何でも書き込み帖 (1) 「定家八代抄」について

育爺休暇中、コメント欄に何でも書き込んでいただくべく「何でも書き込み帖」を随時設けます。百人一首、日本古典に限らずみなさまの身辺雑記でも旅行見聞記でも時事問題解説でも何でも自由に書き込んでください。女子W杯もあるし、交流戦もたけなわだし、ウインブルドンもあるし、、、(スポーツの話題ばかりですみません)、俳句・川柳・映画・古典芸能、、、色々お願いします。

一つ百人一首関連で。。
先日神楽坂での会合の際、小町姐さんから「定家八代抄」(岩波文庫 上下)を譲り受けました。ありがとうございました。中味までは読めていませんが百人一首との関連で「定家八代抄」について報告しておきます。

「定家八代抄」は藤原定家が古今集~新古今集の八つの勅撰集からこれと思ったものをピックアップした私撰集即ち「定家お気に入り歌集」です。定家はこれを座右において愛翫し作歌の指導にも使用したとのこと。まあ定家のバイブルだったということでしょうか。

成立は1215年頃@54才(百人一首を選んだのはこれから20年後の1235年頃)。八代集合計9425首から1809首、約五分の一をピックアップしています。この内百人一首に選んだのは92首。55番藤原公任と82番道因法師の二人は定家八代抄に選んだのとは違う歌を百人一首に選んでいます。百人一首の残り6首は八大抄以外(即ち八代集以外)からのものです。以上をリストにすると、、

      合計    定家八代抄   百人一首 
古今集   1100     548      24
後撰集   1425     105       6
                      1 (55番藤原公任)
拾遺集   1351     213      11
後拾遺集  1218     124      14
金葉集   650      26       5
詞花集   415      20       5
千載集   1288     206      13
                      1 (82番道因法師)
新古今集  1978     567      14
 小計   9425     1809      94

新勅撰集  1374              4  (93,96,97,98番) 
続後撰集  1371              2  (99,100番)
 合計   12170     1809     100

以上まとめると、

①定家は百人一首成立の20年も前から八代集の中から自分で秀歌を選び出し座右において日々賞玩している。晩年百人一首を選べと言われていきなり撰歌にかかったわけでなくすでに使い古したたたき台(八代抄)がありここから大半をピックアップした。

②20年も経っていたので新しい歌も出て来ており新勅撰集・続後撰集から6首を選んだ。定家の97番(来ぬ人を)もその内の1首。

③55番公任(滝の音は)、82番道因法師(思ひわび)は八代抄には選んでなかったが20年経って今の自分としてはこちらの方が良いということで選び直した。

即ち、「百人一首は決して行き当たりで選ばれたのではなく定家が一生かけて選びに選んだエッセンスなのだ」ということでしょうか。

最後に定家八代抄(1809首)入選歌数ランキング ベスト10は、、、

 1.藤原俊成   87
 2.西行     85
 3.柿本人麿   80
 4.紀貫之    65
 5.和泉式部   59
 6.在原業平   58
 6.慈円     58
 8.藤原良経   50 
 9.式子内親王  46
10.藤原俊頼   44
次点 後鳥羽院   39

 →定家の好みが察せられるでしょうか。

21番以降、この八代抄も参照したいと思います。

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11 Responses to 何でも書き込み帖 (1) 「定家八代抄」について

  1. 小町姐 のコメント:

    「定家八代抄」てそういう事なんですか。
    私が持っていても無用の長物、いろいろ解説して下さってありがとうございます。
    お役に立てて良かったです。
    さすが数字の得意な百々爺さん。私は気が遠くなりそうです。

    20番歌を終えた所で図らずも小休止をいただき「何でも書き込み帖」を開設していただきありがとうございます。
    おしゃべり好きの小町姐、さっそくの書き込みです。
    【余談7】
    「天上の虹」8巻を読み終えました。
    神に仕える斎王として伊勢に赴いた大伯の元に十市と阿閇、二人の皇女が天皇の使者として送られる
    ここで私の鈍い感も100パーセント全開しました。
    きっと万葉集の和歌が出てくる。刀自が一緒となればもう間違いない!!
        河の上のゆつ磐群に草生さず常にもがもな常処女にて(万葉集巻第一22)
    河のほとりの神聖な岩肌に草が生えないように永遠に清らかな乙女のようであってください。
    悲しい運命の十市を心配した刀自が常処女をと願った歌。
    万葉集の和歌と「天上の虹」がここで繋がりました。
    千数百年も前に傷心の十市皇女が我がふるさと近くを斎宮へ・・・感無量の想いにたえません。
    犬養「万葉の旅」では678年父天武と倉梯の斎宮にゆかれる直前「卒然に病発りて宮の中に薧」ぜられたという。(日本書紀)とあります。
    武市皇子とは結局結ばれなかった?(十市の再婚はなかった)
    額田王は現代社会でも通用する魅力的な素晴らしい本当の大人の女性です。
    神の前で大伯、十市、阿閇の皇女三人がお互いの幸せを祈る姿は感動的でさえありました。
    皆さんはとっくにこの経緯はご存じだったでしょうが私には目から鱗です。
    里中満智子先生有難う!!私、感激です。
    本当にこの漫画、歴史やその周辺を知るだけでなく短い言葉の中に人間がよく描かれています。
    男の生き方、女の生き方それぞれの人物が生き生きと個性的です。
    まだ8巻ですがこれから讃良の成長そして女帝としての政治的手腕に興味が持たれます。
    そして気になるのは何故大津が謀反の罪で死に追いやられたのか、そこの所も早く読みたいです。
    讃良ほどの人物がわが子の闇に迷うこともなかろうに・・・その真相は?
       人の親の心は闇にあらねども子を思う道に惑いぬるかな

    益々面白くなる「天上の虹」次号が待たれます。
    源智平さん、もしも満智子先生に会われましたらこの感激をよろしくお伝えください。

    • 百々爺 のコメント:

      「天上の虹」じっくり楽しまれているようでいいですね。私の場合大化の改新~奈良時代を知ろうと2週間ほどで一気読みしましたので細かいところまでは頭に残っていません。

      でも漫画力ってすごいなと思いました。絵で当時の生活・習慣がよく分かるし、作者がハイライトを当てている人物・場面が浮き出しになる。字だけの小説とは違ったパワーがありますよね。

      毎巻巻頭に系図と主要人物関係図が載せられているのも親切、作者の心遣いですね。里中満智子は30年に亘って天上の虹を書き続けた。最後の数巻は何年かに一冊のペースでしたが。。これがすごい、一気に書き終えるのなら勢いもあろうが一旦お休みし続きを書く、、また頭の中物語の最初から反芻して整理して矛盾のないように書いていかねばならない。そして30年かけ去る3月最終巻が刊行された。。。何ともおめでたいことです。

       →大長編を長年かけて矛盾なく書く。紫式部の偉大さを改めて思います。

      「天上の虹」私は専ら政治物語として読みましたが男女の入り乱れる物語としても抜群でしょうね。里中先生は両方に注力して書き上げたのでしょう、その点も大したものだと感じました。

      また、色々書いてください。

      追記: 紫の上に繋がる常処女にも出会えてよかったですね。

  2. 文屋多寡秀 のコメント:

    「天上の虹」

    タイミング良くNHK総合でやってましたね。渡邊あゆみアナの歴史秘話ヒストリア(6月10日午後10時)で。御覧になった方も多いのでは。

    題して「古代日本 愛のチカラ~よみがえる持統天皇の都」。

    32年かけて「天上の虹」を完成させた里中さんと番組の案内役渡邊アナがこの時代と持統天皇について巧く紹介していましたね。
    番組では、持統天皇が夫・天武天皇との愛と戦いの日々の中で、首都、道路網など革新的な国づくりを行い、日本の危機を乗り越えた様子を、最新の研究成果も交えて紹介。マンガのコマと吹き出しを映した映像を交えながら解説していました。

    こりゃ何が何でも一度藤原京を訪れないと。奈良の風を感じて古代の国づくりを体感しない手はないですね。

    • 百々爺 のコメント:

      情報ありがとうございます。見落としました。(最近TV見てなくて番組表も読んでませんでした)。来週水曜日午後に再放送があるようなので予約しました。

      飛鳥藤原京なんて貴地からすぐ近くじゃないですか。是非行ってみてください。

    • 在六少将 のコメント:

      多寡秀 さん
      藤原京、お供しますよ。
      まずは長安に匹敵する広さを感じてください。
      そのときは声をかけてね。

  3. 小町姐 のコメント:

    今カルチャー教室から帰りました。
    「建礼門院右京大夫集」も佳境を過ぎ二度目の出仕(後鳥羽院)に入りました。
    もうすぐ九十の賀で俊成と和歌の贈答があります。
    そして新勅撰集編纂の為の資料収集にあたり定家との応答もあります。
    ちなみに右京大夫は新勅撰集に二首選ばれています。
    定家が建礼門院女房時代の召名か後鳥羽院女房時代の召名かいずれの名を使うかについて訊ねたそうです。
       言の葉のもし世に散らばしのばしき昔の名こそとめまほしけれ(右京大夫)
    かへし
       おなじくは心とめけるいにしへのその名をさらに世に残さなむ(定家)

    教室の同僚が当ブログを読んでいるそうです。
    源氏物語も面白かったけど百人一首は話題がいろいろ広がり身近に感じるとのこと。
    是非書き込みして下さいと話しました。

    見逃した「歴史秘話ヒストリア」NHK再放送は6月17日(水)14:05~14:48分です。

    追記
    既に再放送情報ありがとうございました。私も見逃して今調べたところです。

    • 百々爺 のコメント:

      「建礼門院右京大夫集」ですか、随分渋い所をやってるんですね。建礼門院徳子、正に平家物語ですね。右京大夫は後鳥羽院に入るのですか、転職ですね。歌の才を後鳥羽院に買われたのでしょうか、それとも俊成とかが勧めたのでしょうか。もし右京大夫が後鳥羽院にずっと仕えてたとすると源平の争乱から承久の変まで正に大変な世の中を生きた女房ということになりますね。歌も迫力あるものが詠めたのでしょうね。

      教室の同僚の方へのお誘いありがとうございます。参加者が増えるのは大変ありがたいことです。

  4. 源智平朝臣 のコメント:

    久し振りに談話室を覗いてみたら、育爺休暇中にもかかわらず、結構賑わっており、嬉しく思います。

    定家八大抄などというものがあるのですね。百々爺の統計表によれば、百人一首のベースには12,170首もの歌がある。定家はこれらの歌を全て読んで評価した上で、八大抄を編纂したり、百人一首の撰歌を行ったりした訳ですね。大変な作業のように思いますが、歌道を家業とする御子左家に生まれた定家にとっては「お茶の子さいさい」でしょうか。八大抄入選歌数ランキングのトップを飾るのが定家の父親である藤原俊成というのは、定家が歌道の師でもある俊成を大いに尊敬していた表れでしょうが、何となく微笑ましい気もします。

    小町姐さんは「天上の虹」を感動や感激を味わいつつ、じっくりと楽しみながらお読みになっているご様子で誠に結構です。小生は百々爺から借りた23巻を次に速く回さなければという義務感のためというより、あまりの面白さに魅かれて、むさぼるように読んでしまったので、ちょっと記憶があやふやになっています。ということもあり、7月1日に予定されている「著者との懇談会(Meet the Author)」と題する夕食懇談会で里中満智子さんの話をお聞きする前に、何冊かを読み直そうと思っています。今は、これまで積ん読状態にあった「全現代語訳 日本書紀」(宇治谷孟 講談社)を取り出して、持統天皇の祖父にあたる舒明天皇の巻から読み始めていますが、読んでみると日本書紀も面白いですね。

    百々爺からも連絡をいただきましたが、文屋多寡秀さんには「歴史ヒストリア」の情報、ありがとうございます。早速、6/17の再放送を録画予約しました。7/1の会合の予習を兼ねて、じっくり観てみたいと思っています。7/1の会合では質問の時間も設けられると思います。参加者が100名近い会合でもあり、実際に訊けるかどうかは保証の限りではありませんが、里中満智子さんに是非これを聞いてほしいという質問でもあればご連絡下さい。

    • 百々爺 のコメント:

      1.私も俊成が第1位なのを見て、アレッと思いました。父にして師匠、現代でもスポーツ界や伝統芸能界に多いですね。難しいものなんでしょうね。それにしても定家が選んだ俊成の83番歌は「猿が聞く鹿の鳴き声」を本歌とした「世の中よ~」。どう考えて83番歌を選んだのか、、、私が定家に訊きたい最大の疑問の一つです。
        →また、83番歌の時に。

      2.お聞きするにMeet the Author、第一回のゲストが里中さんの由。なかなか洒落てますねぇ、選定者に拍手です。また報告してください。今後色々話題の作家が登場するのでしょうね。第三回あたりにしをんちゃん登場じゃないでしょうか。

  5. 松風有情 のコメント:

    何でも書き込みの趣旨から、高校の世界史副読本を参考に視点を日本から離れこの時代9~10世紀は、

    お隣は新羅が滅亡し高麗(918年)勃興
    唐は勢いを失い907年に滅亡。
    中東ではアッパース朝期で『千夜一夜物語』の原型ができる。
    欧州は東ローマ時代なるもバイキングがヨーロッパ各地を荒らし全盛期。
    ロシアはやっと誕生期。
    アメリカ大陸はマヤ文明が絶頂期。

    日本の平安時代は世界的にも一番安定していたのかもです。

    • 百々爺 のコメント:

      夜な夜な「一夜めぐりの親王」が徘徊してた頃、世界情勢はどうだったのか、、、。情報ありがとうございます。これ見るとアイランドジャパンは世界から隔離された別世界ですねぇ。遣唐使の停止→唐の滅亡が大きかったでしょうか。半島・大陸からの外敵侵入の脅威がなかった、、、これほどラッキーなことはないでしょう。日本国家安全保障の観点から言えばまさに平安時代であったのだと思います。

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