21番~24番と秋の歌が続きます。21番秋の月、22番秋の風、23番秋の月、24番秋の紅葉です。日本人には秋が心に沁みるのであります。
23.月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど
訳詩: 秋の月を見あげていると
おもいは千々に乱れ もの悲しさに包まれる
秋はこの世のすべての人にやってきていて
私だけの秋というわけでもないのに
なぜかひとり私だけが秋の中にいるようで
作者:大江千里 寛平~延喜(889-922)ころの人 漢学者・歌人 下級官吏
出典:古今集 秋上193
詞書:「是貞親王の家の歌合によめる」
①出自としては色々書かれている。
・大江氏は菅原氏とともに元々は土師氏(奈良の古代豪族、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族)から出ている。
・千里の父大江音人は阿保親王が侍女に生ませた子であり行平・業平の異母兄にあたる。即ち大江千里にとって行平・業平は叔父にあたる。
→上記の二つ、何となく辻褄合わないような気がするのだがどうだろうか。
何れにせよ千里の父大江音人は優秀な学者であり参議にまで昇っている。音人こそ後に続く学者一族大江家の始祖と言えよう。
②千里はその音人の子、官位は正五位下・式部権大輔まで。父を継いで漢詩に長け和歌もよくした。
後の大江家の人としては、
大江匡衡(まさひら) 歌人 赤染衛門(59番)を妻とした
大江雅致(まさむね) 越前守 和泉式部(56番)の父
大江匡房(まさふさ) 73番歌
→千里を入れて百人一首に4人も大江家の人が入っている。大したものである。
漢学者大江千里が宇多帝の命を受け献上したのが「句題和歌」。漢詩の句を三十一文字に詠みこむというもの。120首に及ぶ。
句題和歌序 、、古キ句ヲ捜シテ新歌ヲ構成セリ、、
→同僚に菅原道真。漢詩から和歌への流れを作った歌人の一人。
→正に換骨奪胎、外国の良き物を日本風に取り入れる。日本人の知恵である。
③さて23番歌 「是貞親王の家の歌合によめる」
→22番歌と同じ歌合での歌。偶然であろうか。
・これも句題和歌の一つである。
燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長 白氏文集
えんしろうちゅうそうげつのよる あききたってただいちにんのためにながし
・物こそ悲しけれ=「秋はかなしいもの」
→これぞ日本文化、日本人の心である。
22番歌の所で載せた藤原季通(千載集)の歌を再掲しておきます。
ことごとに悲しかりけりむべしこそ秋の心を愁といひけれ
23番歌を本歌として定家が詠んだ歌
いく秋を千々にくだけて過ぎぬらむ我身ひとつを月に憂へて
→定家は23番歌を気に入っていたのでしょう。
・この歌の心を源氏物語から探すと須磨の秋の源氏の心境であろうか。
見るほどぞしばしなぐさむめぐりあはん月の都は遥かなれども(須磨15)
→この場面良清、惟光らとの主従の唱和が切ない。それぞれに想いを込めて。
・「月」は百人一首に12首。22番歌の所で述べた「風」13首同様非常に多い。
7.21.23.30.31.36.57.59.68.79.81.86
・千里は叔父業平の次の歌を参考にしたのではとの指摘もあった。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして(伊勢物語4段)
→「我が身ひとつ」の言い方は参考にしたんでしょうね。
→高子に言い寄った叔父業平の行状は参考にしなかったのかも。
④大江千里というと「照りもせず」。源氏物語「花宴」が蘇ります。
不明不暗朧々月 (白氏文集)
暗カラズ明ルカラズ朧々タル月
照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(新古今集)
いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞなき」とうち誦じて、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。
→花宴2 源氏が終生好きだった朧月夜の鮮やかなる登場である。
源氏 深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ
紫式部は白氏文集に通暁していた。当然大江千里の句題和歌も熟読していたのでしょう。 紫式部も学者一家、大江家にも通じるものがあったと思います。
学者(文章生)については源氏物語(特に夕霧の教育問題を扱った「少女」の巻)では世渡り下手なぶきっちょな人たちとして諧謔的に語られているのですが、これは「卑下も自慢の中」ということでしょうか。
話しが飛んですみません。。
小倉百人一首で圧倒的に多いのが恋の歌とすれば、その次に多いのはは秋の歌でしょう。なんせ第一番歌からして秋で始まってますよね。
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ
そして先の22番歌も。なおかつ同じ歌合わせの歌(これさだのみこの家)と来ています
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
23番歌
この歌の身上はこの大げさな言い方・修辞法かもしれませんね。
「私ひとりの秋ではないけれど」
「あなた一人の秋のわけないでしょう」
野球で、特に高校野球の監督などまれに、一ファンまでも、
「何がまずかったんでしょうね」
「私が悪かったんです」
わが身ひとつが悪いどころか、なにもわるくはないのに・・・。
これとおなじようなこと・・・・。
正岡子規は「歌は感情を述べるものであり理屈をいうものではない」とこき下ろしているようですが。
さて現代では多くの人が親しむ詩歌と言えば、歌謡曲やポップス。カラオケ、youtubeですぐにメロディが流れ画面に現れます。歌には秋の気配がみなぎっています。
誰かが言ってましたね。
「歌は感情を述べるものであり、理屈を言うものではない」と。
崩れゆくもの・無頼派・デカダンス。
太宰、勝目梓につづく作家としてこの春亡くなった 白川道。
この夏は喪に服する意味で白川作品を読み漁りました。
胸の動悸を抑え、こぼれる涙をぬぐい・・・・。まさに秋。
大げさな修辞法でした。
ぐっと秋の風情が高まってきましたね。今朝は蝉の声がピタリと止み草原は虫の声でした(クワガタは1匹みつけましたが)。当地では稲刈りも始まりもうすっかり秋です。
1.季節感がなくなった昨今ですが折に触れ秋を感じていきたいと思っています。恋について言えば恋は春に芽生え夏に燃え盛りそして秋に、、、実るのか散るのか、、、。何れにせよ秋はもの思いの季節。
→百人一首中 春は6首、夏4首、秋16首、冬6首
秋が圧倒的に多いのは「むべなるべし」であります。
2.「わが身ひとつの秋にはあらねど」
確かに大げさな修辞法ですね。でも所詮人の感情はその人だけのものですから(他人の感情を慮ると言っても限度がある)それでいいんじゃないでしょうか。
3.「歌は感情を述べるものであり、理屈を言うものではない」
俳句もそうでしょう。いや文学ってそういうものなんでしょうね。でも「嬉しい」を述べるにも言い方があってそれを個性的かつ普遍的に言うのが文学じゃないでしょうか。理屈と言ってしまえばおしまいですが単に「ものすごく嬉しかった」と言うだけでは幼稚園児の作文に過ぎないでしょうから。
→今、古今集についてあれこれ考えてまして、子規の言葉の意味する所を探ろうとしている所です。
4.白川道、ですか。私には縁遠い人です。それにしても硬軟色々読まれていていいですねぇ。
→大げさな修辞法、けっこうじゃないですか。是非俳句でぶつけてください。
爺が引用してくれている 大江千里の歌;
不明不暗朧々月 (白氏文集)
暗カラズ明ルカラズ朧々タル月
照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(新古今集)
なかなかいい歌ですね。それに源氏物語の”花宴” 上でも書いていただいていますが、まさに名場面だったなーとこの歌であらため思いだされます。
秋の月も春の月も人の心を捉えて離さぬものです。
ところで、先般7月31日、熱海の海岸線の絶壁に立つホテルに泊まったところ、日が暮れたころ、満月の月光が、真正面に、天空から静かな海面に差し込み、そしてそのまま静かな海面を這って海岸線まで、美しいオレンジ色の光を長く放って、今まで見たことのないような光景に巡りあえました。
”ブルームーン”だったのです。知らなかったのですが、一年半に一回ぐらい、一月に二回満月となり、その二回目が”ブルームーン”と言うとのこと。ラッキーでした。7月31日はもう秋の月ですよね。
”百人一首の作者たち”(目崎徳衛)によれば、
大江千里は、”白詩”をたくみに換骨奪胎して、ながく日本人の琴線にふれる作をのこした千里は、詩文をモデルとして和歌の向上を図った寛平期にふさわしい才能であった”
と賞賛しています。
しかし、宇多上皇から醍醐天皇へと時代は変わり、古今勅撰の下命は、紀友則・紀貫之ら新進歌人たちにくだり、千里の出番はなく、彼の歌は置き去りにされた恨みが詠われているように思えると、書かれています。
文屋さんが書いてくれているように、正岡子規は評価しなかったらしいけれど、こういう境地から詠われた歌と思えば、淋しい気持ちを詠ったいい歌ではないかと思います。
最後に、爺が
大江氏は菅原氏とともに元々は土師氏(奈良の古代豪族、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族)から出ている。
と書いてくれているが、三田誠広先生によれば、皇室の葬送儀礼にかかわった氏族ゆえ、みな漢文には強かったとのこと。むべなり。
1.熱海でのお月見の描写、なかなか小説的じゃないですか。感心しました。いいもの見られましたね。感動が伝わってきますよ。ブルームーンと言うのですか、青色に関係ないでしょうにねぇ。
→ブルームーンが中秋の名月(旧暦8月15日)と重なる、、、なんてことがあれば大変なことでしょうね。でも旧暦8月は大体9月なので9月だと30日までしかないのでちょっと無理かな。
2.7月31日の月は秋の月か。どうなんでしょうね、よく分かりません。「秋」の定義をどうするか。暦でいくと新暦だと8,9、10月が秋。旧暦だと7,8,9月が秋。太陽の位置で言うと立秋は夏至と秋分の真中だから大体新暦8月7日くらい(今年は8月8日)。
→普通は立秋からを秋と言うのでしょうね。とすると7月31日の月はまだ夏の月ですかね。
3.おっしゃる通り大江氏(菅原氏も)の本筋(家業)は漢文であり和歌は趣味みたいなものだったのでしょうか。中心が漢文から和歌へ移って行く時代の渡し船の船頭さんのようなものかもしれませんね。
大江千里は漢学者で歌人、やはり漢詩の心を和歌に詠むのは上手です。
歌合の場ではその能力を十分に発揮できただろうと思います。
謡曲『八島』に「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜に敷く物もなき」とあるのは新古今集、春上、大江千里の「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしく物ぞなき」の歌を引き、末句の「しく物ぞなき」を「敷く物もなき」に言い掛けています。
源氏物語「花宴」の名場面を思い出しますね。
百人一首にとられた歌よりも、こちらの歌の方が個人的には好みです。
大江千里と言えば「朧月夜にしくものぞなき」、朧月夜と言えば源氏物語「花宴」、一気につながりますね。
「花宴」朗読聞き直し、読み直してみました。いいですねぇ。「道しるべ」の総括の部分再録しておきます。
[「花宴」を終えてのブログ作成者の感想]
「花宴」はごく短い巻ですが脚注にある通り春の朧月夜、微酔の中で夢幻的に繰り広げられる艶麗な一帖です。内容的には春の賀宴の雅な様子とその夜の朧月夜との遭遇が前半、敵方右大臣邸に招かれての藤の宴と朧月夜との再会が後半、ただそれだけ。非常に分かり易いです。でも藤原俊成が「花の宴の巻は殊に艶あるものなり。源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と絶賛しているようにこの一帖は幽艶そのもので源氏物語の雰囲気を表わす巻としては一番ではないでしょうか。
式部さんの朗読もトータルで21分半、雅な賀宴の様子と艶やかな朧月夜の登場、実にいいです。何れか一巻を例に挙げて源氏物語を語れと言われればこの「花宴」の巻にしたいと思いました。
→2年半前の興奮が伝わってきます。
藤壷との間になさぬ子をなしてしまった源氏。その苦悩を忘れ去るがためのガムシャラとも思える朧月夜への傾倒、、、。朧月夜、かわいい女でありました。
清々爺のコメントは いつもながら誠に的を得て、
抑え所が確実に述べられており感心しますが、
そうですか、今回の千里の歌のキーワードは
「古代氏族」と「本歌取り」ですか。
「古代氏族」の方は、目崎徳衛さんの”百人一首の作者たち” に
任せる(?)として、「本歌取り」について、すぐに頭に
浮かんだのが、五輪エンブレムのパクリ疑惑。
真偽のほどは分かりませんが、標的になった
佐野研二郎と言う人がDesignのArrangerであって、
Designer或いはCreatorでは無かったことが
話をややこしくしました。
このエンブレム問題がどのように決着がつくか、
とても興味がありますが、この所謂、”本歌取り”こそが、
白洲正子さん辺りに言わせると、日本文化のルーツだそうです。
確かに、”本歌取り”も ここまで来ると完全に独立した作品だ
というものもたくさんあります。
たとえば(わたしの大好きな);
酒を勧む 于武陵
君に勧(スス)む 金屈巵(キンクツシ)
満酌 辞するを 須(モチ)ひざれ
花発(ヒラ)けば 風雨多く
人生 別離足る
コノサカヅキヲ 受ケテクレ
ドウゾ ナミナミト ツガシテオクレ
花ニ 嵐ノタトエモ アルゾ
「サヨナラ」ダケガ 人生ダ
でも、このような本歌取りは決してパクリなんて言われないでしょうね。
お久しぶりです、ご登場ありがとうございます。
「本歌取り」こそが日本のルーツですか。白洲正子が言うのならそうなんでしょう。どこまで許されるのか和歌や俳句もそうですが音楽や工芸、デザイン、およそ人の作り出すもの全てについて言えるのでしょうね。
1.五輪のエンブレム問題、新聞でチラチラしか見てないですが何ですかね。DesignのArrangerってどういうことですか。よく分かりません。著作権だの法律的なことはさておきあんなもの一目で判断すべきものでしょう。パクリですね。社会的制裁はきついものになるでしょう。
2.于武陵vs井伏鱒二、いいですねぇ。これを翻訳と言うからややこしくなるのであってこれはあくまで于武陵の「酒を勧む」を背景にした井伏鱒二の独創でしょう。
→今度会う時この詩の中国語朗読聞かせてください。
夫を失い、燕子楼という建物に一人住む身となった妻が「自分にだけ秋の夜長はこれほど長いのか」と嘆く・・白楽天の漢詩を、千里は自分一人の秋ではないと、千々と一つ対比させ和歌に表現した。
技巧的と評されるが、この歌から派生歌も多く、子規も「最も人の賞する歌なり」としている。そのうえで、「上三句はすらりとして難無けれども下二句は理窟なり蛇足なりと存候」とも書いている。
なぜ蛇足かよく分からないが、月を眺めて物思いにふける孤独な姿を詠んだ歌で良い歌と思う。
千里の感性には及ぶ由もないが、もし小生が千里を疑似体験するとこうなる?
宮仕事を終え、自分の屋敷で午後4時頃に夕食をとる。秋の夜長、折しも当夜は満月だ。廂に出て、床に腰をどっかとおろし一人酒を嗜む。清々とした夜空に浮かぶ月を愛でながら、気分よく飲むうちに、あまりにも大きな月に見つめられ、月光に照らされるうちに、段々と酔いがさめてくる。さあ、そこからが大変、眼がスッカリ冴えて眠れない。頭に浮かぶのは、あの人への歌はどうしたものか、明日の宮中でのプレゼンは、ごちゃごちゃした家内の悩み事・・・。あ~、こうなるのは自分だけではない。きっと、この時期は、いづれの人々も秋の心(哀愁)で物悲しくなり、千々の思索に耽っている事だろう。
もっぱら屋内で電光の下、酒を飲む今の世では、月を仰ぐ機会もなく、この歌の風情は持ちがたい。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 独りかも寝む
嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
おお~~、ユニークなコメントありがとうございます。
1.「下二句は理窟なり蛇足なり」と言うことは子規は上三句だけでいいと思ってたのでしょうか。まさかね。
月見れば千々に物こそ悲しけれ
月が季語だしこれで俳句になるもんなんでしょうか。やはり物足りないですねぇ。
2.枇杷の実さんの感性、ちょっと現実的に過ぎませんか。明日のプレゼンが頭をよぎるなんて現役時代を思い出しましたか。秋の夜長を酒で過すには4時開始はちょっと早すぎるかもね。。。。来週は2時からでしたね。よろしく。