9番 小町 花の色は永久に不滅です!

さて、お待ちかね妖艶美女の登場です。どんな談話に花が咲くか楽しみであります。

9.花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

訳詩:   春は爛け 我にかえって眺めやれば
      花はもう盛りをすぎ 色あせてしまった
      ああ この長雨を眺めつくし
      思いに屈していたあいだに 月日は過ぎ
      花はむなしくあせてしまった そして私も

作者:小野小町(生没年・伝未詳) 仁明朝(8世紀前半)ころの宮廷歌人 六歌仙
出典:古今集 春下113
詞書:「題しらず

①誰もが知っている小野小町ですがこの人も生没年・伝未詳であります。
 任明朝(833-850)頃の女房で歌人と言われている。古今集に18首。大女流歌人です。
 出自として11番小野篁(802年生まれ)の孫とか出羽郡司小野良真の娘とかの説もあり。
 →まあよく分からないということです。
 →仁明天皇の更衣であったとも書かれていたがそうだろうか。更衣なら当然お手はついた筈だが、、、。

②古今集序での小野小町評
 小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず。
 いはばよき女の悩めるところあるに似たり。強からぬは 女の歌なればなるべし

 →「衣通姫の流れ」=絶世の美人、そして「強からず」 いいじゃないですか。

 (余談)
  世に言う本朝三美人は衣通姫、光明皇后(聖武天皇の皇后)、53番藤原道綱母
  →小野小町は入っていない。誰がどう決めたのか知りませんが、、。

 小野小町の他の歌
  思ひつつ寝ればや人のみえつらむ夢としりせばさめざらましを
  うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものは頼み初めてき

  →夢の歌が多い。夢の中に生きた女ということか。

③古今集で歌人たち(安倍清行・小野貞樹・文屋康秀)と歌の贈答をやっている。
  文屋のやすひでが三河の掾になりて「あがたみにはえいでたたじや」と、いひやれりける返事によめる
  (小野小町)わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ

  →小町さん文屋さんを訪ねて三河まで来たんですかね。どうでしょう多寡秀どの?

  他に12番僧正遍昭とも親しかったようで軽妙な歌のやりとりをしている。
  →美人で歌が上手で気がきいて機智に富んで、、、アイドル女房だったのでしょうか。

④さて9番歌、「すばらしい歌である」と田辺聖子は絶賛している。
 「眺め」と「長雨」、「降る」と「経る」の掛詞
  →長雨ときくと「雨夜の品定め」を思い浮かべる。
  →「世に経る」の「世」は男女のなからい、異性との愛情関係を表す言葉。

  この歌から爺が抱く小野小町像は、
   美人で頭もよく仕事もよくできるすばらしい女性だった。ただ身分的な壁があり天皇の寵を得たりトップ貴族の妻になることはできなかった。さりとて並の貴族と所帯を持って並の女性になってしまうには美人過ぎた。結局美人たる人生を孤独に生き抜いた女。そんな女がアラフォーくらいになって心境を詠んだのが9番歌ではなかろうか。

  →「源氏物語作中の美貌女性の中でこの歌の心に共鳴するのは晩年の六条御息所であろうか」(上坂信男)
   ⇒爺も賛成です。

⑤小野小町、数々の伝説を生み小町物の謡曲などいっぱいあるようですね。

 →先日山梨に花見に行った帰りにたまたま御開帳をやっているというので甲斐善光寺に立ち寄ったらその宝物館に小野小町の髑髏像があったのでびっくりしました。あまりいい気持ちのものではないですね。 

カテゴリー: 1~10番 パーマリンク

20 Responses to 9番 小町 花の色は永久に不滅です!

  1. 小町姐 のコメント:

    物心ついた頃から好きでした
       花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

    カルタ遊びでもこの札だけは誰にもとられたくないと必死で探しました。
    と言うわけで私のハンドルネームに小町を使わせていただきました。
    皆さんのハンドルネームもそれぞれに思いがこもっていてなるほどと納得です。
    かくいう私も世界三大美女、楊貴妃、クレオパトラと並び称される歌詠みの才女、小野小町を恐れ多くもそのまま使うわけにはいきません。
    そこで小町婆にするつもりが百々爺さんから姐はどうかとの提案。
    かくて皆さん方の姉の意味も込めて小町姐になりました。
    歌の贈答や浮名まである小町さんまでがどうも伝未詳のようですね。
    伝説の女、謎を秘めてこそ美人の象徴かも知れませんね。

    その大好きな歌、花の色・・・を「私この歌嫌いなの」と言い放った女性がいました。
    今から50年も前のうら若きOL時代(そのころはBG)のことです。
    毎年新年の初出勤は振り袖など晴れ着で勢ぞろいするのが慣例でした。
    その後、支店長のお宅にお呼ばれして「かるたあそび」をするのです。
    その折、社内きっての美女の誉れ高き先輩女性が発したのが先の言葉「嫌いなの」です。
    なぜ嫌いなのかを聞いた所「いずれ年を重ねて老醜をさらすのかと思うと身につまされる」
    「ほお~」美女はそんな先のことまで考えるんだと感心したのを今も覚えています。
    あれから50年、彼女はOB会にも女子会にも一度も現れません。
    若さを失った姿を見られたくないのか、はたまた美人薄命とやらでひょっとして・・・
    折に触れ子どもの頃から単純に好きだった「花の色は・・・」は今になって先輩女性の言ったことは確かになるほどと思わせます。
    花も女性もいずれ枯れていくのは自然の流れ、世の常です。
    しかし歳を重ねることは決して悪いことではありません。
    60代~70代はあらゆる束縛から解放され自由を謳歌できるハッピーな年代なのであります。
    この歌は子どもの頃と青春時代の思い出につながる一首です。

    話変わって滋賀県の小野神社ご存知でしょうか?
    この神社の祭神、米餅搗大使主命は応神天皇の頃、わが国で最初に餅をついた餅造りの始祖と言われています。
    また古代氏族である小野一族の始祖を祀り、飛鳥時代の創建と伝わり小野妹子・小野小町・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族、小野氏の氏神とも言われているそうです。
    琵琶湖一周の時に立ち寄りましたが果たして本当なんでしょうか?
    小野小町さえも未詳の人物なのに、何やら嘘のような本当の様な話ですね。

    • 百々爺 のコメント:

      男性は美男子を見てもさほど羨ましいとは感じないと思うのですが(私の場合だけじゃないでしょう)女性が見る美人はまた違うのでしょうか。美人論、色々あると思うのですが美しさを(若いまま)いつまでも維持するって大変だろうなと思います。誰しも年は取るわけで年相応に老いて年相応の美しさを保てればいいと思うのですが、人間得てして年を隠そうとする。そうなるともう醜い意外なんともなくなってしまう。
       →美人を生きるって大変だろうなと思います。
       →おっしゃる通り今やゴールデンエイジ真っ最中、大いにエンジョイしましょう。

      小野氏も近江発ですか。小野神社、知りませんでした。9番歌小野小町の紹介にも11番歌小野篁の紹介にも出てきませんでした。ネットで見ましたが小さな神社ですね。でも餅つきの元祖なんて、面白いですね。ご紹介ありがとうございました。

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    女性の一生を、いやみなく、さらりと、でも本心から詠んだ歌だなと、感心させられます。爺が掲載してくれた他の二首もよい歌だと思います。
    小町姐さんがOG時代を振り返って述べているように、若いときの女心にもそれぞれ女性の思いに沿い響く歌だし、女盛りを過ぎそろそろ人生が見えてくる女性にも楽しくも懐かしくも響く歌なんだろうと思います。

    小野小町の女性像は、小生も爺がまとめてくれたイメージと同じですが、少し憂いを秘めた女性のイメージであります。名前に”小”が二つ並んで出てくるのも、ぴったりの感じです。
    そこで、昨年の完読旅行で大いに盛り上がった源氏物語配役リストを思い出し、小野小町は、若き時代が、蒼井優(2010年版で浮舟役)、世が経ると”まれ”にでている田中裕子かと思いますが、いかがですか。
    因みに、源氏物語で共鳴する美女とされた六条御息所の配役は、坂東玉三郎ですので、これも小野小町にぴったりで、喧喧がくがくの尽きぬ議論でしたが、やはりよくできたリストだと思います。

    • 百々爺 のコメント:

      小野小町、伝未詳なので尾ひれがついて色々な伝説が出来上がってしまい、本当の姿を思い浮かべることが却って難しくなっているのでしょうね。もう少し実体が分かるような資料があればいいのでしょうが。一つ12番歌の所で触れますが僧正遍昭との間で洒脱な歌の贈答をしています。それを見ると頭もいいし機智に富んだいい女房だったのではと思います。本人はそのつもりでなくても美人だけに人からは冷たい女と見られ、それを意識して憂いを秘めた感じだったのかもしれませんね。

      配役ですか、芸能界に疎い私には何とも言えません。ここは得意な皆さんにお任せします。
       →田中裕子、私はおしん以来大フアンですが、今度のおばさん役はあまり気に入っていません。。

  3. 枇杷の実 のコメント:

    世界三美人の一人、小野小町さんは日本美女の代名詞です。
    絵札でみた十二単の後姿の小町から、昔にはこういう美女が居たのかと覚えた次第。
    堂々と自分を花(桜)にみたてて歌を詠めるのは自他ともに認める美女だからこそ。
    紀貫之は(容姿ではなく)歌を絶賛して六歌仙の一人に選び、20首ほどの歌を古今集に収めた。もう一つの有名な歌、「色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける」も調べのある、い~歌ですね。
    小町には「七小町」という異名・伝説があり、それぞれを題材にした謡曲、芸能があるとか。Wikipediaにある月岡芳年の美人画「卒塔婆の月」を見ると憐れで、往年の小町が伺えます。
    今朝はヤンキーズの田中投手の三勝目をTV観戦する予定でした。突然の故障者リスト入りはまことに残念。しょうがないからこれからゴルフ練習にでも行きますか。
       深草さん お化けになって 何度目に   

    • 百々爺 のコメント:

      こんな美人を六歌仙に撰んだ紀貫之、そして百人一首に撰んだ藤原定家ご両人にアッパレをあげたいですね。きっと二人ともニヤニヤしながら撰んだのでしょうね。まさか千年後でアッパレをもらおうとは思ってなかったでしょうが。。

      「卒塔婆の月」、ご紹介ありがとうございます。リアルで小町が可哀そうです。美人は美人の時がいいのであって、小町も年老いた姿など描いて欲しくなかったでしょう。美人をやっかむ大衆、それに迎合する画家、好きではありません。

      マー君、心配ですね。手首とのことですが肘から来ているとの憶測もあるようで。折角今が旬なのに、NYYフアンなんて現金なのですぐ忘れてしまいますからねぇ。

  4. 松風有情 のコメント:

    小町姐さんはかの妖精コマネチの響きにも似て素敵ですよ。

    久々に絵画を投稿しました。
    http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/04/KIMG0148.jpg

    花は桜との通説ですが、長雨に色褪せなどから紫陽花に振り返った小町姿にしてみました。万葉集にも詠われたあじさいなので、パッと咲いてパッと散る桜より次第に色が変化する様が歌には合う気がしたからです。

    • 百々爺 のコメント:

      ありがとうございます。うまいじゃないですか。

      紫陽花、いいと思いますよ。別名「七変化」とも言いますしね。紫陽花は万葉集に出てきますか、古いんですね。源氏物語には出てきませんでした。夏の町の一隅に植えておけばよかったのに。

      平安女性は普通立たないのでこの小町の立ち姿新鮮だと思います。
      (源氏物語で女性が立っているのは唐猫事件の時の女三の宮だけです)

      • 小町姐 のコメント:

        ありがとうございます。
        妖精コマネチに対して小太りのコマチネ(小町姐)です。

        紫陽花に立姿の小町絵は時期的にも今風で新鮮ですね。

        紫陽花の和歌は俊成、定家父子が詠んでいます。
        夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり
        藤原俊成

        あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る
        藤原定家

  5. 百合局 のコメント:

    この和歌の「うつりにけりな」と言い切った強さを好ましく思います。
    能には「草紙洗小町」「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒都婆小町」などがあり、小町が主人公ですが、小町の若い時を題材にしているのは「草紙洗小町」だけです。
    それ以外は老いた小町、老いて流離っている小町、ドクロになっている小町(爺が観たのはこれでしょうか)など哀れをもよおすものばかりです。
    おそらく仏教思想の影響でしょうね。和歌の才能も美貌も人(男)を迷わすものとして、仏教の教えとは相いれなかったのでしょうかね?
    ただし各地に小町伝説が残っているということは、後世の人々に愛され、きっと根強い人気があったあらわれでしょうね。
    馬場あき子全集⑤によると「『後撰集』の中に『小野がうまご』と作者名のある一首があるので、結婚もし孫もあったらしい」「小町が男を通わせなかったのは、仁明天皇の衣服のお世話をする更衣の職掌にあったため」だそうです。
    謡曲『清経』では「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼み初めてき」(古今集、恋二)が使われています。
    謡曲『井筒』には「昔を帰す衣手に夢待ち添へて仮枕苔の莚に臥しにけり」とある。これは小町歌「いとせめて恋しき時はうば玉の夜の衣を返してぞきる」(古今集、恋二)からとっているようです。
    謡曲『檜垣』には「根をこそ絶ゆれ浮草の水は運びて参らする、罪を浮かめて賜び給へ」とある。これは「侘びぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ」(古今集、雑下)からとっているようです。
    謡曲『関寺小町』では「侘びぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なんとぞ思ふ」とそのまま使われています。
    謡曲『通小町』に「ある人市原野を通りしに薄一叢生ひたる蔭よりも、秋風の吹くにつけてもあなめあなめ、をのとは言はじ薄生ひけりとあり、これ小野の小町の歌なり」とあります。百々爺が観た絵はこのドクロを描いたものだろうと思います。
    歌舞伎舞踊では「六歌仙客形」「積恋雪関扉」などがあります。
    小野小町もロングランのこの人気にあの世でびっくりしているでしょうね。

    • 百々爺 のコメント:

      詳しい引用ありがとうございます。これだけ調べていただけると資料として貴重なものになるでしょう。

      小町さん、大人気ですね。やっぱり美人は強いなあと思います。謡曲などはちょっとした教養がある人に「ははあん、あそこから取ったな」と分からせることが大事なのでしょうね。小町の歌や物語なら観衆(特に男性)には大受けたっだのでしょう。

       →「花の色は」歌が引かれてませんね。
       →文屋康秀に応えた「侘びぬれば」が多く引かれてますね。機智に富んだいい歌だからでしょうか。
       →「小町は仁明天皇の更衣だった」ということはお手がついてたのでしょうね。小町が宿したご落胤、、、なんて話があっても面白いかも(不敬罪になりますかね)

  6. 松風有情 のコメント:

    絵のサイズでご迷惑おかけしました。
    アップありがとうございます。

    川柳は
     まだ効くよ! 還暦過ぎの かがみ絵馬

    京の河合神社がパワースポット?

    昔作った川柳は

     ハルウララ 元祖はわたし うらら姫

    • 百々爺 のコメント:

      えっ、美人祈願の絵馬があるのですか。そりゃあ、人の弱みにつけこんでますねぇ。いや、人に希望を与えているとも言えますかね。。また絵心湧いたら画いてください。

  7. 文屋多寡秀 のコメント:

    歌をよむたびに小町は名がふえる

    今回は川柳から9番歌に迫ってみます。小町は川柳界においても屈指のスターですね。小町を詠んだ川柳は在原業平と並んで最多のようです。

    その人気の所以は
    ①日本最高の美女であり、揚貴妃とともに和漢を代表する美姫でありクレオパトラを加えて世界三大美女といわれる存在であること。

     また文かそこらへおきゃと小町いひ

    ②それにも拘わらず生涯男を持たず、そのため「穴なし伝説」がうまれたこと。

     花の色は美しけれど実はならず

    ③その結果、晩年は放浪をつづけ物乞い袖乞いの生活を送るという転変の人生を送ったこと、などが挙げられるようです。

     百人に老入(おい)れのわるい花の色
      老入(おい)れは老後のこと。

    小町には詠んだ歌やエピソードに応じて数々の異名がありますね。
    雨乞い小町、通い小町、草紙洗い小町、玉造小町、鸚鵡小町、関町小町、卒塔婆小町がそれで、百合局 さんご紹介の通り能の演目の名でもあるとのこと。謡曲の世界でも人気者のようです。

     七小町気楽なときもなかりけり
     七小町四小町ほどは美しき
      上記の順序でいえば玉造小町までが「美しき」で、後は老残の小町。

     名は七つあって女の要なし
     七変化したは古今の立ち女形(おやま)
      古今は今日までと「古今和歌」をふまえ、女性を女形と呼ぶのは「穴なし」の意か。

    百々爺 からお問い合わせのありました我が先祖文屋康秀がらみで

     誘ふ水あるをきかずに卒塔婆なり
      
      康秀が三河の掾に任ぜられた時「あがたみに得いで立たじや」(一緒に田舎見物に行きませんか)と誘うと、小町は「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘う水あらばいなんとぞ思ふ」との歌を返しました。

      御下問の答えになりましたでしょうか。

     

    • 百々爺 のコメント:

      ホント小野小町はモテモテの大スターですね。これだけ川柳のネタになるとは大したものです。それにしても色々と言われてますねぇ。噂が噂を呼び伝説が新たな伝説を作っていくという図式でしょうか。憶測ですが古今集編纂時紀貫之の頃はまだ小町は実体ある女性として語られていたのでしょう。ところが時が過ぎて室町で謡曲に取り上げられたあたりから小町像は実体から離れ、江戸の戯作者の手になるに及んで無茶苦茶、訳が分からなくなったような気がします。人気者はつらいものです。

      江戸川柳の紹介ありがとうございます。

      1.「穴なし伝説」とはちょっとあんまりですねぇ。所がこの伝説、既に紫式部の時代にあったようで源氏物語(玉鬘3)で次のように語られています。

       (玉鬘の乳母)「容貌などはさてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ

        →求婚を迫る田舎の豪族に、玉鬘は不具者なのでと言う口実で断る。
         (脚注 穴無し小町の伝説のごとき不具を意味するか)

      2.そうどすか、「誘ふ水あるをきかずに卒塔婆なり」でっか。小町はんご先祖はんのお誘いを断りはりましたんやな。そりゃあきまへんな。ご先祖はんももうちょっと気張って誘われたらよろしおましたのに。。。

  8. 源智平朝臣 のコメント:

    小野小町はさすがに人気が高く、コメント殺到ですね。松風有情さんが投稿された絵はとても素敵です。紫陽花と取り合わせるというセンスの良さにも感心しました。

    まず、小野小町架空説についてですが、小生は百人一首の作者を通じて王朝時代を中心とした日本の歴史をもっと知りたいと願っているため、8番の喜撰法師とか5番の猿丸大夫のように経歴不明の人物には興味を持てず、コメントを控えました。小野小町も生没年・伝未詳なので、架空説もあるようですが、それは女性であったため、ちゃんとした名前や官位がなかったからだと思います。彼女の自作の歌や在原業平・文屋康秀・僧正遍昭等との和歌贈答の記録が残っていることから、名門小野一族の美しい女性として実在していたことは間違いないと確信しています。

    「花の色は…」の歌は技巧を駆使しながら自然な流れの秀歌ですね。この歌は客観的に自分自身を見つめることができる冷静で現実的な彼女の性格も表していると思いますが、如何でしょうか。

    それにしても、小野小町の晩年に関する言伝えは、卒塔婆小町や雨乞小町を初めとして、哀れなものばかりですね。衰えつつあったと言え、名門小野一族の女性がこんな境遇に陥る筈はないので、小生は全て作り話だと思います。こうした衰老落魄話が作られたのは百合局さんが指摘するように仏教思想の影響あるのでしょうが、小生は美女はとかく男の怨みや女の嫉妬を招きやすいからでもあると思います。美女の味方である小生としては、振られた男には「美女は言い寄ってくる沢山の男にいちいち良い顔しておられないのだから、怨みなさんな」と、嫉妬を抱く女性には「美女を妬まず自分の心を磨いて、気立てで勝負しなさい(or 救いようのない「ぶす」なら親を怨め)」と言いたいですね。でもまあ、「ひとの不幸は蜜の味」というのが人間の悲しい性(さが)でしょうから、美女が怨まれたり妬まれたりするのはやむをえないのかもしれません。

    衰老落魄話をでっち上げられないためには、美女はやはり薄命でないと駄目なのでしょうか。楊貴妃、クレオパトラ、マリーアントワネット、マリリンモンロー、夏目雅子等々、実例は一杯あります。神様は美女がお好きだからというだけでなく、美女が怨みや妬みを買って酷い目に遭わないように、早く天国にお召しになるとも考えられます。真偽のほどは不明ですが、小野小町はそれにもかかわらず長生きした。そして「小野小町九相図」によれば、開き直って「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる(飢えたる)犬の腹を肥やせ」の歌を残したとか(Wikiより)。こんな凄まじい啖呵を切るお婆さんになるなんて、やはり小野小町は超冷静で超現実的な女性であったと大いに感心する次第です。

    • 百々爺 のコメント:

      百人一首を通じて600年の歴史を勉強しよう、、、いいですねぇ。私もいっしょです。歴史の教科書や年表の羅列からでは見えてこないものを肌で感じられるような気がします。どうぞ歴史認識のまとめを都度書き込んでください。

      1.確かにこの時代通常女性は名前や官位がない。即ち歴史の表舞台には記録されないと言うことですからね。その中でも小町は名門古代氏族小野氏の出身で歌人として古今集にも載せられている。実体がある方でしょう。おっしゃる通り架空説はないと思いますよ。

      2.実在はしたとして、美人だったか、どれほどの美人だったか。これは「おぼろ」ですね。この時代女性はめったに顔を見せなかったし、そもそも美人かどうかなんて思い込みみたいなところが大きいし、見る側の個人差もあるし、、。結局は実体とは別に美人のイメージが作られていった。小野小町と言えば美人の代名詞ということになっていったのでしょう。
       →別にそれでいいのですが。

      「花の色は」、いい歌ですよね。これらの歌から小町の実像を推理して評価を下す。あるべき姿だと思います。
       →美人に弱い智平どのの評価が甘くなるのは仕方ないところでしょう。

      • 小町姐 のコメント:

        小野小町談義、大いに花が咲きましたね。
        これだけ平成の世にまであれこれ話題尽きない当の小町さんはあの世でどんな気持ちでしょうね。
        小町ファンの小町姐としては晩年の衰老落魄話は聞くに堪えませんがこれも美女なる宿命かと受け止めるより仕方がありません。
        でもこれらのすべては今時の週刊誌の下ネタよろしく後世の人物が好き勝手に面白おかしく作り上げたとしか思えません。
        伝未祥なるもこれだけ才ある歌を詠み男性との贈答まである小野小町は智平朝臣さん同様、決して架空の人物ではないと信じたい思いです。

  9. 昭和蝉丸 のコメント:

    小野小町で談話室が”沸騰”しましたね。加えて松風有情さんからは
    素敵な絵まで届きました。
    逐一、例は挙げませんが、各位の知識と造詣の深さに驚愕と感服!
    物凄いですねぇ。
    実は、「本朝三美人」= 衣通姫、光明皇后、道綱母 も知りませんでした。
    衣通姫に至っては読み方すら知らず焦りました。
    色々調べてぼんやり衣通姫のイメージが浮かび上がって来ましたが、
    この「日本書紀」に現れる衣通姫に、同時代人の小野小町を結びつけた
    貫之のセンスを以て、小町を語る百々爺のセンスも凄いですね。

    驚きついでに。
    多寡秀さんがサラリと披露した『穴なし伝説』。
    これも凄い言い回しですね。
    現代小説でこんな凄い言い方をしている作品ありますか?

    いやはや、「これでもか!」「これはどうだ!」と刃を迫られて、
    歌の暗記なんてどうでもいい心境です。(これで暗唱出来ないreasoningが
    出来ました。)

    • 百々爺 のコメント:

      お褒めにあずかり恐縮です。本当にみなさま熱心にフォローいただいており談話室を開いてよかったなあとつくづく思っています。百人一首には話の種が詰まっているということでしょうが、それぞれが関心ある角度から百人一首本・関連本を読みネットで調べコメントを書いていただいていることありがたい限りです。1年続ければ必ずや貴重な財産になると確信しています。

      ・衣通姫、なんだかスケスケルックのお姫さまみたいな呼び名ですね。「そとおりひめ」という和名(やまとことば)も意味を表わしていていいなあと思いますがそれに「衣通姫」という漢字を当てているのも素晴らしいじゃないですか。

      どうぞ感心ばかりしていないで「こんなのもあるぞ!」と刀を返してください。
        →歌の暗記もあきらめないで欲しいなあ。。勿体ないですぞ。

文屋多寡秀 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です