前回(77番歌)崇徳院が讃岐の松山で浜千鳥を詠んだ後を受けてお隣の淡路島~須磨へと千鳥でつなげる。定家も考えたものです。そこは「もののまぎれ」のほとぼりを冷ますべく光源氏が身を潜めた場所。源氏物語「須磨」の巻が鮮やかに蘇ります。
78.淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
訳詩: 彼方に浮ぶ淡路島から 千鳥が通ってくる
私一人を友と思ってくれるかのように・・・・・
千鳥はしば鳴き ひとしお孤愁は深まる
幾夜こうして孤りの眼をみひらいたまま
朝を迎えることだろう 須磨の関守 私は
作者:源兼昌 生没年未詳 俊輔の息子 従五位下皇后宮少進 後出家
出典:金葉集 冬270
詞書:「関路千鳥といへることをよめる」
①源兼昌 生没年未詳、宇多源氏。藤原俊輔の息子と言うだけでさっぱり分からない。
さすがの百人一首一夕話も「その行状詳らかならず」とお手上げである。
・忠通家の歌合に度々出詠、1128年の住吉社歌合に出詠の記録あり。
74源俊頼、75藤原基俊と歌合で顔を合わせている。
→源俊頼(1055-1129)と同世代とみてよかろう。
→年代的な並べ順からするともう少し前、本来なら76番の位置か。
・堀河歌壇、忠通家歌壇の身分下位歌詠みグループの一員(群小歌人)
・金葉集、詞花集以下勅撰集に7首 多くない。
千人万首に載せられている勅撰集入選の歌
夕づく日いるさの山の高嶺よりはるかにめぐる初時雨かな(新勅撰集)
・そういう源兼昌の78番歌が何故百人一首に入っているのか。
→源氏物語との関連をおいて他になさそうであります。
②78番歌 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
・「関路千鳥」=須磨~淡路島を行き来する千鳥
「千鳥」=海鳥 小さい 群れをなす 冬の鳥 浜辺をチョコチョコ歩く(速い)
→千鳥模様 千鳥足
・千鳥って夜(夜中)に鳴くのだろうか? ちょっと疑問
youtubeの鳴き声はチィ~ ヒィ~ と確かにもの悲しい
【浜千鳥】 作詞 弘田龍太郎(津高校の大先輩)
青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る 濡れた翼の銀の色
・須磨の関 古来あったが789(奈良時代末)に廃止
摂津(畿内)と播磨(畿外)の境目 重要な関所であったのだろう。
関守 都から派遣されていた官人、通常は単身赴任か
思うのは都のこと、都に残した家族・恋人
→海外駐在員には身につまされる歌である。
・夜の寝覚め=眠りが浅く眼が覚めてぼお~っとしていること
昼のながめ=昼間なのに放心状態、ぼお~っとしていること
→両方とも恋人を想い目が宙をさまよう放心状態を表す表現であろう。
・28番歌 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば
→山の冬
78番歌 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
→海の冬
・淡路島と千鳥が対になって詠まれだしたのは78番歌から
千鳥が詠まれた歌といえば、
淡海の海夕波千鳥汝なが鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
(柿本人麻呂 万葉集) 淡海は琵琶湖
・派生歌
旅寝する夢路は絶えぬ須磨の関かよふ千鳥の暁の声(藤原定家)
淡路島千鳥とわたる声ごとに言ふかひもなく物ぞかなしき(藤原定家)
淡路島ふきかふすまの浦風にいくよの千鳥声かよふらん(後鳥羽院)
さ夜千鳥ゆくへをとへば須磨のうら関守さます暁のこゑ(後鳥羽院)
→全て78番歌の言い換えバージョンである。
③源氏物語との関連
・源氏物語 第十二巻が「須磨」の巻
源氏物語の中でも有名 色々あって光源氏は京を離れ須磨に赴く、、、、
→源氏に詳しくない人でもその辺までは大体知っている。
→「須磨」に着いたからこの辺でいいや、、ってやめる人、これを「須磨返り」という。
・源氏が自ら須磨に下った理由。
入内前の朧月夜との密通がばれたのが表向きだが、一番恐れたのは「もののまぎれ」(帝妃藤壷との密通、皇子の誕生)が露見すること。これがばれれば世の中ひっくり返るし、物語そのものも成り立たなくなる。
→何といっても日本は万世一系の皇国なのであります。
・何故須磨か。
16在原行平が籠居したところとして有名だった。
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ(行平・古今集)
旅人はたもと涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風(行平・続古今集)
それと当時では長徳の変で藤原伊周(儀同三伺=54高階貴子の子、63藤原道雅の父)が流された場所として読者の記憶に新しかった。
・須磨、都から遠い貧弱な漁村、ここを舞台に秋~冬~春が語られる。
須磨の秋(高校教科書の定番、古来名文とされる部分)
須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり。
恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん(光源氏)
須磨の冬 冬に千鳥が登場する
例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
友千鳥もろ声に鳴くあかつきはひとり寝ざめの床もたのもし(光源氏)
須磨の春 頭の中将が訪ねて来て歌を唱和
雲ちかく飛びかふ鶴もそらに見よわれは春日のくもりなき身ぞ(光源氏)
たづがなき雲居にひとりねをぞ泣くつばさ並べし友を恋ひつつ(頭中将)
そして春の嵐に明石の入道の迎えが来て光源氏は明石に移る。
→源氏物語はここから一気に明るくなる。明石の君と出会い、娘が生まれ、その娘が中宮→国母となっていく。
・俊成の派生歌
須磨の関有明の空に泣く千鳥かたぶく月はなれも悲しや(新古今集)
④オマケ
3年前の春、須磨・明石を訪れた時の一口メモ(須磨の部分)(「源氏物語道しるべ」より再録)
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須磨 駅を出るとすぐ浜辺、このあたりで主従が歌を唱和したのかと感じ入った。
・現光寺(光源氏住居跡)駅のすぐ北、浜辺もごく近い。きれいにされていた。芭蕉他文人達の碑も多く源氏物語が古来愛されてきたことを思い知る。
・須磨関所跡(関守稲荷神社) 現光寺の西、小高くなっている。ここが関所だったとなると海からすぐ山になっていたことがよく分る。淡路島も近くに見えNo78源兼昌の歌を思い出した。
・須磨寺 10分程登ったところ、立派な佇まいです。
平安初期開基ということだけど源氏物語には出てこない。紫式部が知らなかったのか無視したのか、、、。須磨の巻の描写に須磨寺からの鐘の音やら、須磨寺の阿闍梨の話やらあったら面白かったろうに。
寺は専ら平家物語。敦盛の青葉の笛、弁慶の鐘、、直実と敦盛の場面
源氏物語と平家物語が併存する須磨、いいところでした
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以上、百人一首の解読というより源氏物語須磨の巻の再読みたいになってしまいました。
まあ、78番歌の存在意義はその辺にあるんでしょう。ご勘弁ください。
松風有情さんからの絵です。新スマホを駆使して送付いただきました。
78番 挿絵 by 松風有情さん
最後にお断り。
月火と一泊で四日市にゴルフにでかけます。7月に行けなかったのがやっと実現します。
コメント返信は水曜日以降になります。ごめんなさい。
毎月曜日朝一番にアップされるタイトルが楽しみである。
ほっお~なるほどね~、今日は「源兼昌、源氏物語須磨の巻を詠む 淡路島~」ですか。
このタイトルが言い得て妙である。
76番からが面白いとの声もあり我が意を得たりの感じです。
私、寛弘の才ある女性たちが競い合い頼もしい活躍を見せたあの時代はもちろん素晴らしく女性として誇らしい良い時代だったと思いますがどちらかと言えば私の性格からするとやはりこの男性的な76番以降が歴史をバックに和歌と歌人との繋がり、それぞれの人間模様が色濃く面白い。
それに比べ院政時代の女性の歌には寛弘の女房たちの魂のほとばしる歌が感じられない。
さて余り聞いたことがない人物、源兼昌であるが歌は有名で覚えやすい。
先の崇徳天皇の歌と繋がっているようにも思える。
浜千鳥あとは都にかよへども身は松山にねをのみぞなく
定家が本歌取りをして詠んだ歌は
旅寝する夢路はたえぬ須磨の関かよふ千鳥のあかつきの声
そして
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
三つの歌に共通するのが浜千鳥である。
千鳥が詠まれている歌、結構多いですね。読みやすいのかな?
百々爺さんが挙げておられる私も大好きな歌。【浜千鳥】
弘田龍太郎は津高出身でしたか。2番を挙げておきます。
2) 夜鳴く鳥の悲しさは
親を尋ねて海越えて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥
子どもの頃この歌を歌いながら涙を流した記憶がある。
でも一体、浜千鳥ってどんな鳥?と思っていたら松風有情さんの絵がありました。
帆かけ船の浮かぶ淡路島に虹が架かり烏帽子姿の後姿が良いですね。
ありがとうございます。
先日テレビ番組で伝統工芸職人が烏帽子の作り方を披露しているのを見ました。
「亭主の好きな赤烏帽子」と言うのもありますね。
喧嘩の挙句、相手の烏帽子を投げ捨てた男もいましたよね。
ついつい脱線してしまいました。
淡路島で思い出すのは玉ねぎとワカメぐらいで全く風情のない話である。
「須磨」といえば勿論真っ先に思うのは源氏物語の須磨である。
光源氏の須磨蟄居、思い出します。
「須磨」があっての明石、そして「明石」なかりせば宇治十帖へと物語は繋がらない、そういう意味で源氏物語にとっては大事な布石。
紫式部の壮大無限な小説の構想に今更ながら圧倒される思いである。
そうか、平家物語にも関連していましたね。平家の公達、敦盛ね・・・
百々爺さん久しぶりの三重ゆっくり楽しんできて下さい。
【余談33】 プチ・カルチャーサロン
百々爺さんお帰りなさい。久しぶりの故郷、充分楽しまれたことでしょう。
秋の日の二日間ASC(愛知シルバーカレッジ)22期生主宰で作品展を開催しました。
半年前の会場確保から企画、運営、作品の募集に携わった。
会場は名古屋駅近くのお洒落なワンフロアーを二日間無料で借りることができた。
絵画、書、水墨画、写真、手芸、絵手紙、漢詩、短詩形など40数点の多彩な作品の応募があった。
会員や外部の方の来場もありまあまあの盛況。
今振り返ってみると表面からは見えない会員の隠れた才能を知る良い機会となった。
搬入から搬出まですべて素人の手づくり感のある作品展でミニ・芸術展の雰囲気を味わうことができた。
会員数も年々減る一方でいつまで22期同窓会が続くか心もとないが年二回の会報発行を含めクラブ活動、班活動とみんな年齢の割には頑張っているサークルである。
年齢も(高齢者には変わりない)性格も人生経験もそれぞれ異なる団体をまとめる代表者は大変だと思う。
時には意見の衝突、感情の行き違いもあるがそこは「年の功」賢く冷静に対処するしかない。
駅前の通りに面する三交不動産ビル(三重交通)では三重の食材を中心とした「桜通りカフェ」の三重プレートと称した大皿に盛り合わせたランチが楽しめる
東京日本橋の三重テラスを想像していただければ良いと思う
一時間余のランチタイムだけが息抜きであった。
朝から日没までの二日間は映画の三本立てよりもしんどかった。
今は責任と大役を終えてホッとしているひとときである。
・タイトルを楽しんでいただいている由。ありがたいです。励みになります。
私の百人一首読み解きのポイントは①詠んだ人物②詠まれた歌③その時代背景と意義(これらは正に三位一体)でありまして、だからこそしつこく歌に背番号をつけて順番に拘っている訳です。そんな位置づけを表わすに相応しいタイトルになればと考えてるのですが、まあなかなかうまくは行きません。思いだけでも感じていただけばと思います。
・浜千鳥は冬の鳥(「千鳥」は冬の季語)というのが面白いですね。大体年中いると思うのですがねぇ。その辺が日本人の美意識なんでしょうね。寂しげで可哀そうさを催す千鳥のイメージは多分にあの大きさではないでしょうか。海辺にいる鳥の中で一番小さい分類でしょう。かもめ(都鳥)になると大きくてあまり哀れさは感じませんものね。
→そんな浜千鳥のイメージは弘田龍太郎の「浜千鳥」に負うところが大きいんでしょうね。いい歌詞だと思います。
・「亭主の好きな赤烏帽子」ですか、なるほど。好みの問題ですね。
→「アメリカ人の好きな赤帽子」、、、いやはや参りましたね
・ご一緒に源氏物語「須磨」を読んでいたときのことを思い出します。本当に毎回コメントをつけていただきそれで私も須磨返りをせずに宇治まで辿り着けたようなものでした。改めて感謝しています。
・シルバーカレッジ作品展、大変だったでしょう。誠にご苦労さまでした。高齢者が知的興味を満たすべくカレッジに集い輪を広げていく。各地でなされているようですがいいことだと思います。二日間の疲れを癒すべくゆっくり休んでください。
→当地にも「ゆうゆう大学」というのがあり、そのOBたちで毎月ゴルフコンペをやっています。私はOBでもありませんが事務局という名目で参加して毎月ゴルフに参加しています。みな驚くほど達者でこちらも元気をもらっています。
http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2016/11/KIMG0019_20161028141427.jpg
今回は歌絵をどれにするか迷い投稿遅くなりました。結局、高師の浜に続いて78番歌の淡路島を選んでみました。
これまで舞子には何度か訪れて須磨浦公園から明石海峡大橋を眺めたことがあるからです。
姪っ子が舞子ビラで結婚式を挙げた時もありました。そして、歌絵では大橋ではなく以前百合局さんに応えて戴いたレインボーを架けてみた次第です。
・ありがとうございます。色々考えて大したもんですよ。全く絵心のない私なんぞからすると神業みたいなものですよ。今後ともよろしく頼みます。
・「舞子」ですか。そう言えば神戸勤務もされてましたっけね。明石海峡大橋で景観はがらっと変わったのでしょうね。でもあの迫力には圧倒されます。一度中国の人案内していったことあるのですが説明もせず呆然としていました。
78番 源兼昌、源氏物語須磨の巻を詠む 淡路島~
小町姐さんも書いておられるが、爺のタイトルどおりまさに源氏物語須磨の巻を読んだ歌、百人一首のなかで、源氏物語との繋がりが一番わかりやすく強い歌ですね。
77番の崇徳院との浜千鳥つながり、そして源氏物語とのつながり、定家の選定もさすがなかなかのもの。
千人万首から、さらに一首
八月十五夜
望月の山の端いづるよそほひに かねても光る秋の空かな (永久百首)
松風さんの絵もいいですね。須磨を思い出します。
小生も、爺に続き、2013年6月に須磨にいっており、”源氏物語道 しるべ”に投稿しているので、リピートさせていただきます。
JRで須磨に移動、列車の窓から見えるこの辺り松林が素晴らしい。関東の浜辺であまり松林を見ないように思いますが、小生だけか?
“明石の浦はただはひわたる程なれば”と言うほどは近くない。
駅到着後7分ほど歩いて関守稲荷神社を訪問、小さな神社だったが、爺が教えてくれた
淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ寝ざめぬ須磨の関守
の歌碑あり、昔は海が一望されたはず。
次は歩いて5分、光源氏の住居跡、現光寺へ、こじんまりしているが綺麗なお寺。この辺り阪神大地震で被害が大きかったのか、新しい家や道路ができ、新興住宅街の趣。
読みさして月が出るなり須磨の巻 子規
“今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく”、須磨の月は綺麗だろうと思いました。
あとは須磨寺、大きな立派なお寺。爺の訪問記を読んだとおりのお寺。
かたつぶり角ふりわけよ須磨明石 芭蕉 の鉢伏山近辺は時間切れで行けず。
春の海ひねもすのたりのたりかな 蕪村?も須磨辺りで読まれた俳句ですか。
・まさにこの78番歌は源氏物語「須磨」そのものだと思います。「私の百人一首撰は強く源氏物語を意識したものなんですよ!」という定家の力強いアピールでしょうよ。
・源氏物語を答えとする連想ゲームをやるとしたら第一ヒントは「光源氏」第二が「紫式部」そして第三が「須磨」くらいになるんじゃないでしょうか。それだけ著名だと思います。
・「明石の浦はただはひわたる程なれば」
そうでしたね。須磨~明石は僅か8KM。寂しい冬を過ごした3月、源氏は夢枕に父桐壷帝の「早く須磨を離れろ」との声を聞く。それに呼応して明石の入道が迎えに来る。「例の風出で来て、飛ぶやうに明石に着きたまひね。ただはひわたる程は片時の間といへど、なほあやしきまで見ゆる風の心なり」
→ドラマチックですごく絵になる場面だったと思っています。
日本国の成立を伝える古事記によれば、イザナギ、イザナミの男女二神がまぐわって産んだ子供は・・・なぜか初めのうちは島々で、それは淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして本州の八つ。それゆえにこの国を大八島と呼ぶのだが、どこを拠点として八つの島を考えたかは、やはり大和の国が歴史も古く、そこから眺めて、まずは淡路島、そしてその向こうに四国、次いで隠岐、朝鮮半島からの文化の伝来が顕著であった証だろう。ならば九州その向こうに壱岐、対馬がある。そしてやっぱり佐渡は気になるなあ。そして、ここ、ここ、本州を忘れちゃいけないよ。
一番大切なものを最後に付け加えて大八島とした。
映画で有名な、柴又の寅さんもたたき売りのときには
「物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島」と口上を述べている。
つまり淡路島は遠い時代の人々にとってとても近しい、気がかりの島だった。
よってもって源兼昌が詠んでいる。
78番歌 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
金葉集から採った一首で、関路千鳥、つまり須磨の関を飛び通う千鳥に因んで創ったとある。
関守の仕事は厳しい。都を離れて寂しい。悲しく鳴いて飛ぶ千鳥の声に関守は幾夜眠りをさまされることだろう。眠られない夜はどんなにわびしいことだろう、と、そんな同情が潜んでいる。
須磨は風光明媚で知られた歌枕だし、淡路島は「あわじ島」とて恋人同士がなかなかあえないことを暗示している・通っても通っても悲しく泣くばかり、風景描写がそのまま切ない恋の心情と響きあうところがみそ。そういう歌と見るべきでしょうね。関守という言葉も恋を遮る人を思わせるし・・・言葉のイメージを膨らませて創った一首という感じが強く、
― 実際の淡路島なんか知らなくてもいいじゃんー
知らない方が却って想像をしやすいこともある。体験から歌ったものではなく、イメージ優先の歌と判じてみた次第である。(阿刀田高)
追伸
百々爺がスプーンとしゃもじを振れるようになられたってことは、ご家族揃って快気とのこと、御同慶の至りです。
ご当地では第50回記念の高校大阪同窓会が盛大に催されました。東京の200名には及びませんが、175名は近年にない参加者でした。45年卒業の年度幹事初め、関係者のご努力の賜物でしょう。井村屋さん謹製の記念招福羊羹、前迫氏(2014年東京同窓会でも出演)の圧倒的な声量と歌唱力のカンッォーネ、学年別から地域別への席替え等、見事な運営で一同楽しく歓談して、来年の再会を期して楽しい一日を終えました。(facebookご参照)
・「島の始まりは淡路島」ですか。なるほど、寅さんのセリフ聞いたような気がします。摂津までが畿内なので淡路島は殆ど畿内と接した島=近寄りやすい島だったのでしょうね。
大八島をリストで見ると古来島流しと言われたのがよく分かります。
淡路島 淳仁天皇
四国(讃岐) 77崇徳天皇
隠岐 99後鳥羽天皇 後醍醐天皇
佐渡 100順徳天皇
ですもんね。淡路島から見ると対岸の須磨~明石は眩しく見えたことでしょうね。
・関守と言うと愛する家族を故郷に残し単身でつらい職務に従事する男を連想します。その窮極が赤紙一枚で戦地に赴いた兵士たちでしょう。全く狂っていましたねぇ。
・高校大阪同窓会、にぎやかでよかったですね。FBで写真見せていただきました。50回記念というと丁度ウチらの卒業と同時に発足した感じですかね。核になる人たちがいてのことなんでしょう。いつまでも続きますように。
月・火と2ラウンドやってきました。楽しかったです。
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
美しい歌で、口調もよろしく、愛唱しやすいとは田辺聖子さん。
説明は無用で、歌だけあれば自分の孤独な境遇、故郷にある家族への思いをいたす情景が浮かぶ。源兼昌はこの歌を残したことで歴史にその名を留めた。
淡路島は歴史の古い場所として「万葉集」に詠まれているが「古今集」以降の用例は少ない。淡路島と千鳥の取り合わせはこの歌が嚆矢であり、これ以降にこの歌を本歌として確立・流行していった。また、須磨を歌枕として詠まれたのは海女や藻塩の煙、塩焼き衣などの海辺の題材で、千鳥はもちろん関や関守も読まれていなかった。
須磨の関が歌題として浮上するのは源氏物語の尊重によるものであり、俊成の「千載集」以降の事で、須磨の関や関守が歌語として流行するようになった。(吉海直人)
須磨の関有明の空に鳴く千鳥かたぶく月は汝もかなしや (藤原俊成)
月すみて深くる千鳥の声すなり心くだくや須まの関守 (西行)
淡路島わたる千鳥もしろたへの波間にかざすおきつ汐風 (藤原家隆)
月もいかに須磨の関守詠むらん夢は千鳥の声にまかせて (〃)
旅寝する夢路は絶えぬ須磨の関かよふ千鳥の暁の声 (藤原定家)
淡路島ふきかふすまの浦風にいくよの千鳥声かよふらん (後鳥羽院)
淡路島かよふ千鳥のしばしばも羽かくまなく恋ひやわたらむ (源実朝)
織田庄吉は百人一首の歌は主題(部立て)と語句(共通語)によりお互いに連鎖していると説く。
夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
逢坂 鳥のそろ音 夜 目を覚ます関守 逢坂の関
淡路 千鳥鳴く声 夜 寝覚めぬ関守 須磨の関
兼昌の歌は清少納言の歌(#62)の合わせとして撰ばれたている事は明らかで、
共通語による連鎖のほか、淡路が異口同音の「逢わじ」に変化するという言語構造を価値として「百人一首」に採られていると書いている。
・源兼昌のことはよく分かりませんがきっと兼昌は源氏物語の大愛読者だったのでしょう。そして身分の低い自分が歌人として名を残すには源氏物語の威光を借りるのが一番と思ったのではないでしょうか。さりとて源氏物語を題材に和歌を作りまくるのも上手くない。ここは一番インパクトのある一首で勝負しようとして「須磨」を題材に選んだ。そして明石とで三角関係にある淡路島を配し、ものあわれの象徴として浜千鳥を詠みこんだ。
→兼昌の目論見はまんまと当り源氏物語をバイブル視する俊成-定家の目にとまりついには百人一首入選の栄誉を担った。
→78番歌は知ってても源兼昌の名前は知らない人の方が多いでしょう。しっかり記憶して後世に伝え残しましょう。
・「須磨」「淡路島」「関守」「千鳥」の歌のリストアップ、ありがとうございます。皆それぞれに源氏物語「須磨」「明石」の巻を思い浮かべての作歌だと思います。
・そうですか、織田正吉は78番歌と62番歌を連鎖させていますか。なるほど。面白いですね。ということは「紫式部」対「清少納言」のバトル、「源氏物語」対「史記函谷関の故事」のバトルになりますねぇ。謂わば源兼昌は紫式部代理と言うことになりましょうかねぇ。
→そりゃあ、78番歌の勝ちでしょう。
松風有情さん、美しい歌絵ですね。
虹の向こうに見える淡路島の構図、いいですね。
虹を背景に、千鳥は自由に行き来でき、昼間その風景を見ている関守の寂寥感は少しやわらいだことでしょう。
この兼昌の歌は、その当時新風とされ、時代の好みであったようで、続々と須磨の関や関守をうたった作品があらわれてきます。昔も今も流行に人間は弱いものらしいです。
謡曲『忠度』にある「浦風までも心して春に聞けばや音凄き須磨の関屋の旅寝かな」は、この78番歌「淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守」をふまえています。
謡曲『源氏供養』にある「名も紫の色に出でて見えん姿は恥づかしや」は金葉集、恋下、源兼昌の歌「今日こそは岩瀬の森の下紅葉色に出づれば散りもしぬらめ」の影響を受けています。
余談
友人の家に泊めてもらい、郡上市大和町の「古今伝授の里」に行ってきました。
文学上のことは島津忠夫氏が中心となり監修された場所ですが、今年4月に89歳で亡くなられ、淋しいかぎりです。
池に浮かぶレストラン「ももちどり」の名は「さまざまな鳥たちが集いさえずる」という古今伝授の秘伝の鳥「百千鳥」に由来しているそうです。
なんだか百人一首談話室の仲間みたいですね。
・「昔も今も流行に人間は弱いもの」。そうですね。特に日本人はねぇ。
ほんと兼昌以降、続々と詠まれ初めますもんね。「須磨」「関守」「淡路島」「千鳥」はセットで1100年の「流行語大賞」に輝いたのではないでしょうか。
・郡上市大和町の「古今伝授の里」 いい所へ行ってきましたね。
HPでざっと見せていただきました。ここも大和町なんですね。紅葉がきれいそう。
「古今伝授」和歌が受け継がれていくには和歌や伝統に興味を持つ各層の人々の努力が必要だったのでしょうね。岐阜の山里にそれがある。面白いですね。