38番 モテモテ右近 恨み節

19番伊勢以来久々の女流歌人の登場です。主として村上朝歌壇で活躍した右近、まさにモテモテのナンバーワン女房であったようです。

38.忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな

訳詩:    私はいいのです 忘れられてしまおうと
       わが身のことは いいのです
       でもあなた あれほどに変らぬ愛を
       お誓いになったあなたのおいのち それが
       ひとごとならず心にかかってなりません

作者:右近 生没年未詳 右近衛少将藤原季縄の娘 醍醐帝中宮穏子に仕えた女房
出典:拾遺集 恋四870
詞書:「題しらず」

①父は藤原季縄(すえなわ)(?-919)(藤原南家の系統)右近衛少将 従五位上
 鷹狩りの名手で交野少将と呼ばれた。
 「交野少将物語」色好み少将の物語、今や散逸だが当時は有名だった。
  
 源氏物語帚木の冒頭、源氏はまじめ男で交野少将には負けるとの叙述あり。
 さるは、いといたく世を憚りまめだちたまひけるほど、なよびやかにをかしきことはなくて、交野の少将には、笑はれたまひけむかし。

 →色好み男として物語のモデルにもなった父を持つ右近。ポイントでしょう。

・右近自身のこと 「右近」の呼び名は父の官職名から
 醍醐帝の中宮穏子に仕える。穏子(885-954)は藤原基経が醍醐帝に投じた切り札で朱雀帝・村上帝を生む。中宮穏子の局は延喜の聖代最も華やかで重要な局であった。醍醐帝亡き後も穏子は二代の国母として政治的にも君臨。時平・忠平は穏子の兄であり摂政・関白として穏子の局はしばしば訪れたことであろう。
 
 →そういう華々しい局に仕えた歌才に秀でた女房。右近がモテモテだったのは当然でしょう。

 右近を通り過ぎたとされる貴公子たち
 ❤藤原敦忠43 時平の三男 38番歌の相手 大和物語は後述
 ❤藤原師氏  忠平の息子 大和物語85段の桃園の宰相の君
 ❤藤原師輔  忠平の息子 醍醐帝の皇女3人を妻に 藤原摂関家の主流 道長の祖父
 ❤藤原朝忠44 定方の息子 右近への思いやりの歌あり
 ❤源順    百人一首には入ってないが勅撰集51首入集の大歌人 三十六歌仙
 ❤元良親王20 一夜めぐりの君 ほととぎすの歌の贈答あり
 ❤清原元輔36 清少納言のお父さんも、、
 ❤大中臣能宣49 「みかきもり」の神祇官も、、
 →噂の真相やいかに。そりゃあ火のないところに煙は立たずと申しまして。。。

・後宮は妃たちが帝寵を争うところ、女主人を盛り立てるにはお付きの女房が優秀でなくてはならない。そんな後宮は自ずと高級貴族たちの社交場になる。お付きの女房はいわばホステス。歌才・技芸に秀で教養深い女房は崇められた。
 →右近はナンバーワンホステスとして引く手あまただったことだろう。
 →19伊勢と違うのは帝のお手がつかなかったことか。

②歌人右近について
 天徳、応和の内裏歌合などに出詠、村上朝歌壇で活躍
 後撰集5首 拾遺集3首 新勅撰集1首 勅撰集計9首入集

 右近の歌、後撰集より
 おほかたの秋の空だにわびしきに物思ひそふる君にもあるかな(後撰集)
 とふことを待つに月日はこゆるぎの磯にや出でて今はうらみむ(後撰集)
 身をつめばあはれとぞ思ふ初雪のふりぬることも誰に言はまし(後撰集)
 →何れも来なくなった男への恨み節っぽい歌でしょうか。

③38番歌 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
・「題しらず」となっている。独詠だろうか、それとも男に言いやった?
  相手の男は誰だろうか→大和物語からして43敦忠でしょう。

  大和物語は81~84段を右近と敦忠の話として右近の歌を載せている。
  81段 忘れじと頼めし人はありと聞くいひしことのはいづち往にけむ 
  82段 栗駒の山に朝立つ雉よりもかりにあはじと思ひしものを
  83段 思ふ人雨と降り来るものならばわがもる床は返さざらまし
  84段 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
  →敦忠との恋は長続きしなかった。来てくれない敦忠への恨み節が続く。

・歌の解釈 2句切れか3句切れか
 2句切れ 誓ったのは相手の男、男が神に見捨てられて死ぬのは惜しい。
      女の恋心の悲しさが出ている歌(定家の解釈)
 3句切れ 誓ったのは私。あなたもご存知でしょう。そんな私から去っていった貴男でも身を滅ぼすのは惜しい。

 →よく分からないがこの歌は女心の誠(純情)を詠ったものなどではなかろう。「裏切られた男なんか許せない、バチが当たって死んじまえ!」という女心の本音をオブラートに包んでぼやかしただけ、、、と思うのだがいかがでしょう。

 →当時「神仏への信仰」「神仏への誓い」は絶対的なものであった(破れば必ずバチが当たる)ということを前提として考えないとこの歌は解釈できないだろう。

・38番歌を気に入った定家は本歌取りもしている。
 身を捨てて人の命を惜しむともありしちかひのおぼえやはせん

④源氏物語との関連
 紫式部は先輩女房として右近を強烈に意識していたのではないか。
・明石19 明石から帰った源氏が明石の君のことを紫の上に打ち明ける。紫の上はショックを受けるがさりげない風を装う。
    
 その人(明石の君)のことどもなど聞こえ出でたまへり。思し出でたる御気色浅からず見ゆるを、ただならずや見たてまつりたまふらん、わざとならず、(紫の上)「身をば思はず」などほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく思ひきこえたまふ
 
 源氏は紫の上に永遠の愛を誓った筈、それなのに明石の君が登場し、後には女三の宮が正妻として降嫁してくる。自分への愛の誓いを破った源氏、源氏には神の天罰が下るかもしれない。紫の上は我が身のことはうちおき源氏の身の上を思いやった。
 →紫の上の切ない思いに胸がつまります。ホンに源氏はお阿呆さんであります。

・源氏物語には二人の「右近」が重要脇役として登場する。
 1.夕顔&玉鬘の女房の右近
  夕顔が取り殺されるシーンでの右近
  執念で夕顔の遺児玉鬘を探し出す右近(35番歌の所で述べました)

 2.浮舟の乳母子の右近
  薫と匂宮の三角関係に振り回され進退窮まっていく浮舟。その浮舟を同僚侍従とともに支える右近。ウソにウソを重ねて薫からの追及をかわしていく筋運びは圧巻でした。

 →もっと書きたいのですが長くなりました。この辺で止めにします。

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13 Responses to 38番 モテモテ右近 恨み節

  1. 小町姐 のコメント:

    久々に女性登場ですね。
    赤いハートマークを見て右近の男性遍歴のすごさ。
    このようなプライドの高い女性が男に忘れられた時の恨みは強烈です。

    もしも私が共に神仏に誓いあった仲の男に裏切られたならば右近女史のようにこれぐらい痛烈な皮肉を浴びせてやりたいですね。
    右近よ、よくぞ言ってくれました。
    殿方、お気をつけ遊ばせ。女の恨みは恐いのですよ。
    蜂の一刺しのような言葉をさも思わせぶりに平気で吐くものなのです。

    そしてもしも私が男ならば女からこのような文を貰ったら厭味な女、こんな女に関わらなくて良かった、早々別れて正解だったと思うでしょう。
    この歌の返しは「えきかず」と言うことですから男の誓いは空ごとだったのでしょう。
    「神仏にかけて貴女を生涯愛します」なんて言うのは男の常套句です。
    男も女も恋をするとエゴイストなのであります。

    しかし、しかしです。
    その裏には忘れたくても忘れられない切ない女心が隠されていることを知らねばなりません。
    そしてチョッピリ未練もあるのです。
    その未練が「人の命の惜しくもあるかな」と言わせるのです。可愛いじゃありませんか。
    でもあえて言いましょう。
    右近よそんな不実な男のことは一時も早く忘れましょう。
    そして新しい恋に踏み出しましょうよ。もてもて右近なら引く手数多です。

    千年余後の世に貴女の歌を鑑賞している(小町姐より)

    源氏物語帚木の冒頭、交野の少将の事はすっかり忘れていました。
    しかし二人の右近は身近に感じます。
    光源氏が紫の上を裏切った大いなるしっぺ返しは鮮明な記憶として忘れられませんね。

    殿方諸君、かように神仏の罰は恐ろしいのですぞ!!

    • 百々爺 のコメント:

      女ごころの解説ありがとうございます。さすが迫力ありますねぇ。

      ・法師が女性になり代わって男の夜離れを恨むなんてのもありましたが(21番歌「今来むと」)これは正真正銘、女性が詠む女心の歌。ところがそれが一筋縄ではいかない。恨むとともに未練も残る、、。爺などの思い及ぶところではありませんが。。。

       「女心の歌」 バーブ佐竹 作詞山北由希夫
         あなただけはと 信じつつ
         恋におぼれて しまったの
         心変わりが せつなくて
         つのる思いの しのび泣き

      ・右近の男性遍歴はそうそうたるものですが結婚はしたのでしょうか。どうも誰それの妻になった、子どもを生んだということではないようです。家庭の匂いがしません。宮中のナンバーワンモテ女性の悲劇(or宿命)かもしれません。
       →何となく源氏物語の源典侍を思い出します。

      ・もし私がこんな文をもらったら、、、、
        返し
         逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり
             あなわづらはし

       いかがでしょう。
        
        

  2. 文屋多寡秀 のコメント:

    過日ご紹介しました、よみうり読書 芦屋サロン ゲストの三浦しおんさんの当日のトークショウの様子が、昨日の読売新聞に紹介されてます。三浦作品には魅力的な男性主人公がよく登場しますが、そもそも知り合いの男性は少なく、男の内面は巧く理解できないとのこと。明るく前向きなストーリーが求められた時、男が分からないからこそ、男性を主人公にするほうが書きやすいのだという。女の人にすると、「こういう時、女はこう思うもんなあ」と余計なことを考えちゃって話が進まないと。とは言うものの最新刊「あの家に暮らす四人の女」は、まさに女性主人公の物語だそうです。ちなみに次回は歴史小説の担い手、葉室燐さんです。当初女性かなと思ったくらい女の心理を書かせば超一流の書き手ですよね。

    何を言いたいか?もうお分かりですよね。女の心理、必ずしも女が長けているとは限らない。逆も真なりということ。

    さて38番歌。二句目で切るのか三句目に続けるかが問題点とのこと。二句切れにすると、あきらめと同時に男の命をも惜しむ意となり、三句に続けると、忘れられることなど考えもしないで愛を誓った我が身の愚かさを反省することになると。おそらく定家はこれを独詠歌と解釈し、忘れられ裏切られながらも、なお相手の男を思いきれない、悲しい恋の典型と観ていたのではないでしょうか。(吉海直人:百人一首で読み解く平安時代)

    右近の相手はだれか。まず敦忠とされてますね。藤原時平の三男にして道真の怨霊に狙われている不幸な家系。自らも短命を予見しており、その上にこうして神仏の誓いまでも破ったのですから、その罰を被って早死にしても仕方ない。果たせるかな、敦忠は三八歳の若さで亡くなってしまうのであります。

    右近に負けず劣らずのマドンナ、我々の高校時代にもいらっしゃいましたねえ。
    よくやりましたよ。「雨夜の品定め」ならぬ、「寮夜の品定め」。立場変わればきっと「その方飛ばして」と、のたまわれているのも知らずに。

    • 百々爺 のコメント:

      ・トークショーの様子、関西版だったようですね。当地版(14日夕刊)には見当たりませんでした。そうですか、しをんちゃんには女心の方が書きにくいんですか。作家は想像の翼をどれだけ広げられるかが勝負でしょう。どんどん挑戦して欲しいものです。
       →「あの家に暮らす四人の女」読みさしで止まっています。確かに今までのとはちょっと違うような感じです。

      ・独詠とみるか恨み文とみるか。定家の考えも分かりますがここは相手にぶつけた歌とする方が面白そう。その相手はやはり敦忠でしょう。敦忠については43番歌の所で考えたいですが血筋抜群、和歌を能くし管弦にも秀でる。美男薄命が惜しまれる男だったようです。

  3. 百合局 のコメント:

     平安時代の宮廷女房の恋には濃淡があり、和歌にどこまで本音が出ているのか、わかりにくいところがあります。歌才ある女房なら恋の歌をつくるのはお手の物だったような気がします。もちろん和泉式部のように真情溢れすぎる女人もいますが・・
     男性貴族も、貴人に仕える有力女房とは何らかの繋がりを持っていたかったでしょうしね。情報源だったり、お願いごとの橋渡しであったり。もちろん恋愛感情も多少はあるのでしょうけれど・・
     恋人同士になることが、手段であったことも多かったでしょうね。
     藤原敦忠は右近にとって真実の恋の相手だったのかもしれませんね。
     「大和物語」81~84段を読むとそんな気がします。右近の方はまだ大いに未練があるようですね。

     安東次男によると、「定家は百人秀歌でこのあとに敦忠の『あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり』を置いている。大和物語に『かへしはえきかず』としるしているだけにこの組み合わせは面白い」と書いています。
     定家も遊び心じゅうぶんに歌を選び並べたのでしょう。もちろん真剣に思いやりも持って。百人一首では二人の間に恋の歌が四首入っていますが・・

     

    • 百々爺 のコメント:

      さすが後宮の機微に詳しいお局さま、女房たちの様子が手に取るようによく分かります。

      ・宮中サロンのホステスだった女房たち、入れ代り立ち代り世を時めく貴公子たちが訪れる。おっしゃる通り貴公子たちの目的は色々。真剣な恋もあったのでしょうが多くはゲーム感覚のお遊びだったのかもしれません。

      右近は醍醐帝の中宮穏子に仕えてたとありますがずっと穏子の所にいたのでしょうか。醍醐帝は930年に亡くなりますが穏子は954年まで生きています。醍醐帝亡き後も穏子は国母として君臨してたようですからその局にいた右近は長く日の当る場所にいた(幸運だった)と言えるでしょう。

      右近と敦忠の関係、更に考える必要がありそうですね。右近には敦忠は真剣な恋の相手だったが敦忠にはそうでなかった。敦忠の本命は醍醐帝皇女雅子内親王。ところがこれが実らず雅子内親王は何と右近とも関係のあった師輔の所へ嫁ぐ。右近をめぐる敦忠と師輔、雅子内親王をめぐる敦忠と師輔。
       →43番歌の所で考えましょうか。

      ・そう言えばこれまで花だの月だの白露だの自然が詠まれた歌が並んでましたがこの38番歌からガラッと変わり恋の歌のオンパレード。38番「恨む恋」39番40番「忍ぶ恋」41番「初恋」42番再び「恨む恋」と来て43番(逢ひ見ての)となります。この並びも面白い。定家の意図が感じられます。

  4. 源智平朝臣 のコメント:

    10月13~15日まで三鷹寮(百々爺も住んだことがある大学時代の寮)の友人と木曽方面に出掛けていたため、またもや時期遅れのコメントとなってしまいました。木曽行きの目的は、同期の三鷹寮生で今なお木曽御嶽山噴火の風評被害のために売上が低迷している製薬会社の社長をやっている友人を激励しがてら、ゴルフと紅葉狩りを楽しもうというものでした。この製薬会社は日野製薬という会社で、生薬の胃腸薬である「百草丸」が有名です。御嶽山参り&観光に来る人が百草丸を沢山買ってくれていたのに、御嶽山噴火後、訪れる人が減って売上が減少しています。CMで恐縮ですが、日野製薬はネット販売もしていますので、百草丸を知人・友人等に宣伝していただけると幸いです。なお、紅葉まっさかりの木曽駒高原における2日連チャンのゴルフは、スコアはイマイチだったものの、秋晴れに恵まれ誠に気分爽快でした。

    さて、38番歌の右近ですが、彼女はネット上でもモテモテですね。グーグルに「右近 歌人」と入力すると、検索記事数は6万7千件近くあります。これに比して、37番歌の「文屋朝康 歌人」は6千件程度しかありません。記事の内容も文屋朝康については、爺の解説以上のものは見当たらず、コメント投稿を諦めた次第です。

    38番歌の解釈については、①捨てられ忘れられても、なお自分の身より相手の男性の身を案じる女性のひたむきな恋心を詠んだ歌という純粋恋心説、②永遠に愛するとの神様への誓いを破った貴方が神罰で亡くなると思うとお気の毒ですねと相手の心変わりを皮肉った恨み節説の二つがありますが、恨み節説の方が多数説のように見受けられます。常に女性の味方で、ひたむきな女性の恋心を信じる源智平としては、恨み節説を強く支持する小町姐さんの意見はあるものの、38番歌を字義どおり素直に受け容れ、純粋恋心説を採りたいと思います。

    恨み節説はその根拠として、大和物語84段の「返しは、え聞かず」、即ち右近の歌に対して敦忠からの返歌がなかったことを挙げています。しかし、敦忠はこの時既に別の女性に夢中で返歌をする余裕がなかったとか、このような歌にはそもそも返事のしようがなかったとも考えられます。恨み節説の別の根拠として、右近が他にもいろいろと恨みがましい歌を詠んでいるとか、多くの男性と関係を持った恋多き女性だったという指摘もあります。しかし、百合局さんが指摘しているように、右近の真実の恋の相手、つまり彼女が純粋に心から愛した相手は敦忠だけだったのかもしれません。さらに、右近が恋多き女性だったと言っても、当時の恋は男からしかアプローチはできず、女性は受身で相手を待つだけなので、右近が浮気性というのではなく、多くの男性が関心を示すようなモテモテの女性だったというだけかもしれません。

    ということで、純粋恋心説の根拠と恨み節説に対する反論を書き連ねましたが、「真実は中間にあり」ということが多いので、右近も敦忠の身を純粋に心配しながらも、捨てられたことを恨んでもいたというのが、真相だったかもしれませんね。

    最後に、百々爺and/or百合局さんに対する質問があります。右近は隠子に仕える女房として、宮中に部屋を賜って住んでいたと思われますが、こうした女性に男性はどうやってアプローチしたのでしょうか。警戒が厳しい宮中のことだから、男性が夜になって宮中に入ろうとしたり、女房の部屋に忍び込もうとすると、警備担当官に摘まみ出されるリスクはなかったのでしょうか。また、近くの部屋に住む同僚の女房が騒ぎ立てたりすることはなかったのでしょうか。

    • 百々爺 のコメント:

      忙しい中几帳面にコメントいただきありがとうございます。

      ・いやあ、”体育会的生活”にどっぷり浸かってますねぇ。秋晴れの中旧交をあたためながら大自然の中でゴルフ、言うことないですね。文科系課目に割く時間は殆どないみたい。1カ月に4句(プラス2ヶ月に3句)の俳句と後は談話室へのコメント。これだけ忘れずにやってればOKでしょう。ゴルフ・ビリヤード・水泳、、がんばってください。

      ・38番歌の解釈、「純粋恋心説」ですか。なるほど、女性に裏切られたことのない(勿論裏切ったこともない)智平どのらしいですね。納得です。恨み節を多く残している右近も敦忠へのこの歌は純粋だったのかもしれません。
       →右近と敦忠については敦忠の43番歌のところでも考えましょうか。

      ・最後の質問いいですねぇ。宮中での密会。人目も多い筈だし暗い中どこでどう密会してたのか人に見つかることはなかったのか、、、疑問に思いますよね。

       源氏物語の場面から拾ってみました。源氏物語で宮中での密会が述べられているのはそう多くありません(多数は六条院はじめ私邸、里下がりの実家)。

       1.雨夜の品定めの前夜(と言われている)物忌みで静まり返った宮中源氏が王命婦に手引きさせ藤壷の寝所に忍び込み思いを遂げる。
        →残念ながらこの場面は割愛されている。
        →「輝く日の宮」という巻があったとの説あり。
        →寂聴さんが「藤壷」という小巻を創作しているが評判はよくない。   
       何れにせよこれは宮中飛香舎(藤壷)の藤壷中宮の御帳台でのこと。見つからなかったのは物忌みで天皇はじめ全員がじっと息を潜めて蟄居していたため(物忌みの夜を意図的に狙った)と説明されている。

       2.宮中南殿の桜の宴の夜源氏が朧月夜を襲う(花宴)
       花の宴の夜源氏が藤壷に逢えないものかと飛香舎(藤壷)を窺うに戸は閉ざされていて入れない。そこで弘徽殿の細殿に立ち寄ると戸が開いている。源氏が忍び入ると酔った朧月夜が「朧月夜に似るものぞなき」と口遊んでやってくる。源氏は袖をとらえて有無を言わさず事に及ぶ。

       場所は「細殿」(廂の間)、、廊下みたいな所だろうか。

       3.老女房源典侍との戯れの場面(紅葉賀14)
        源典侍に誘われ源典侍の職場である温明殿の寝所に入り込む。
        頭中将に踏み込まれてドタバタとなる場面
        →源典侍は自分の局を持っていた。そこに男が通うのは通常のことだったか。

       4.源氏が尚侍となっていた朧月夜と密会 場所は最初の時と同様弘徽殿の細殿(賢木15)
        
        ほどなく明けゆきにやとおぼゆるに、ただここにしも、「宿直奏さぶらふ」と声づくるなり。またこのわたりに隠ろへたる近衛官ぞあるべき、腹ぎたなきかたへの教へおこするぞかし、と大将は聞きたまふ。をかしきものからわづらはし。ここかしこ尋ね歩きて、「寅一つ」と申すなり。

       宿直の係官が定刻に自分の名乗りを上官に告げる。上官もこのあたりの女房の所に忍んでいる。告げる係官はやっかみながら。聞く上官はうるさいなあと思いながら。 

       以上の場面から察して、
       ・自分の寝所を持っている女房はそこへ男を呼びこめばいいが大多数の女房は個室など持たず大部屋での雑魚寝みたいだったはず。男と示し合わせて細殿の片隅とかに几帳でも立てかけてしけ込んだのではなかろうか。

       ・姫君のところへは手引き者でもないと近寄れなかったのかもしれないが一般の女房のところへ貴人が訪れるのは誰にも咎められなかったのではないか。女房たちも相身互いで見て見ぬふりだったのだろう。

       ・右近が個室を持ってたとは思えないが上臈になってくればけっこう自由がきいたのではなかろうか。敦忠、師氏、師輔といった権門の貴人が右近の所を訪れるのは当然でフリーパスだったのでは。

       つい力が入り長々と書いてしまいました。この辺詳しいお局さまからのコメントも是非お願いいたします。

      • 源智平朝臣 のコメント:

        ・秋は小生にとってもスポーツの季節です。ゴルフは木曽でのコンペのほか、ホームコースの小川CCで小生を含めた国税関係者30数名でやっている月例コンペが9月から再開されているし、11月には吉田茂杯を争う東京倶楽部のコンペや先輩である元法制局長官との懇親ゴルフが入っているなど、予定が立て込んでいます。ビリヤードも今まさに東京倶楽部の秋季トーナメントの最中です。百々爺のご推測のとおり、文科系課目は俳句と百人一首に多少の時間を費やしているだけですね。

        ・純粋恋心説は「女性はそうであってほしいという小生の願望」と「女性はそうである筈だという思い込み」の反映であるとご理解下さい。爺の誘導に乗せられて、自らの女性体験を語るなどという愚行は避けたいのですが、別れた後については、女性は相手をあっさりと忘れ去ることができるが、男性はなかなか相手を諦めきれないという違いがあるような気がします。

        ・宮中での密会について、いろいろな実例を示して、懇切丁寧なご説明いただき、誠にありがとうございました。女房の恋愛については、警護担当者や他の女房もおおらかで何ら問題としない良き時代だったと理解しました。

        • 百々爺 のコメント:

          さすが何をするにも真面目で一生懸命、でもキチンとバランスは失わない。大したものです。体育会系に文化系課目に頑張ってください。たまには課外活動でカラオケなんかもいいと思うんですけどねぇ。。

    • 百合局 のコメント:

       中宮、皇后、女御に対しては帝以外の男との恋愛関係はタブーです。もちろんそれを破った例はあったでしょう。僧侶が相手ということもあったようです。医療行為と称して、あるいは夜伽の僧は身近に侍っているので、貴人をお慰めしたのかもしれません。
       物語では、源氏の君や業平の所業が語られていますよね。実際にあったことが噂となって狭い貴族社会にあっという間に広がり、それをもとにして物語も作られたのかもしれません。

       女房の恋愛は自由だったようです。婚姻も今とは大きく異なり、男が通って来なくなれば、その関係は終。次の恋愛は自由。数人の男と同時進行もあったようです。生まれた子供は誰の子か?と問題になったこともあるようです。
       局を賜るのは上女房で、それも現在の個室を考えてはいけません。渡り廊下のような場所をいくつかに間仕切りしているだけですから、プライバシーなんてありません。誰がどこに通っているのか、バレバレです。お互い様ですから、お互い見ぬふり、聞かぬふりがマナーだったのでしょうね。
       しかし人間の好奇心は今も昔も同じです。必ず黙っていられない人はいるもので、噂となって広がっていきます。
       紫式部も最初は他の女房と二人部屋だったのですよ。紫式部は身持ちが固かったようで、こういう風潮を嫌って最初は出仕を躊躇していたのです。

       まして下女房たちはおそらく雑魚寝状態でしょうね。恋人と示し合わせておくのでしょうね。暗いし相手を間違えないようにね。

       私は見てきたわけではありません。いろいろと想像すると面白いです。
       おおらかといえばおおらか、しかし人の様々な苦しみは今と変わりないようですね。

       

      • 百々爺 のコメント:

        ありがとうございます。見てきたわけじゃないかもしれませんが全てお見通し。正に私が期待したとおりのコメントをいただきました。さすがであります。

        帝の妃(中宮・皇后・女御、更に更衣も加えて)との密通は禁忌だった。万世一系に紛れがあってはならない。これこそ生命線だったのだと思います。それと神に仕える処女である斎宮(伊勢神宮)、斎院(賀茂神社)との恋、これも禁忌でしたね。
         →そういう禁忌の恋に敢然と挑戦するが故に「あやにくの源氏の君」や伊勢物語の業平は人気があったのでしょう。

        逆に一般の女房との恋は当たり前のことで物語にはならない。
         →源氏物語にも召人【(めしうど)=貴人に仕える女房、主人とは公然の秘密として情を交す関係にあるが妻とも妾とも認められない】と呼ばれる人がごく普通に出て来て唖然としたものでした。

        王朝時代の男女関係、現代とは倫理感が全く違うのでしょうが
        おっしゃる通り人を愛する歓び・哀しみ・悩みは今と変わりはなかったのでしょうね。

        • 源智平朝臣 のコメント:

          百合局さん、とても分かりやすい説明、ありがとうございます。当時は一定の禁忌を除いて、恋愛は自由な時代だったのですね。DNA理論(例えば、竹内久美子著の「そんなバカな!」参照)やアフリカで見た動物の生態からすれば、それが自然な姿なのでしょう。

          自由な恋愛にタガが嵌められるようになったのは宗教的な理由もあるでしょうが、根本的には社会の秩序を維持するためには一夫一妻制がベターor必要と考える人間の知恵の所産でしょうね。しかしながら、イスラム社会やアフリカのいくつかの部族(例えば、マサイ族)では一夫多妻制が認められている。また、先進国でも同性婚が認められたり、日本のように生涯独身を選ぶor余儀なくされる社会が増えて来ている。そうした状況の中では、一夫一妻制を絶対視する従来からの倫理観が崩れて来る可能性があるような気もします。

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