押し迫りました。みなさまそれぞれにお忙しい年末をお過しのことと思います。
今週は登載をお休みさせていただきます。遊びごととは申せ読んでいただくのにもコメントを考えていただくのにも時間がかかります。まあ正月くらい「談話室」は忘れてゆっくりしましょうということです。「談話室」の代わりにほんものの「小倉百人一首」でかるた取り。これぞ日本の由緒正しきお正月の過ごし方、、、、。ウチでも「どんじゃら」やら「人生ゲーム」やら恒例のゲーム大会をやりますので今年から「百人一首」も種目の一つに加えたいと思っています。爺の思いはさることながら小学生はともかく若い人たちがチンプンカンプンなので難しいかもしれませんが。。
3月から始めた「談話室」、本当にお世話になりました。厚くお礼申し上げます。当初どんなものになるか不安で一杯でしたが今やコメント欄は百花繚乱、誠に楽しく気持ちのいいサロンになっていると思っています。これも連日「談話室」を訪問いただき多彩なコメントでサロンを盛り立てていただいているみなさまのお陰であり、厚くお礼申し上げます。先に書きましたが本サイトへは外部検索からのアクセスも日々数を増しており昨日は200件を越えました。百人一首で何か調べようと思ったら「談話室」へ来て見れば何かヒントが得られる、そんな風に使っていただけるのは望外の喜びであります。
先日は爺の住む地区の自治会から百人一首の講座を依頼され2日に亘り2時間ずつ百人一首のお話しをさせてもらいました。身内を入れて20人ほどでしたがみなさん熱心に話を聴いてくれました。これも百人一首が馴染みのある魅力的なコンテンツだからこそだと思いました。本稿末尾に講座で使用したレジメを載せておきます。キイワードを羅列しただけの簡単なものですが百人一首を概観するのに参考にしていただけばと思います。
「談話室」の年初めは1月4日48番歌からとなります。休み中の諸々は本稿コメント欄に何なり書き込んでください。
それではみなさま、良いお年をお迎えください!!
【百々爺 百人一首講座レジメ (2015年12月)】
メリー クリスマス!! 百人一首をご一緒に
100人の歌人たちが詠んだ100の歌に600年の歴史と人間模様がよみがえります。今宵、ご一緒に百人一首で楽しみましょう。
○百人一首って? どんなイメージでしょう。
かるた取り お正月の一家団らん
競技かるた 近江神社 マンガちはやふる
坊主めくり 坊主は100人中何人でしょう?
→折角馴染みのある百人一首 思い出してみましょう。
○百人一首 一人一首 百人で百首
成立 1235年 藤原定家 古今の和歌 小倉山荘 襖に歌の色紙を
和歌って? やまとうた 五七五七七 民謡俗謡から
万葉集(漢字) 古今集(ひらがな)勅撰集 和歌の力
専門家人→権門の武器に→武家も受け継ぐ 公家が家元
明治 短歌 正岡子規 短歌革新運動
歌会始め 天皇・皇后 皇族、一般公募も 1月14日 題「人」
○百人一首のカバーする時代 650-1250 600年間
平安時代は400年 実に長い 江戸は260年 明治維新から150年
大化の改新645~白村江663~壬申の乱672~大宝律令701~
奈良時代710~平安京794~源氏物語・道長摂関政治全盛1000~
保元の乱1156~平家滅亡~鎌倉幕府1192~承久の変1221
600年 日本の国が形作られた時代 万世一系の天皇制
海外からの国防上も平和な時代だった。
○百人一首 100人 時代順 背番号 人物 人間模様
男 79人 天皇7 親王1 官人58 僧侶13(8枚に1枚が坊主)
女 21人 天皇1 内親王1 母2 女房17
親子 18組 多い 夫婦はいない 兄弟は行平と業平
→平安時代の天皇観 神ではない 神を祀る人 おおらか
→1000年頃 平安京 10万人 貴族五位まで200人 狭い社会
○百人一首 歌の内容
●四季32首 春6首 夏4首 秋16首 冬6首
日本が世界に誇れるもの=四季があること
春15 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ
光孝天皇 若菜 新年の祝い 春の七草
33 久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ
紀友則 古今集 春駘蕩 古今集編纂途中で没
夏81 ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる
藤原実定 ほととぎす、夏の象徴、有明の月21,30,31
98 風そよぐ楢の小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける
藤原家隆 定家のライバル 上賀茂神社 夏のみそぎ
秋79 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
藤原顕輔 歌壇の牽引者 詞花集撰者 月の影
23 月見れば千々にものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
大江千里 秋=愁い 物悲しい 白氏文集を和歌に
32 山がはに風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
春道列樹 京~近江山越え しがらみの一語が決め手
冬28 山里は冬ぞ寂しさまさりけり 人目も草もかれぬと思へば
源宗于 光孝帝の孫 賜姓源氏 寂しい山里 枯れる・離れる
31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
坂上是則 朝ぼらけ(暁・東雲・曙)吉野 壬申の乱
●恋43首(女14首)
王朝時代の恋
結婚の形態 通い婚 婿取り婚 嫁入り婚
性に関しておおらか、オープン でもルーズではない
一夫多妻制? 必ずしもそうではない
儒教、朱子学で女性に貞節を求める武士の世の中とは異なる
恋の歌 男女とも相手の心変わりを嘆き恨むような歌が多い
19 難波潟短き葦のふしのまも あはでこの世をすぐしてよとや
伊勢 恋多き女流歌人 情熱の歌 宇多帝&その親王
43 逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
藤原敦忠 時平の子 早死38才 「逢う、見る」 事前・事後
天徳歌合 960年 村上帝 空前の大イベント 20番勝負
40 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
平兼盛 平家武士ではない歌人 未だ逢わざる恋
41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
壬生忠見 大勝負 天気左にあり、、忠見失望死
●その他25首
親の歌、子の歌、孫の歌はない。友だちも少ない。
別れ16 旅7,11,24,93
後は雑 8,10,12,26,34,55,57,60,62,66,67,68,75,76,83,84,95,99,100
代表歌・有名歌
1日目 11首
1 秋の田のかりほの庵のとまをあらみ 我が衣手は露にぬれつつ
天智帝 豊作を祈る聖帝 あらみ48、77 平安では特別な天皇
大化の改新 戸籍、統一租税制度、律令、
唐・新羅の侵攻に備え軍事制度 近江京 国史編纂 漏刻
2 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
持統帝 藤原京 初夏 大和三山 ほすてふ41 「天上の虹」
日本史上最強の女帝 天智の子 天武の妻 壬申の乱~
日本の国作りを完成させた
4 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
山辺赤人 柿本人麻呂と並ぶ歌聖 富士山讃歌
万葉集原歌
田子浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける
万葉集=率直 雄大荘厳 古今集=優美 理屈っぽい 観念的
7 天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも
安倍仲麿 遣唐使605-894 20回 唐で高官に 李白・王維
春日大社 鑑真和上
9 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に
小野小町 平安初期 宮廷女房 絶世の美人 小町伝説
眺め・長雨 経る・降る
12 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ
僧正遍昭 桓武帝の孫 仏教界の重鎮 五節の舞姫
11月新嘗祭(五穀豊穣に感謝)
17 ちはやぶる神代も聞かず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
在原業平 平城帝の孫 伊勢物語 落語ちはやふる 龍田川
24 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
菅原道真 天神さま 漢学者 藤原時平讒訴 大宰府に左遷 没
祟り 時平一族は早死に 復権 神さまに 北野天満宮
宇多帝の奈良~吉野行幸で 紅葉のきれいさを称賛
東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
35 人はいさ心も知らず古里は 花ぞ昔の香ににほひける
紀貫之 和歌権威 古今集編纂 序 土佐日記 梅の花
初瀬 長谷寺 観音信仰
42 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
清原元輔 清少納言の父 79才肥後守 83才没
契りきな 末の松山 あり得ないことの象徴 東北大震災
46 由良の門を渡る舟人梶を絶え 行方も知らぬ恋の道かな
曾禰好忠 丹後 由良 偏屈孤立の人と言うが 革新歌人だった
2日目
○競技かるた
かるた ポルトガル語 かるたの形式江戸初期か
読んで取る、世界に類を見ない。
覚えるのが教養、百人一首は嫁入り道具 全部暗記して
大石天狗堂の「光琳かるた」 今でも30万円
近江神宮(S15 天智天皇) 名人位・クイーン位戦
畳の上の格闘技 気力・体力・知力 スポーツ
100枚中50枚 25枚づつ 自陣・敵陣 3段に並べる 横87cm
暗記15分 2分間素振り 送り札 自陣の札がなくなれば勝ち
序歌 古今集序 王仁
難波津に咲くやこの花ふゆごもり今を春べと咲くやこの花
決まり字
一字きまり む87 す18 め57 ふ22 さ70 ほ81 せ77
大山札 あさぼらけ30・54きみがため15・50わたのはら11・76
あ で始まる歌 16首もある
下の句が「ひと」で始まる歌 9首もある 素人にはややこしい
マンガ「ちはやふる」少女が主人公 青春漫画 映画化も
高校にも「百人一首倶楽部」競技かるたと文学探究両立を
○百人一首 花鳥風月 気象天文
●草・木・花
・桜6首(9花の色は・33久方の・61いにしへの・66もろともに・73高砂の・96花さそふ)
66 もろともにあはれと思へ山ざくら 花よりほかに知る人もなし
大僧正行尊 三条帝曾孫 天台座主 私も花よお前も
・紅葉5首(5奥山に・24このたびは・26小倉山・32山がはに・69嵐吹く)
5 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋は悲しき
猿丸太夫 伝説の人 有名な歌 83俊成が本歌取り 世の中よ
・松4首(16立別れ・34誰をかも・42契りきな・97来ぬ人を)
34 誰をかも知る人にせむ 高砂の松も昔の友ならなくに
藤原興風 官位低い藤原氏 古今集時代の代表歌人
兵庫県高砂 白砂青松
・葦3首(19難波潟・71夕されば・88難波江の)
・稲1,71、さしも草(蓬)51,75、しのぶ草(羊歯類)14,100 各2首
・若菜15、さねかずら25、菊29、梅35、八重葎47、浅茅39、笹58、
真木87、藻97 各1首
菊29 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
凡河内躬恒 古今集 正岡子規こきおろし 観念的真実味がない
八重葎47 八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり
恵慶法師 河原院 葎・蓬・浅茅 荒れた土地を表す
→意外と梅が少ない 35番「人はいさ」のみ
●百人一首に出てくる動物
・鹿2首(奥山に5・世の中よ83)
・やまどり3、かささぎ6、にわとり62、千鳥78、ほととぎす81、
きりぎりす91 各1首
・6 かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
大伴家持 万葉集編纂者 かささぎ 韓国の国鳥 七夕伝説
●風 風の歌は実に多い。百人一首に10首
(12.22.32.37.48.58.71.79.94.98)
「嵐」の歌は百人一首に3首(22.69.96)
「颪」の歌は百人一首に1首(74)
合計すると13首(22番がダブルので)が風関連の歌。
・風 22 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
文屋康秀 専門歌人 六歌仙 言葉遊び的な歌
「雨」9,87、「雪」4,15,31,96、「霧」64,87、「露」1,37,75,87
「霜」6,29,91、「霞」73
●月 百人一首に12首 7.21.23.30.31.36.57.59.68.79.81.86
・月 68 心にもあらで憂き世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
三条院 道長との確執 目の病気 月を詠んだ道長の歌は
この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば
○詠まれた場所 土地 ―― 歌枕
●大和(奈良)12
天の香具山(2春過ぎて)・三笠山(7天の原)・竜田川(17ちはやふる) 手向山(24このたびは)・吉野(31朝ぼらけあ)・初瀬(35人はいさ)奈良(61いにしへの)・大峰山(66もろともに)・三室山竜田川(69嵐ふく)初瀬(74うかりける)・興福寺(75契りおきし)・吉野(94みよし野の)
・三室山竜田川
69 嵐ふく三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり
能因法師 諸国を行脚して歌を詠んだ 奥の細道 白河関 象潟
●京都近辺 10
宇治(8わが庵は)・逢坂(10これやこの)・逢坂(25名にしおはば)
泉川(27みかの原)・志賀の山越(32山がはに)・由良(46由良の戸を)
大江山(60大江山)・逢坂(62夜をこめて)・宇治(64朝ぼらけう)
比叡山(95おおけなく)
・逢坂の関
10 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬ逢坂の関
蝉丸 伝不詳 盲目の人 調子のいい歌 逢坂(京~滋賀の境)
●近畿 10
住の江(18住の江の)・難波(19難波潟)・難波(20侘びぬれば)
高砂(34誰をかも)・伊吹山(51かくとだに)・有馬山(58有馬山)
高師浜(72音に聞く)・淡路島(78淡路島)・難波(88難波江の)
松帆の浦(97来ぬ人を)
・難波
20 詫びぬれば今はた同じ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ
元良親王 陽成帝の第一皇子 一夜めぐりの君 澪標 大阪市章
●その他(北から)10
雄島(90見せばやな)・末の松山(42契りきな)・沖の石(92わが袖は・信夫郡(14陸奥の)
佐渡(100百敷や)・筑波山(13筑波嶺の)・鎌倉(93世の中は)
富士山(4田子の浦に)・稲葉山(16立別れ)・隠岐(11わたの原や、99ひともをし)
・信夫郡
14 陸奥のしのぶもぢずり誰故に 乱れそめにし我ならなくに
源融 河原院豪邸 福島県信夫山 伊勢物語初段
奥の細道 早苗とる手元や昔しのぶ擦り
・筑波山
13 筑波嶺の峯より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
陽成帝 若くして廃位 筑波山 東国歌枕 常陸国 恋歌
・観点は違うが7番歌(天の原)は外国(唐)で詠まれたもの
代表歌 有名歌
2日目 14首
53 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
道綱の母 藤原兼家の妻 蜻蛉日記 文学価値高い 夫を待つ妻
54 忘れじの行末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
儀同三司(藤原伊周)中宮定子の母 宮廷女官長 夫道隆への歌
55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
藤原公任 博学 和漢朗詠集 三十六歌仙 大覚寺 おんなひとり
~~塩沢がすりに 名古屋帯 耳を澄ませば 滝の音
56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな
和泉式部 恋多き女房(彰子)為尊親王→敦道親王 和泉式部日記
57 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな
紫式部 昔の女友だち 源氏物語 一条帝-彰子 道長 雲隠
58 有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位 紫式部の娘 有馬山 有馬稲子 後冷泉帝の乳母
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな
赤染衛門 倫子→彰子の女房 栄花物語 40平兼盛の娘
60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立
小式部内侍 生野・行く 踏み・文 藤原定頼 機智の応酬
61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな
伊勢大輔 奈良八重・京九重 一条帝前で 紫式部に代って
62 夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
清少納言 枕草子 中宮定子 藤原行成との応酬 函谷関の故事
77 瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院 出自 母待賢門院璋子 保元の乱 讃岐配流 落語
86 嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな
西行 鳥羽院北面武士 璋子 23才で出家 放浪歌人 奥の細道
願わくば花の下にて春死なむ この如月の望月のころ
93 世の中は常にもがもな渚漕ぐ あまの小舟の綱手かなしも
鎌倉右大臣=源実朝 28才で暗殺さる 万葉風 子規絶賛
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波の寄る見ゆ
大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも
97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
藤原定家 松帆の浦 新古今集 和歌家元(二条・京極・冷泉)
後鳥羽院 式子内親王 源氏物語
99 人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は
後鳥羽院 和歌に傾倒 承久の変 隠岐配流 19年で崩御
承久の変=天皇・貴族制→武士社会へ 600年の節目
我こそは新島守よ隠岐の海の 荒き波風心して吹け
○お勧めの百人一首本
「田辺聖子の小倉百人一首」田辺聖子・角川文庫 ――平易 楽しい
「百人一首の作者たち」目崎徳衛・角川ソフィア文庫 ――100人の人物像
「百人一首 今昔散歩」原島広至・中経の文庫 ――絵、図が豊富 雑学事典的
○百々爺のブログ
「百人一首 談話室」 現在進行形 47番歌掲載中
「源氏物語 道しるべ」 終了 源氏物語講読のご参考に
お役にたちましたでしょうか。ありがとうございました。
このブログが始まるまでは百人一首がこれほど奥深いものとは思いもよりませんでした。
これまでの百人一首は私にとってあくまでもかるた遊びのイメージしかなかったのです。
人物、時代背景を通して考えたことなど全くと言っていいほどなかった。
それが百々爺さんの解説と共に皆さんとコメントをやり取りしているうち徐々に歴史に目覚めて参りました。
振り返ってみてここ最近思うことはやはり狭い貴族社会での込み入った血の入り乱れた家系図のことです。
その最たるものが藤原氏。
度重なる皇室との血の同化、苛烈な政争の修羅場を勝ち抜き歴史上に名を刻んだ藤原氏とはいったい何者か?
今月読んだ小説から感じたことを取り上げてみます。
百合局さん紹介の杉本苑子「山河寂寥」ある女官の生涯
複雑老獪な藤原摂関家の実態に迫る小説。藤原冬嗣の子息長良 良房 良相。
良房の養嗣子、基経、その妹淑子、高子らが活躍した期間、天皇家で見れば文徳、清和、陽成、光孝、宇多から醍醐帝初政にかかる波乱に満ちた時代小説。
そして昭和蝉丸さんご紹介の谷崎の「少将滋幹の母」がそれに続く物語としてのつながり。
時平に妻を奪われた伯父大納言国経の忘れ形見滋幹のお話である。
そして村上、冷泉、花山、一条天皇時代の紫式部の生涯を書いた同じく杉本苑子の「散華」を丁度読み始めたところです。
これらの小説がきっかけとなり13番陽成院から45番謙徳公の解説それぞれコメントを読み直してみてようやく鈍い小町姐もその系図のつながりが理解出来おぼろげながらも歌に詠まれた歴史の背景に思い至ることができつつあります。
物語や小説もサブテキストとして読むとわかりやすい気がします。
これは漫画「天上の虹」でも感じたことです。
天智天皇、藤原鎌足から繋がる膨大な系図が連綿と続いていく。
そして不比等4兄弟を祖とする藤原4家から冬嗣までがまだ埋められていませんが追々
勉強していきたいです。
小説はあくまでも小説、史実と創作が渾然一体となり読者の想像をいやがうえにも広げてくれます。
ここ最近の読書を通じて学んだ600年の歴史の一端、これからどう繋がっていくのかが興味のあるところです。
今年も残すところ数日、このブログのおかげで随分救われました。
母を亡くして失意の日々を乗り切れたのもこうやって集中できる目標があり皆さまに支えられたことが大きかったです。
皆さま本当にありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
新年も元気に談話室に集いましょう。それでは皆さまどうぞ良いお年を!!
遠つ世の業平小町偲びつつ昭和平成生きて有りつる (小町姐歌)
・私自身も談話室で書き始める前は百人一首にこんなにコンテンツが詰まっているとは思いもしませんでした。紀貫之の古今集序を読みその高揚した調子に乗せられ百人一首の各歌について考えていくうちに「和歌の力」の凄さに思い至った次第です。和歌が専門歌人の手から権門の人たちの武器になっていく。当然政治や社会世相が歌の背景に散りばめられる。かくて百人一首の各歌は相互に連鎖呼応しあい偉大な知的コンテンツを形成するに至ったということでしょうか。まだ半分の所ですが平安中後期~鎌倉の世へ、、後半戦が楽しみです。
・相変わらず読書家ですねぇ。藤原氏が長年かけて他氏を排斥し栄華を極めていく過程は歴史年表の記述を追うだけでも大変なものがあります。「山河寂寥」面白そうですね。百人一首で言えば10番台~20番台の所でしょうか。
読んでみます。
・年納めの歌ありがとうございます。さすが源氏物語54帖を歌に詠んだ「青玉源氏物語和歌集」(@「源氏物語 道しるべ」)の作者です。書道も進んでおられることでしょうね。
1)別のメールのやり取りで皆さん既に書いておられますが、爺の地元自治会講演用のレジメ読みました。読みでがあるかなり濃い内容ですし、よくまとまった資料です。さすが、当ブログのリーダーだけのことあり、ですね。
講演会も盛会で成功裏に終わったよし、何よりでした。
2)小生がこのブログで百人一首のことを学び始めたのに、小学5年生の孫(男)が興味を持ち、家内が読んでいた末次由紀さんの”ちはやふる”を読み、没頭し、4-5回繰り返し読んだ後、競技カルタに関心を持ち、せがまれて家内と小生で何回かお相手をやらされました。
一字きまり 大山札はさっと取れるのですが、他はかなり歌を覚えているこちらが強かったりで、孫が悔しがるので、歌を覚えろと刺激したところ、30首くらい記憶でき、その後は、孫が常勝となりました。
小学1年生の娘孫も、競技カルタをわれわれがやっているのに興味を持ち、横から参加もし、歌も10首くらい覚えました。
ということで、今度のお正月にカルタ大会をやろうと思っていたのですが、旦那さんの海外駐在についていき、12月に日本からいなくなりました。
帰ってくるまで、歌を覚えているのか解りませんが、お陰で、孫にはよい勉強ができたのではと思っています。
因みに、小生は、”ちはやふる”をまだ読んでいません。
3)小町姐さんの歌、久しぶりに拝見、源氏物語のときを思い出しました。
杉本苑子「山河寂寥」ある女官の生涯 谷崎の「少将滋幹の母」杉本苑子の「散華」を読まれたとのこと、百人一首をやっていると物語が近い存在になり、書かれている様に凄く面白く読めるように思います。
小生は、三田 誠広先生の”古代ロマンの愉しみー神話から源平合戦まで”の特別講座を昨年前半に半年間受講したことは、何回か書いていますが、この講義、抜群に面白かったのですが、いまこのブログで百人一首をやっていると、当時の時代背景がわかってきたので、講義内容が何倍も深く理解できるようになりました。また、先生が配ってくれた、天皇家と藤原家の家系図は、これは皆さんに紹介させてもらいましたが、今も非常に役立っています。
小町姐さんに刺激され、いま杉本苑子「山河寂寥」ある女官の生涯 の下巻を読んでいます。そのうち 谷崎の「少将滋幹の母」や杉本苑子の「散華」も挑戦したいと思っています。
小生は、今年の秋からでは、白州正子”西行”と三田誠広”空海”を読みましたが、これも面白かったです。
4)先週23日、”静嘉堂文庫美術館”で、俵屋宗達の国宝 ”源氏物語 関屋と澪漂図屏風”が展示されていたので、見に行って来ました。
祝日で展覧会最終日ということでかなり混んでいました。
関屋は、源氏と空蝉が逢坂の関で出会う場面、澪漂は住吉大社に詣でた源氏を明石の君が舟から見る場面 を描いた絵ですが、修復された金を下地にした極色彩の美しさに加え、11月に徳川美術館で見た ”国宝 源氏物語絵巻”よりかなり大きな絵だったので、迫力充分でした。
それに、見れるとは思っていなかった、国宝 曜変天目”稲葉天目”茶碗まで見ることができ、幸せでした。
皆さんに紹介しようと思ったのですが、最終日が終わってしまいましたので、今書かせて頂いています。
5)このブログに参加して、最近起こったこと、やったことを書きましたが、大変楽しくやらせて頂いています。
爺はじめ皆さんに感謝しています。
では、よい新年をお迎えください。
近況報告ありがとうございます。すっかり古典を道連れにした生活をエンジョイされているようで何よりです。お孫さん、すごいですね。海外でも覚え続けて欲しいですね。ウチのも未だ興味は失せてないようで帰って来たら地元のかるた協会に入りたいなんて言っているようです。
最近読んだ吉海先生の講演録に「源氏物語が文学的にどんなにすごかろうと源氏物語を原文で読む人はほとんどいない、一方百人一首はすべて原文で読むし抄出ではない」、、、、ここが百人一首のすごいところとありました。確かにその通りでしょう。源氏物語約百万字に対し百人一首は僅か三千百文字ですからねぇ。
→源氏物語と百人一首は表裏一体だと思います。源氏やって百人一首やってまた源氏に戻る。健康で長生きしなくっちゃいけませんね。
年末になりました。今年を振り返って楽しかった思い出だけを書こうと思います。
私が今年一番熱心に取り組んだのは謡です。
稽古に励めば励むほど、その奥深さに魅せられます。
古典文学に馴染んでいるので、その内容を理解することは難しくありません。
理屈だけで考える世界ではなく、いい意味でおおざっぱ、感性での言葉遊びの部分も多いのはこのブログで歌や歌人関係で記した通りです。
幸い良き師(観世流能楽師シテ方 桑田貴志)に恵まれ、音の取り方、節の扱いなど理論も含め教えていただいているのは幸せなことです。
11月29日には矢来能楽堂で初舞台を踏めたことも少し自信につながりました。
ただし独吟は一行のみ、あとは連吟です。(「竹生島」のワキツレ)
今「羽衣」や「草紙洗小町」を稽古していますが、僧正遍照の「天つ風雲の通路吹き閉ぢよ~」の歌や紀貫之の歌がはいっており、また、小町、黒主の物語も知っているので興味はますますつのります。
来年はもっと稽古して、能ももっと観て、楽しみを深めていきたいと思っています。
百人一首(歌とその歌人)との関連も調べて書いていきますね。
よいお年をお迎えください。
いやあ、素晴らしい!魅せられて熱心に取り組むものがあればそれこそシアワセでしょう。いいもの見つけられました。カラオケで昭和歌謡曲を歌うのでもあるまいし大したものです。先日の初舞台は応援に行けず失礼しました。来年は前広に予定を連絡ください。一同挙ってかけつけますから。。和歌から派生しての能・謡曲。談話室後半の歌模様への解説、楽しみに(いや頼りに)しています。よろしくお願いします。良いお年を。
3年前に娘の部屋から絵画道具を見つけ、何気なく源氏物語の桐壺を一枚描いたのが始まりでした。
http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/12/KIMG0019.jpg
二十歳の頃、学生寮の祭りイベントに数枚の絵を出して以来のことでした。
母親の自宅介護もあり、時間潰しには悪くないなぁと始めた訳です。
その後皆さまの『道しるべ』を知り絵画で追いかけましたが結局54帖まで追いつけませんでした。
今回の百人一首談話室では、何とか初回から参加させて頂き拙い絵にも拘わらず、皆さまから叱咤激励頂き誠に有り難うございます。
これからも源氏物語和歌絵本と交錯しながら続けるつもりです。
羊さん一年間ありがとう。
もう一度会えるかなぁ?
会いましょうね、、、
いいですねぇ、手作りの絵。私自身は絵は全くの不得意、いつもカラオケ苦手の人たちに「そんなの、なんてことないよ、やらず嫌いだよ」なんて憎まれ口をたたいていますが絵となると無言無口、ただ話題が通り過ぎるのを待っているだけでして、、。
有情さん、いい趣味見つけましたね。ピッタリはまっていますよ。「和歌絵本 源氏物語 五十四帖」なかなかのものでした。百人一首版では腕も上がり拍手喝采、素晴らしいです。どうぞ引き続き談話室に彩りを添えてください。お願いします。
有情さんの手始めの絵「桐壷」、さすがに第一作、手探りみたいで初々しくていいですね。
(「源氏物語 道しるべ」の「桐壷 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括」欄にも重複アップしました)
年頭のご挨拶
皆さまには素晴らしい新年を迎えられたこととお喜び申しあげます。
私も喪中とはいえ穏やかな天候に恵まれた三が日、静謐な気持ちでつつがなく新年を迎えることができました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
あらたまのとこ懐かしき初硯父母無き身にも朝来たるらし
墨痕鮮やかとはいかずまだ手習いの範ちゅうです。
さて三が日、皆さまはいかがお過ごしだったでしょうか?
百人一首とはしばし離れました。(かるた遊びもできず仕舞)
今日は名古屋能楽堂の正月特別公演に行ってきました。
翁(能) 鶏聟(狂言) 竹生島(能)
「翁」は毎年一月三日恒例の演目である。
昨年夏に初めてお能を観た時はさっぱりわからなくて又観たいとは思わないと言っておきながら又懲りずに行ったのです。
数年前に藤田流十一世家元 藤田六郎兵衛さんの講演で笛を聴いてから是非ともお正月の「翁」だけは観たい演目であったが何しろ正月公演で今までは行く機会がなかった次第。
百合局さんに刺激されて今年はもう少し日本の伝統芸能を身近に感じたいと思った事、それと今読んでいる「義太夫を聴こう」橋本治にも感化されている。
「翁」とは一般的には老人のことで老いることはマイナス要素で考えることが多いのですが古来伝統的には「年老いる」ことはプラス評価であったようです。
中国でも「老」は良い評価に用いる文字で平均寿命が短かった時代、長生きはそれだけでも大したものだったのです。
「続日本後記」にも平安初期、仁明の天皇の承和12年(845)当時130歳の舞の名人が天皇の御前で舞楽を舞ったという記録があるそうです。
新年初めの催しを初能と称し最も正式な場合その冒頭で「翁」が演じられる決まりだそうです。
名古屋能楽堂の初能はお正月らしく舞台は注連縄飾りが施されている。
その「翁」は普段の能と違い特別な決まりごとがあるとの事。
なるほど最初から面をつけていない
天下泰平、国土安穏を祈る厳粛な能である。
「竹生島」は醍醐帝(延喜の治)に仕える朝臣が竹生島に参詣、島の景観を背景に天女が舞い竜神が躍動するお話である。
やはり謡がわかりづらい、さっぱりと言うのが正直。
わかろうとするより先ずはよく聴き、慣れることなのかそれとも事前学習が必要なのか理解に苦しんでいる。
でもまあ昨日のEテレの「こいつぁ春から」じゃないけどおめでたいことには変わりなく久しぶりにお正月らしい雰囲気を味わう事ができました。
小町姐新春こと始めでした。
こちらこそ今年もどうぞよろしくお願いいたします。
早速に能見物ですか。さすが行動力抜群の小町姐さんです。洋楽クラッシックから日本の伝統芸能まで、どうぞドンドン幅を広げ都度鑑賞記をお聞かせください。