源氏の店をクローズし百人一首の店を新しくオープンする。店主は緊張しています。新しい店がうまくいくかどうか、お客さんが来てくれるかどうか。。。
百人一首をやろうとした経緯、どう読んでいくかについては上欄の固定ページ(「Why & How 百人一首」と「読み進め方について」)をご参照ください。
百人一首はどなたにも馴染のあるものでしょうから私の投稿も基本的事項は控えめにして個性的に言いたいこと強調したいことをメリハリつけて書くようにしたいと思います。源氏の登場人物談義で好き嫌いの評価をしたように百人一首でも歌や詠者について率直な感想・意見を述べたいと考えています。
→歌について、すばらしいとかつまらないとか訳が分からないとか
→人物について、大人物だとか可哀そうだとか何でこの人がとか
私の中心視点は背景となる歴史、人物相関関係、源氏物語との繋がりになるかと思います。フォローアーのみなさんにはそれぞれ興味のある観点から切り込んでいただければと思います。百人一首の裾野は実に広く「千早ふる」「崇徳院」の落語を始め歌舞伎、能・謡曲、絵、各種パロデイなど迄拡がっています。古来百人一首は日本人の文化教養に欠かせないものとして尊重されてきたと言えるでしょう。
競技かるたもマンガ「ちはやふる」の影響で子どもたちにも広く浸透しています。ウチの孫(小5女)も覚え始めたと言うので正月爺と一戦交えたのですがコテンパンにやられてしまいました。100首完璧に覚えている爺としてはまだ60枚程度しか完全に覚えてない女児にやっつけられて面目丸つぶれでありました。
→ゲーム感覚の遊びを通じ百人一首愛好者が増えていくのもいいことじゃないでしょうか。
ではどうかよろしくお願いいたします。
待ちに待った新ブログ 「百人一首 談話室」の開設、誠におめでとうございます。
皆さん充電期間も終え新ハンドルネームで待ちかまえていらっしゃったのではないでしょうか?
時あたかも春の新出発の季節。
入学、新学期そして入社を控えて新しい門出を待つフレッシュな世間の皆さんに先立ち一足お先にウオームアップで我々も頭を柔軟にしておきましょう。
百人一首との初めての出会い、確かな記憶はないのですが小学校低学年の頃だったと思います。
町に出かけた今は亡き父が「百人一首」を買ってきてくれました。
それは田舎の少女が見たこともない美しい箱に扇で顔を隠したお姫様が描かれていました。
父がこれは「かるた」と言うものだと説明し、普通のかるたは絵を並べるのに文字を並べるので不思議なかるただなと感じたのを覚えています。
更に父が妙な節をつけて読むのが可笑しかったのも遠い記憶です。
これが私の百人一首の原体験です。
その頃父は何を思って百人一首を買ってきたのか、そして父の百人一首の知識はどのようなものであったのか何処でそれを覚えたのか今となっては聞く術もありません。
それからは折に触れかるたあそびをするようになったのですがあまり熱中することもなく大人になってしまいました。
そのような昔の記憶を辿ってみるとこれが私の古典に興味を持つ土台のようなものであったかも知れず亡き父に感謝の思いです。
そして時を経て我が子たちが小学生になった時学校の正月行事で毎年かるた会が催されるとその時期だけにわか仕込みで家族で練習をしたものです。
数年前から孫も含めて時々遊ぶ程度の百人一首に今回百々爺さんの解説の元、少し真面目に取り組んでみたいと思っています。
と言っても記憶や思考も衰えたこの歳でどこまで迫れるかは疑問です。
とにかくあまり構えず歌の背景にある人間模様やエピソードなどを楽しみ味わい終わった時点で100首暗誦できていればこんなうれしいことはありません。
百々爺さん、皆さん、どうぞお手柔らかによろしくお願いいたします。
(コメントいただいた時私宛にメールが入る設定になってなかったようで気がつかず返事遅れすみませんでした。もう大丈夫です)
早速のご登場ありがとうございます。「小町姐」ですか。いいハンドルネームですねぇ。何と言っても小野小町は一番の有名女性ですから。
どこの家でも正月の百人一首が古典に親しむ基礎となっていたのでしょうね(ウチは専ら花札でいのしかちょう!なんてやってましたが)。
どうぞ百人一首に限らず気軽に世間話をやる感覚でお越しください。よろしくお願いいたします。
こんにちは。爺。待ってました。この日をずっと待ってたよ。
これから、もっと百人一首のことを教えてくださいね。
ようこそ。ちょっと難しいかもしれないけど百首の歌の背景を知ると楽しくなると思います。がんばって勉強してください。
田中です。ご招待ありがとう。百人一首なら僕でも取り付けそうです。
楽しみにしてます。
ようこそ!大歓迎です。色んな観点から楽しめると思います。どうぞ気軽にお付き合いください。
→S Tanakaでも構いませんがなるべく本名は出さない方がいいのでこれから登場する皆さんのハンドルネームも参考に改名されたらと思いますよ。
百々爺さん、談話室開設おめでとうございます。
歌留多といってもいろはガルタしか知らず、百人一首は全く不案内ですが、みなさんのお話を聞かせていただくだけでもどんなに楽しいことでしょう。どうぞよろしくお願いします。
竜田川に近い町に住んでいますので在五中将こと在原業平の大ファンです。今日、父・阿保親王のために建てたと言われる不退寺(ふたいじ)を訪れ、朝臣自身が彫ったという伝説の聖観音立像や筆を片手に思案顔の朝臣像などを見てきました。
表紙の写真は多宝塔脇にあった歌碑で、百人一首17番の、
です。いい具合に苔むしていたのを撮ってきました。
開設にあたってはいつもながら本当にお世話になりました。
1.ヘッダーの写真、無理を言ってすみません。爺には撮ることも編集することもできません。業平の歌碑のある所にわざわざ出かけていただいたのですか。業平を敬愛する在六少将どののこだわりというか執念を感じます。ありがたく使わせていただきます。
不退寺のこと「一日一句」から検索しました。2012.5.28と2012.11.9に記載がありました。懐かしいです。(爺としたことが「ちはやふる」の歌、16番などと書いてて恥ずかしい限りです)
2.「在六少将」、いい名前ですね。百人一首は平安(京都)の歌が中心ですが飛鳥、奈良はその源流。大和に立脚した書き込みをよろしくお願いいたします。
業平関連でもう一つあります。2014.9.11 在原寺跡は筒井筒の舞台ともなったと言われています。
17番に修正しておきました。
WordPressの検索機能は素晴らしいですね。「道しるべ」でも重宝に使わせてもらってます。
在原寺、ありました。筒井筒で盛り上がりましたね。やはり現場からのレポートは強いですよ。
「開設します」(未来形)なのか、「開設しました」(過去形)なのかよく分かりませんが、既に開設祝いのメッセージが続々と届けられているようなので、小生からも「百人一首談話室の開設、誠におめでとうございます! 談話室の順調な立ち上がりとご繁栄を心から祈念しております」との祝辞を送ります。
小生は正月になると家族全員で百人一首に興じる家庭に育ったので、歌の意味も分からないままに、小学生の時から百人一首を楽しんでいました。このように百人一首に馴染みはあるのですが、歌意や作者や詠まれた背景などをきちんと調べたことはないので、これらについて談話室で勉強したり、意見交換したりすることをとても楽しみにしています。
ちなみに、小生のハンドルネーム「源智平朝臣(みなもとのともひらあそん)」は百人一首の作者の中で、小生の憧れの人物である源融(河原左大臣)と在原業平朝臣と小生の名前の智を組み合せて作ったものです。源融は光源氏のモデル、在原業平は伊勢物語の昔男と聞けば、「何て格好良い名前か!」と思いませんか。思うのは小生だけかなあ???
早速のご登場ありがとうございます。
1.そうですか、正月は家族全員で百人一首ですか。「いのしかちょう」か「チー、ポン」かの家庭とは大分違いますね。
子どもって不思議ですね。訳も分からないのに繰り返しているとすっと覚えられるんですね。昔の寺子屋の論語なんかもそうだったんでしょう。そう言えばウチでも法事の都度お経を唱えさせられてたので「和讃」なんか節回しともども何となく覚えてしまったものでした。
2.「源智平朝臣」、ちょっとカッコつけ過ぎかとも思いますが大事なのは思い入れ。けっこうじゃないですか。何と言っても百人一首の中心は恋の歌。智平どのには是非現代のプレーボーイの立場から贈る側、贈られた側に忌憚のない意見をぶつけてください。「もっと押すべし」とか「ここは我慢して」とか、、、。よろしくお願いします。
→源融、あのとてつもない財力は垂涎ものですね。源氏の六条院&嵯峨御堂は間違いなく源融の河原院&棲霞観がモデルだと思っています。
先の源氏物語はそのスケールの大きさから早々にひれ伏してしまいましたが百人一首であれば何とかフォローできるのではと思っています。
小学生だった頃、やはり正月に兄弟家族でカルタ遊びし、その様子とコロモホッチョーと叫んでいた親父が回想されます。最近では「つくばねの・・」の標識が登山道の脇にあり、いい歌だな~と思った記憶があります。恋歌はど~も苦手の気がしますが、詠まれた場所・風景に拘っていきたい。
会社の川柳大会で使用した枇杷の実、時代錯誤なネームですが今後ともよろしくおねがいします。
おっ、いらっしゃい。大歓迎です。気軽に思ったこと感じたこと書き込んでください。
「つくばねの・・」の歌碑は筑波山でしょうか。山歩き、巡礼が趣味の枇杷の実さんのこと、歌枕に拘った読み方はいいと思いますよ。「読み進め方について」にも書きましたが「百人一首今昔散歩」原島広至(中経の文庫)がお勧めです。よろしくお願いします。
「百人一首 談話室」の開設、心からお喜び申し上げます。
私、このたび「式部」あらため「百合局」(ゆりのつぼね)とあいなりましてござりまする。
いにしへ、上つ方のみの教養であった和歌が江戸時代に百人一首歌かるたとなって下々にまで普及してまいりました。
それが日の本における文化発展の基礎となり、今に至っております。
これから一年間、百人一首の後世への広がりについて、いろいろ調べていきたいと考えております。
皆々様におかれましては、談話室の発展を、すみからすみまでずずずい~~とよろしく希い奉りまする~~。
お待ちしておりました。「お局さん」ですか。ピッタリですね。大奥を牛耳ってる強面のイメージですが、まあ「百合さん」だから優しいのでしょうか。どうぞ硬軟使い分けてずけずけ何でもおっしゃってください。
源氏に引き続き古典の幅広い知見に基づくコメントを期待しています。「百人一首の後世への広がりについて」調べていただける由、嬉しい限りです。カルタは勿論、能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎・映画・歌謡曲なんかについて教えていただきたいと思っています。どうぞよろしく。。