有名な33紀友則と35紀貫之に囲まれた34藤原興風。今までよく知りませんでした。折角百人一首に撰ばれたのにそれじゃあ可哀そう。ちょっと調べてみました。
34.誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
訳詩: 親しい友はみな世を去って
私ひとり老いさらばえて息づいている
高砂の松はいのち長く生い茂っているが
松は昔の友ではない 見れば寂しさはいやまさる
ああ どこの誰を友と呼んだらいいのだろう
作者:藤原興風 生没年未詳 藤原だが官位低い 三十六歌仙 専門歌人
出典:古今集 雑上909
詞書:「題しらず」
①藤原京家の流れ。参議・浜成の曾孫。相模掾・道成の子。正六位上・治部少丞。
→と言ってもよく分からない。藤原4家に遡ってみましょう。
藤原4家とは藤原不比等の4兄弟を祖とする4つの家系。
南家(武智麻呂)北家(房前)式家(宇合)京家(麻呂)
→持統帝のパートナーだった偉大なる不比等の4兄弟、この4家が奈良朝~平安朝初期に勢力争いを繰り広げる。数多の政乱・政変(藤原広嗣の乱、仲麻呂の失脚、薬子の変)を経て主力争いは南家→式家→北家と移り冬嗣の時から北家がトップに立ち以後北家が藤原家を牛耳っていく。
不比等の四男麻呂を祖とする藤原京家(ふじわらきょうけ)は全く影が薄い。麻呂の子浜成がいたが事件で失脚以後京家は没落する。
藤原興風はそんな没落藤原の流れ。相模・上野・上総といった関東地方の地方官を勤め六位治部少丞まではあがった。
→京家出身としては精一杯のところか。
→京家出身で百人一首に撰ばれたのは藤原興風のみ。これはエライ。
京家の祖、麻呂の子に浜成がいて現存する最古の歌論書(歌経標式)を著した。
→和歌とはどうあるべきかを論じた最初の書。これはスゴイ。
②藤原興風 官位は低かったが有名歌人だった。古今集に17首、勅撰集に38首
貫之と同時代(古今集編纂時代) 数々の著名な歌合に出ている(高子の五十賀の屏風歌・寛平御時后宮歌合・亭子院歌合等)
→古今集撰者にはなりそこねたが当時の有力歌人で32春道列樹なんかよりはずっと著名であった。
和歌の傍ら管弦(笛も琵琶も琴も)に秀で、同じく管弦好きの宇多帝に目をかけられていた。
→地方回りが多かったろうに大した文化人(芸術家)ではないか。
→「興風」という名前も一風変っていて何となく風流。「風」がいい。
興風の他の歌を見てみましょう。
后の宮(高子)の五十の賀の御屏風歌
いたづらにすぐす月日は思ほえで花見て暮らす春ぞすくなき(古今集春)
寛平御時后宮の歌合
さく花は千ぐさながらにあだなれど誰かは春を恨みはてたる(古今集春)
契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは(古今集秋)
浦ちかくふりくる雪は白波の末の松山こすかとぞ見る(古今集冬)
死ぬる命生きもやすると心みに玉の緒ばかり逢はむと言はなむ(古今集恋)
→これは強烈(死んだも同然の私 生き返るかどうか試すべく短い間だけでも逢ってください)
我が恋をしらむと思はば田子の浦にたつらむ波の数を数へよ(後撰集)
→「あなた本気かしら?」と問われた興風の回答。やりますねぇ。
③さて34番歌 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
・これも色々解釈があるようだが昔の友人も死に絶えた老後の孤独を嘆じた歌でいいのではなかろうか。
・古今集888あたりから909までずっと老いを嘆き昔を顧みる歌が続く
寿命が短く家族も友人も亡くなることが多かった当時、一人老いを迎えるのは孤独の極みであったのだろうか。
今こそあれ我もむかしは男山さかゆく時もありこしものを(読み人しらず)
大荒木もりの下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし(読み人しらず)
→例の源典侍がこの歌を引いて源氏に劣情を露骨に詠みかけている(紅葉賀)
君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも
さかさまに年もゆかなん年月をあはれあな憂と過ぐる齢か (読み人しらず)
→源氏が柏木をいびる有名場面でこの歌が引かれている(若菜下)
、、衛門督心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや。さりとも、いましばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老は、えのがれぬわざなり。
そして34番歌の直前の歌
かくしつつ世をや尽さん高砂の尾上に立てる松ならなくに(読み人しらず)
→34番歌はこれを本歌としたという記述もあったがどうであろう。
・高砂は普通名詞として高くなった山を言うようだがここは古来の歌枕としての兵庫の高砂でいいでしょう。
高砂の松 住吉の松 相生の松 松は長寿の代名詞である。
謡曲 高砂 高砂や~この浦舟に帆を上げて~
相撲の高砂部屋 前田山・朝潮・ジェシー高見山
・百人一首で高砂が出てくるもう一首は
73高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ 大江匡房
→この高砂は一般名詞とのこと。
・百人一首で「ならなくに」が出てくるもう一首は
14陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに 源融
→「ならなくに」小町姐さんが14番で言ってましたが「松も昔の友だちだったら泣いてくれるのに、、、」って感じてしまいますね。
④源氏物語との関連
・源氏物語で松は千歳、千代の長寿の木として随所に出てくる。
「小松」「二葉の松」は幼児の成長を祈るものとして
「子の日の松」は正月の健康長寿を祈念する行事
・住吉大社詣ででは松が詠みこまれている。
住吉のまつこそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば(惟光@澪標)
→須磨に流謫した昔のことが思い出されます、、
たれかまた心を知りて住吉の神世を経たる松にこと問ふ(源氏@若菜下)
→大願成就住吉大社への願ほどき詣で 明石の尼君に
・そしてもう一つ大好きな歌を
年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ(明石の君@初音)
→同じ六条院に居るのに逢えない母娘、切ないですねぇ
そうですか、藤原不比等の流れに端を発する家系ですか。
知らなかった興風の人物像が少しずつ見えてきました。
ありがとうございます。
高砂で思い浮かぶのは百々爺さんおっしゃる通り
1) 結婚式の披露宴の長老の謡
2) 兵庫県の高砂市
3) 相撲の高砂部屋(今もあるかしら?)
以上の三つが真っ先に思い浮かびます。
松も昔の友ならなくに。
そうそう、なくを泣くだとばかり思っていた少女時代。
高砂の松と言えば長寿のシンボルとの知識しか持ち合わせていません。
この歌は老境の侘しさを詠ったものと思われますが「高砂の松」の言葉があるので私には老いの悲壮感は感じられません。むしろ達観の心境に思えます。
老境に入った定家自身も身につまされてこの歌に共感を覚えたのかも知れませんね。
誰でも老いの憂いはありますが(老は、えのがれぬわざなり)老いは悲しいものばかりとは限りません。
源氏物語のまつ(松と待つ)では私もやはり断然、(初音)ですね。
年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ
わが身に即して言えば老いてこそ味わえる喜びも楽しみもあることに気付かされます。
智平朝臣殿も「老後の一日、千金にあたるべし」と常々おっしゃっています。
「老いも又楽しからずや」って所でしょうか・・・
と言うわけで今日はこれから「あいちシルバーカレッジ」22期生の懇親会。
三河湾のリゾート施設へ日帰り旅行です。
このメンバー60~80代で老いたるシルバーどころか闊達なゴールドエイジで生き生き精力的に活動しており私などついていくのがやっとです。
当初100人のメンバーが脱退者、天寿を全うされたりで今は60名余となりましたが毎月の例会や班活動クラブ活動に熱心です。
同窓会誌の発行、作品展、ボランティア、総会、幹事会等次から次へと行事続きです。
しばし百人一首を忘れて海の幸、温泉を楽しんできます。
・そうですね。老いをどう迎えるか。それが一番問われる年令になってきましたね。老いを自覚しつつどう過ごしていくべきか考えていきたいと思っています。ご披露いただくみなさまの考え方、生き方が参考になります。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
・そんな中、源氏物語を心の糧にできるのは幸せなことだと思っています。日々の生活の中でできるだけ源氏の場面場面を話題にしたいものです。こちらの方も気がついたら何でも書き込んでください。
・「あいちシルバーカレッジ」22期生の懇親会、すごい同窓会ですね。小町姐さんがついていくのにやっとだなんてどんな人たちの集まりなんでしょう。どうぞ大切になさってください。
源氏物語で、古今集の老いを嘆く歌から、以下2首が引かれていたこと、爺の解説で思い出しました。両歌とも、かなり捻くれたいやみな引用で、面白いですね。
大荒木もりの下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし(読み人しらず)
→例の源典侍がこの歌を引いて源氏に劣情を露骨に詠みかけている(紅葉賀)
さかさまに年もゆかなん年月をあはれあな憂と過ぐる齢か (読み人しらず)
→源氏が柏木をいびる有名場面でこの歌が引かれている(若菜下)
田辺聖子さんは、有名な老いの歌として三つ挙げている。
われ見ても 久しくなりぬ 住の江の 岸の姫松 いく世経ぬらん
世の中に 古りぬるものは 津の国の 長柄の橋と われとなりけり
今こそあれ われも昔は をとこ山 さかゆく時も あり来しものを
この三つの歌は、老いた寂しさはあるものの、今までの人生に満足している響きがあり、特に3番目の歌は、今回の34番歌に、一番近い心境を詠っているように思います。
この歌での高砂は地名。ちょっと調べてみましたが、
百人一首では、浜が詠われているのは、
高砂 34番
高師浜 72番
須磨 78番
歌には出てこないが、作者 鎌倉 93番
浦と出てくるのが
田子の浦 4番
松帆の浦 97番
江・潟を詠ったのが
住の江 18番
難波潟 19番
難波 20番
難波江 88番
戸が
由良の戸 46番
でした。ざっと調べただけですので、抜けがあれば追加ください。
・そうですね。老いを詠む場合どうしても昔の自分と今を比較しての感慨となるのでしょうが今までの人生に満足している肯定的な響きがあらまほしいですよね。それには老いを老いとして(等身大の老いを)受け入れることが大事だと思います。世の中には「まだオレは老いぼれていない」と勘違い(老いを過小評価)しているケースもあるかと。そうはなりたくないと思っています。
・地名(地形の名称)のこと調べていただきありがとうございます。
私もざっと見ただけですが、
海辺関係で追加としては、
難波津 11番 わたのはら
末の松山 42番 契りきな
48番 岩うつ波 →特に具体的場所ではないか。
76番 わたのはら →同上
雄島 90番 見せばやな
沖の石 92番 わが袖は
それぞれ具体的には都度考えていきましょう。
先月末は「愁思・秋思」に苦吟し、今月初の34番歌もテーマは「愁思」のようですね。
なんとなくいい調子ですね。口調のいいのに任せて何気なく詠んでしまってから、にわかに「わびしさ」がこみ上げてきますね。どっかで聞いたような気がしませんか。
そう、黒人霊歌の「オールドブラックジョー」です。実は今、フォスターの歌に取り組んでいる最中なんです。年末の第九演奏会用の数曲の一つがフォスター作品です。
若き日、早や過ぎ去りて、わが友、みな去りぬ・・・。
そういえば、晩年の父も「長生きしすぎたなあ~。もう誰もいないもの~」とよくこぼしていました。友のいない日々、語る相手のいない世は、将に「たれをかもしる人にせむ」の境地でしょうな。
高砂の松からが救いですね。一気に短調の世界から長調に転調しましたね。長寿のシンボル松を歌った古歌に
我見ても久しくなりぬ住ノ江の岸の姫松いく世経ぬらむ(古今集17雑上905)
住吉の岸の姫松人ならばいく世か経しと問わましものを(古今集906)
「松も昔の友」ではないという事実が、上二句の絶望を和らげているんでしょうね。
興風はんは百々爺指摘の通り、<地味ではあるが、大した文化人(芸術家)ですよね。
→「興風」という名前も一風変っていて何となく風流。「風」がいい。> も一つ言うなら、風を興すんですから「興・風」併せてなお良いですよね。
・まだ秋の初めだというのに秋思にはまっていては晩秋になったらどうするんじゃい、、、なんて思いながら爺も考えておりました。
そうか、「オールドブラックジョー」そのままですね。久しぶりに(おそらく50数年ぶりに)口遊んでみました。歌ってた昔が蘇ります。でもこれ今こそ歌う歌ですよね。今度カラオケでやってみることにします。
→年末は第九ですか。ダンディですね。
・「高砂の松」、本当に長寿のシンボルだったのでしょうね。パワースポットでしょうか。勿論行ければそれにこしたことないが「高砂の松」と口に出すだけで長寿・目出度い気分になったのでしょう。人間いつでも気の持ちようであります。
→「興風」っていい名前ですね。風がつく名前って小野道風くらいしか思い浮かびませんが。
百々爺のコメントをみると興風は面白くて良い恋の歌を詠んでいるのですねえ。全く知りませんでした。談話室のおかげです。
爺もあげているように古今集にはこの歌の前に「かくしつつ世をや尽さん高砂の尾上に立てる松ならなくに」というよみ人しらずの歌があり、類歌はほかにも拾遺集に「いたづらに世をふるものと高砂の松も我をや友と見るらむ」という貫之の歌などがあり、詠みぶりから推せば、よみ人しらずの歌が本歌であろうかと安東次男は書いています。また32番歌の「山川に~」とこの歌をつなぐ面白さは風にあるとも考えられ、定家は松風の音にもしがらみを聴きとっているかもしれないとも書いています。
謡曲『高砂』にある「誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の友ならで、過ぎ来し世々は白雪の積り積りて老いの鶴」は34番歌「誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」によっています。
謡曲『鞍馬天狗』にある「ありとも誰か白雲の立ち交はらねば知る人なし、誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の、友鳥の」も34番歌からとっています。
・確かに古今集直前の「かくしつつ」と34番歌は似ていますよね。現代の著作権意識からすると完全に権利侵害でしょう。ただそもそも「読み人しらず」なんていい加減な時代だし、和歌は発想も言葉も類型をもって尊しとされた時代ですから、本歌取りは褒められこそすれ批判を浴びることなどなかったのでしょう。
→現代感覚からするとちょっと違和感ありですがね。
・32番歌(山川に)と34番歌(誰をかも)は風でつながっている。高砂の松風の音にもしがらみありですか。なるほど、それは面白い。
→高砂は明石のすぐ近く。当然明石での源氏と明石の君との逢瀬には松風が出て来る筈、、、と考えてページをめくるとありました。
かの岡辺の家も、松の響き波の音にあひて、心ばせある若人は身にしみて思ふべかめり。何とも聞きわくまじきこのもかのものしはふる人どもも、すずろはしくて浜風をひき歩く。(明石8)
→そしてこの明石の松風が大堰での松風に繫がっていくのですね。
藤原興風の出自・経歴・人物像や詠んだ歌についての百々爺の解説は完璧ですね。ネットで調べても、これ以上の情報は何も見つけられませんでした。
34番歌については、単に「老いの孤独と寂しさを詠んだ歌」としている解説本もあるし、それに加えて、「歌の調べは緊張していて、ある高い澄んだ調子がある」(大岡)、「悲しみは凛として男らしい」(田辺)、「じめじめせず、さっぱりと老いの孤独を表現した」(白洲)といった言外の印象まで記している解説本もあるとの違いが見受けられました。ニュアンスの違いかもしれませんが、小生は湿っぽさを感じさせずにさらりと老いの孤愁を表現している点が素晴らしいとする後者の解説本を支持しています。
百々爺から老後の生き方を問われているようですが、小生は今のところは「ホモ・ルーデンス(遊戯人間)」の過ごし方を楽しみながら、一日千金の老後を送っています。「ホモ・ルーデンス」というのは、蘭の歴史学者ホイジンガが提唱した「遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源である」との人間観です。小生はゴルフ、ビリヤード、ブリッジなどの遊戯で友達と競い合ったり、次の試合で友達に打ち勝つために色々と考えながら練習するといったホモ・ルーデンスとしての時間に真剣味や緊張感を感じる性質(たち)で、こうした時間が誠に面白く、正に至福の時となっています。
歴史や古典を学ぶこともそれなりに面白いのですが、今はまるで体育会系人間のように、ゴルフとビリヤードの試合と練習、並びにこれらの上達に必要な体力作りと健康維持のための水泳や筋トレ・ストレッチなどに多くの時間を割いています。その他、様々な友人・知人とのランチ・ディナー・飲み会、俳句作り、適宜な国内旅行と最低でも年に一度の海外旅行などもあって、結構忙しい日々を送っています。俳句は苦痛ですが、多少のストレスも老後生活のスパイスとして必要と考え、苦吟に耐えています。
いやあ、よかった。老いの感慨を述べる34番歌では智平どののこのコメントを聞きたかったのです。ホイジンガの高尚な説はともかく智平流の日々の過し方こそ参考になりますよ。
給料をもらうが故に気に染まないこともしなければならなかった時と違い今の老後は全くフリー。自分の好きなことを好きなようにやればいい。でも何事もいい加減にやっていては決して満足は得られない。真面目に一生懸命やってこそ充実感が得られるということでしょう。
アスリートは挙って口にします。「練習は裏切らない」
先日、ゴルフをいっしょにして感心しました。着実に成果が出ていると思いますよ。爺も見習わなくっちゃ。。