面白いところにかかって来ましたね。強烈個性の女流陣にタジタジしながら種々読み進めています。それぞれが血縁は勿論、同僚であったりライバルであったり友だちであったりと色々関係があるのですがどちらが年上で何才違いだったのかが分かると興味も増すかと思います。53番道綱母~65番相模まで年代的にどんな重なり具合なのかまとめてみました。生年不詳が多いので大胆に推測していますがおおよその所は間違ってないと思います。百人一首登場人物プラス道長・一条帝・定子・彰子のキーパーソンを生年順に並べ紫式部を標準として紫式部との年齢差を示しました。参考にしてください。
53番 道綱母 生年937 紫式部との年齢差+33
54番 高階貴子 947 +23
59番 赤染衛門 956 +14
55番 藤原公任 966 +4
62番 清少納言 966 +4
藤原道長 966 +4
57番 紫式部 970 0
中宮定子 977 -7
56番 和泉式部 978 -8
一条天皇 980 -10
中宮彰子 988 -18
61番 伊勢大輔 989 -19
63番 藤原道雅 992 -22
64番 藤原定頼 995 -25
65番 相模 998 -28
58番 大弐三位 999 -29
60番 小式部内侍 999 -29
これだけの人たちが同じ時代に生きていた。改めて凄い時代だと思います。
年齢の基準を紫式部にあてて推定していただいたのはわかりやすいです。
53番から60番の小式部内侍までの年齢の開きは約60年余。
ざっと眺めてみていろんな発見や疑問がわきました。
この中で百人一首に採られている人物が13人で、藤原公任 清少納言 藤原道長 の三人が同年齢と言うのを発見して面白いです。
紫式部、大弐三位母娘が57、58番で並んでいるのに対して和泉式部と小式部内侍母娘が56、60番と離れている。
そしてもう一つは清少納言が紫式部よりも早く創作しているのに順序が後になっていたりその並びは他の歌人にもみられる。
ここにも定家の何らかの意図があるような気がする。
例えば清少納言は6人の王朝女流歌人の代表としてトリを務める意味で敬意をはらったとか?
ここではさすがの男性歌人も影が薄く道長でさえも小さく見えてしまうのである。
並び順、きっと何らかの意味はあるのでしょうね。でも統一的ではない。56番和泉式部と57番紫式部は彰子サロンの同僚ライバル、57番紫式部と58番大弐三位は母娘、60番小式部内侍と61番伊勢大輔は同世代。ちょっとバラバラの感じですね。百人一首の謎解きが種々なされる所以でしょうか。
おっしゃる通り清少納言の位置は疑問ですね。トリと思えばいいのかもしれませんが9番バッターとはちょっとねぇ。でも55番公任に続く女性陣の手始めはやはり「あらざらむ」がいい。「夜をこめて」じゃ歌的に劣りますからねぇ。。。まあ色々考えさせられるのもいいじゃないですか。