女房たちの教養・文藝の競い合いは熾烈なものだったのでしょうね。この辺は枕草子あたりに詳しいんでしょうか。日常会話でも即詠の鍛錬、そりゃあ大変ですね。一日一首どころでなく百首も詠んでいたのかもしれませんね。感性も必要でしょうがいくつものパターンを頭の中に叩き込む。論理力・記憶力も大事だったと思います。
・桜の和歌ベスト10 ご紹介ありがとうございます。
百人一首の桜の歌6首は全て入っている。すごい。
与謝野晶子の「桜月夜」が5位、納得ですねぇ。
宣長の「敷島の」が入ってないのは意外。人気ないんですかねぇ。
もう一つ異色の歌を、忠臣蔵花の巻、浅野内匠頭 享年35才 辞世
風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん
61番歌は歌の調べが良く、内容は華やか、特に皇族・道長一門には心地良い、そして平明で聞けば直ちに意味が分かる。固唾を呑んで即詠を待っていた座の万人が感歎し、宮中が鼓動したのも尤もであると思います。61番歌は極めて人気の高い歌で、子供の頃に百人一首を取り合った時には、大人も子供も皆、この札を取ろうと狙っていたことを懐かしく思い出します。
伊勢大輔については、61番歌の詞書にあるエピソードがあまりにも有名なためか、夫一人を大切にする堅実な一生を送ったためか、ネットで調べても、これはというエピソードは見当たりませんでした。百々爺の解説にある藤原道信の「くちなし」に対する「えもいはぬ」の洒落話、百合局さんのコメントに出てくる幼い頃の白河院から鏡を賜った時の即詠歌の他では、強いて挙げれば、次のエピソードくらいでしょうか。
宇治拾遺物語によると、伊勢大輔は筑前守であるやさしい人(高階成順のこと)の妻となりました。しかし、付き合い始めの頃、相手は石山寺に参詣しており、なかなか消息も掴めませんでした。大輔は「ああ…あの人はどうしているかしら」と思って、次の歌を詠みました。
みるめこそあふみの海のかたからめ 吹きだに通へ志賀の浦風
(⇒「みるめ」に海藻のを意味する「海松布」と「見る目」を掛け、「あふみ」に地名の「近江」と「逢う身」を掛けている。全体の意味は「琵琶湖では海藻が生えないように、石山寺におこもりなら、なかなかお会いすることは難しいでしょうけど、せめて志賀(滋賀)の浦風よ、吹いてきてあの人の消息を伝えてほしい」となります。)
この歌が詠まれて後は夫の情けもいよいよ深まり、子孫が繁栄したとのことです。
思わず「ああ、そうですか。ごちそうさまでした」とでも言いたくなるようなおのろけエピソードですね。伊勢大輔は歌がとびきり上手い上に、頭が良くて魅力的な女性だったのでしょうが、いわば典型的な良妻賢母型。まとも過ぎて、面白味に欠ける女性といったら言い過ぎでしょうか。
・このエピソードは何年のことだったのでしょう。伊勢大輔が出仕し始めたのは1007、1008頃ということですが1008年の春(4月)だとすると実に面白い。この年中宮彰子は入内後10年目にしてやっと懐妊(出産は9月で紫式部日記に詳しい)、おそらくこの4月頃お目出度のお披露目があり宮中は祝賀ムードで一杯だったのではないか。そんな折り藤原氏の氏寺である興福寺(不比等建立)から恒例の八重桜が献上される。お腹が膨らみはじめた中宮彰子、優しく見守る一条帝、悦に入る道長。そこで詠まれたのが~~~いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな~~~。道長は涙を流して喜んだのではないでしょうか。
・伊勢大輔が高階成順にあてた歌、なるほど色々凝ってますね。贈歌に呼応して妻に愛おしみを感じる成順、名前とおり清純な男じゃないですか。
→名前と言えば「伊勢大輔」は今どき男の子の名前かも。あの「松坂大輔」がいますからね。子どもに「伊勢大輔」って知ってる?て聞いたら知ってるよ、だって松阪って伊勢だもんね、、、と答えるかも(お粗末でした)
「みるめこそ」の詠い出し、源氏物語絵合6 藤壷の歌にありました。
見るめこそうらふりぬらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ
→これも掛詞・縁語でコテコテの歌。在五中将は貶められない。
桜は北上するものと相場が決まっておりましたが、昨今は南下するそうな。東京と大阪もほぼ同時、ついでに信州松本でも満開とか。
先週末から今週末にかけて7年に一度の諏訪の御柱祭が始まりました。天下の奇祭中の奇祭と申しましょうか。危険極まりないのは岸和田のダンジリ以上かも。御承知のように上社と下社に分かれて2週にまたがり執り行われます。地元では御柱休暇もあり、それぞれの氏子は7年の蓄積されたエネルギーをこの一瞬に賭けるとのこと。
友人が「席を確保して待つ」との報で、今週末は信州諏訪詣でを致します。
さて61番歌は伊勢大輔。中宮彰子に仕えた女房で、歌はめっぽううまかった。
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
長い歴史を持った奈良の美しい桜が、今ここにある、眼前の美しさと伝統への憧憬とが巧みに詠み込まれ、八重桜と九重との連続も嫌味のない技巧である。全体の調子もおみごと。奈良の都に関わる一首として快い。(阿刀田さん)
さて、話は急降下しますが、あの「限りなく透明に近い○○○」を、なんで「おなら」と称するか。もちろん「鳴る」という言葉に由来するという説が有力ですが、それとは別にもう一つ、この伊勢大輔の名歌から暗示された、という説もある。
「にほひぬるかな」・・・そう、匂ったのは奈良の桜なのだ。そこで奈良に敬意の「お」をつけて・・・信じようと信じまいとれっきとした由緒正しき俗説なのであります。
屁をひったより気の毒はおなら也(柳多留)
お後がよろしいようで。
・諏訪の御柱祭、申と寅の年に行われるとか。大ニュースですよね。会社の先輩に諏訪の人がいてこの年になるとそわそわしてたのを思い出します。どうぞ気をつけて楽しんで来てください。
→「席を確保」って仮設スタンドでも作ってチケット前売り販売なんでしょうか。まさかね。
・八重、九重で奈良と京都をつなぐ。いいと思います。奈良・京都、日本の両古都は何かと張り合っているんでしょうかね。どうもコラボが少ないように思うのですがいかがでしょう。
・「おなら」「うんち」幼児が喜ぶ言葉。
先日娘のマンションに行ったら空気清浄器があって「おなら」を感知して動き出すとのこと。確かに動き出したので早速犯人捜し。幼児がニコッとして名乗り出てくれたからよかったけど。こんなのあると清浄器が動き出す度「誰がやったんだ?」ってことになる。せっかく音を殺してやったのに感知されてしまうなんて、、、。まあ職場には置かない方がよろしいようで。
【余談25】 とと姉ちゃん
いやぁ~驚きましたね。皆さまご覧になりました?
朝ドラの一場面に百人一首を取る場面が出てくるとは・・・
まさに昭和の風景、なつかしいですね。
我が家にも昔ありましたね、畳の上にランダムに並べられたかるた。
但し、あのような上品な家庭ではなく、がさつでもっと貧乏くさい感じでした。
文屋多寡秀曰く、「幼少のみぎり余り百人一首には馴染みがなかった」なんて言っていますが私には確かな子どもの情景として記憶に残っています。
その証拠に私の手元には父が買ってくれた使い古したかるた、小倉百人一首が残されています。
2歳の年齢差はこうも記憶に差があるのでしょうかね~
15 君がため春の野に出でて若菜つむ
93 世の中は常にもがもな渚こぐ
12 天つ風
17 ちはやぶる
30 有明の
98 風そよぐ
今朝の場面での歌です。
来年の私たちの「かるた会」の光景を想像してみました。
智平殿は今から自信満々の様子ですものね。一番じゃないでしょうか?
私はもう記憶力も目も耳も鼻も悪いので(鼻は関係ないか?)読手を務めたいですがこれも自信がなく百合局さんの読手を楽しみにしています。
今から予防線を張る小町姐ですが何としても得意札は物にしたいです。
皆さま準備は如何?えっ!!とてもそんな余裕ない・・・
そうですよね、毎回のコメントで精いっぱいが正直なところです。
でも楽しいことに変わりない、いよいよ来週は62番清少納言それぞれどんなコメントが飛び出すかとても楽しみです。
ちなみな私は今、杉本苑子と大庭みな子の「枕草子」現代語訳を詠み比べています。
では来週62番でお目にかかりましょう。
・「とと姉ちゃん」面白そうですね。「あさが来た」もそうでしたが溌剌と前向きに生きていく女性を見ると元気が出ます。楽しみです。
かるた取り、字幕なんかも出て来て本格的でしたね。取り札が漢字混じりの札だったので、あれっと思いました。漢字混じりの方が取りやすいかも。
・文屋どのそうおっしゃってますか。よほどこっぴどくやられて思い出したくもないのでしょう。家族かるた、独り勝ちはいけません。弟にも取らせてやらなくっちゃ。
・「かるた会」、私も朗読に回りたいです。それとも読み上げは歌番号にするとか作者名(百人一首表記)にするとかはいかがでしょう。
→普通のルールでは智平朝臣や百合局さんにはかないっこなさそうなんで。。。
この案面白いかも。61番とか言われて頭の中がこんがらがったりして・・百人一首表記の作者名の方がまだわかりやすいかな? これで進めましょうか?
そして取った人がその歌を作者になりきって読みあげることにしましょう。思い入れたっぷりに朗々とね.
さすが百合どの心が寛いですね。厳格朝臣は許してくれますかねぇ。最初「ろくじゅ~ういちば~ん」と読んでその次「いせのたいふ~~」と続けてその後に「いにしへの~~」とやる。これくらいのハンデいただければ爺も闘えると思うのですが。。