ご心配おかけしましたが無事手術も終わり予後も順調で退院してきました。鼠径ヘルニアにしては8泊9日と随分ゆっくりで(休日もあり多分に病院の都合だったのかも)最後の方は飽きてしまいましたが人間ドックならぬ「人生ドック」に入ってきた感じ、、それはそれでよかったかなと思っています。
→前後11日間アルコールを抜き1週間の健康食、これはなかなかできませんぞ。。
→11月はゴルフもテニスも飲み会(除く高校同窓会)も旅行も全てキャンセルしてスケジュールが真っ白になった。これもスッキリして気持ちがいい。
以下入院感想記(あくまで爺のメモです。読み飛ばしてください)
●入院は中3の盲腸炎以来54年振り2回目。あの時は手遅れ気味で傷口が膿んでしまい2ヶ月も入院してた。手術もそれ以来、やはり緊張した。
●前日入院で色々準備が忙しい。簡単にスパッとはいかないらしい。
入れ代り立ち代り看護士(スタッフ)が面倒みてくれる。システマティックだ。
●全身麻酔で気が付いたら病室のベッド。その夜は動けず排尿もままならずシンドかった。2~3日目やや腫れが出たがその後は安定、痛みもなく大部屋の窮屈なベッドながら楽チンに気ままに時間を過した。
●病院食 あんなもの(粗末)をあんな風に(超薄味)あれだけ(少量)食べていれば人間は生きていける(しかも健康に)んだとつくづく思った。それにしてももう少し工夫できないものか。
●ベッドに横たわっているとどうしても昼夜逆転気味になってくる。TVと本とパズルで時間をつぶした。
●TV 普段見ない分までよく見た。750分見れるカードを4枚使ったから計3000分(50時間) 主としてスポーツ観戦 & 映画
・日本シリーズ:山田の3連発はすごかった。ソフトバンクが強すぎる。イデホもさることながら2番明石のしぶとさが光っていた。爺ひいきの松田は今イチだった。
・ワールドシリーズ:ロイヤルズの逆転劇は神がかっていた。メッツ(昔のシェイスタジアムでなく新しいシティフィールド)にはエラーが多すぎた。第5戦、2-0でリードしてた9回先発を続投させたのは間違いだろう。満を持していた抑え投手が交代後打ち込まれたのも仕方あるまい。メッツフアンは憤懣やるかたなかったのではないか。
・ナビスコ杯 3-0で鹿島の圧勝。ガンバはなすすべなく敗れた。アジアクラブリーグなんて余計なものに出ててスケジュール的に大変だったのだろう。
→鹿島のFW金崎夢生 ヘッドでの中押し点など大活躍
三重県出身とは知っていたが調べてみると何と津市安濃町の東観中学出身(高校は兵庫の滝川二高)。爺の中学時代はまだ津市に入ってなかったが東観中は知っていた。経ヶ峰の麓、大里の近く。今朝の新聞によると全日本代表に復帰とのこと。ガンバレ!夢生(ムウ)
・ゴルフ日本シニアオープン NHKで4日間やってくれた。
場所が三重県津市だというのでなんじゃいなと調べたら
COCOPA RESORT CLUB 白山ヴィレッジゴルフコース(三重県津市白山町)
→こんな所にレゾートがあったのだ、然も津市になったなんて。知りませんでした。
→平石が米山の追い込みを1打差で制して優勝。最終18番の両者のショットには鳥肌がたった。
→18番はホテルのテラス越し。何発も打ち込まれているらしい。名物ホールかもしれないがいくらなんでもやり過ぎ。危ないではないか。
・全日本大学駅伝 名古屋熱田神宮→伊勢神宮
地元津市上浜町の第5中継点、周りの風景は変わっていない。懐かしかった。
→青学の山の神(神野大地)も負傷休養明けらしく追いつけなかった。東洋大の圧勝。
・女子ゴルフ Pontaレディス 渡辺彩香が優勝(久しぶりに日本人!)
→最終組で渡辺と回ったアマチュアの畑岡 奈紗(高2 16才)、プロでもロングヒッターと言われる渡辺よりドライバーが飛んでいた。楽しみである。
・天皇賞 ラブリーデイ 乗り替わりもあったけど横綱相撲、強かった。
→爺のやってた頃は3200M、かったるい競馬だった。東京の2千は面白い。
→久しぶりに競馬新聞(スポーツ新聞だが)の細かい欄を読んだ。懐かしかった。
・ラグビーW杯 ニュージーランドvsオーストラリア
真夜中だったけどこれ幸いと見せてもらった。
NZカーターのキックはすごかった。どんな角度でも遠距離でも決めていた。
後半途中4点差まで追いすがったもののやはり地力の差かNZが34-17ダブルスコアで勝利。日本(特にいつも見ている大学・高校ラグビー)のラグビーとは異次元のものを見せてもらった感じ。
●ラジオ NHKの深夜便なるものにもお世話になった。ゆっくりとした話しかけ調で聞くともなく眠るともなくぼんやり過すのにはむいているのかも。
●本
・「あの家に暮らす四人の女」三浦しをん
例によってしをんちゃんの抱腹絶倒調の文章には笑わせられる。面白かった。
→4人の何となく中途半端な女性たちの話だが4人とも何らかの意味でしをんちゃんの分身なのかなと思った。
・植物図鑑、昆虫図鑑
定期的に眺めると復習ができる。少しづつアカデミックに憶えていくのもいいのかも。
・数独とともに「面積迷路」なるパズルを1冊やった。
なかなか面白いし手強い。今度みんなでやってみよう。
●映画
・「居酒屋兆治」高倉健 それにしても兆治さん、寡黙過ぎませんか。
・「有頂天ホテル」三谷幸喜 ドタバタ群像劇 罪がなくていい。
・NHK「小林一三物語」 阪急、宝塚界隈のことが分かり大分スッキリした。
・仏映画「最強のふたり」 付随の富豪と黒人の介護人 ラストシーンは感動的だった。
。。。。平安時代からすっかり遠ざかった2週間ほどでありました。さあ、そろそろボチボチ天徳の歌合せ会場にタイムスリップすることにしましょうか。。。。
退院おめでとうございます。無事ご帰還何よりです。
盛りだくさんの術後の過ごし方はテレビでのスポーツ観戦、映画鑑賞、ラジオ、読書にと八面六臂の活躍じゃないですか。
自由の身でもこれだけ広い範囲で楽しむことはできないです。
まあ入院中で何もすることがない(してはいけない)からこその自由ですね。
同室の患者さんに迷惑さえ掛けなければ何をしようと自由ですものね。
眠れなくて眠剤を処方されるよりずっと健康的です。
私は半月の入院中不安と心配ごと、悩みでストレス過剰、眠剤を飲んでも効かなくて結局は完治しない、悪循環でした。
唯一美味しい食事、それだけが楽しみでした。
健康こそが精神のバランスを保つ根幹だと痛感した入院でした。
これから年を重ねれば思わぬ状況下におかれることもあるでしょう。
ストレスをなくし穏やかな日々を送りたいものです。
今月は百人一首に集中できそうですね。
ゆったり無理なくお大事に!!
百々爺、退院おめでとうございます。
入院中もいろいろ楽しまれたようで何よりです。おかれた状況の中で、何ができるか考えてベストを尽くすのがいいですね。
9日から百人一首の世界に戻るのですが、百々爺が入院する前、智平朝臣が質問されていた「貴族の収入」に関しての資料を見つけたので記します。
奈良時代に確立された律令なので、平安時代には変化し、おざなりになって支給が途絶え、べつのやり方になってはいくのですが、基本であることは確かです。
『よみがえる平城京~天平の生活白書』(日本放送出版教会)
このP61に給与制度の表があります。現代にあてはめるとどのくらいになるか、ネットでいろいろ出ていましたが、「おさるの日本史豆知識~貴族とその暮らし~貴族の収入」がわかりやすくて妥当かなと感じました。興味が湧いたら読んでみてください。
小説では杉本苑子の「散華上・下」「山河寂寥上・下~ある女官の生涯」の一部分が参考になると思います。
紫式部の父が受領でない時の手元不如意さ(庭は荒れ放題、せっかくの池も詰まって川水が入らない枯れ池、屋根や廊下など家の手入れもできない、来客もなし)や、受領になった途端、庭は昔の美しさをとりもどし、家の修理もしっかりでき、来客も多くなった様子が面白く書かれています。(小説だからできるのですが・・)
女房の給与(のようなもの)についても、米、塩、絹、綿(まわた)などが、数量をあげて記されていたように記憶しています。以前に読んだので記憶違いがあったらごめんなさい。現代とは物差しが異なるので、ピンとはこないのですが、なんとなく理解できます)
古典文学と歴史は切り離すことはできないものですね。
優れた文学(和歌)も、生きていればこそ生まれますからね。
生きるには衣食住は必要です・・
「貴族の収入」色々調べていただいてありがとうございます。
「おさるの日本史豆知識~貴族とその暮らし~貴族の収入」さわりの部分ざっと読ませてもらいました。こういうサイトもあるんですね。参考になります。
・ご指摘の通り奈良(或いはそれ以前の)の律令と平安(道長の時代)の決まりでは300年も隔たりがありいっしょにはできないでしょうが基本は同じだと思います。
サイトの年収(現代に換算した額)の表を見ると、
一位 3億7455万円
二位 1億2484万円
三位 7490万円
正四位 4119万円
従四位 3506万円
正五位 2801万円
従五位 1540万円
正六位 704万円
従六位 616万円
それ以下は更にぐっと減る。
→差が甚だしい。一位~三位の公卿は別格だろうが五位と六位、六位とそれ以下は顕著に違う。一つでも上の位につきたいと官人たちが目の色を変えたのも無理はない。一族郎党(召し仕えたちも含め)の命運がかかっていたのだから。
→この表を見ててプロ野球選手の年俸のことを思った。3億の選手と500万の選手が同じベンチにいる。生活の話などできるものではなかろうに。
→この表の年収は朝廷から与えられる報酬でしょうが他に屋敷やら土地やらの支給にも差があり更に租税上の優遇もあったようで、要は上になればなるほど裕福度はけた違いに大きくなっていった感じ。
・受領になって任地へ行った場合、位階による報酬は都で今まで同様受け取り、屋敷もそのまま、現地では別途手当があったり、税の取り立てなどで莫大な余禄が得られたということだろうか。
→この辺今一つはっきりしませんが、諸物語を見るとこれでもかと書かれている通りなんでしょう。播磨守だった明石入道はその典型でしょう。紫式部も「あ~、父(為時)があんな風になってくれたら私は宮仕えなどしなくてもよかったのに、、、」とふと思ったことがあったのかもしれません。
まだまだ分からないことがいっぱいあって興味がつきません。