続きです。
4日目 台風一過で快晴 在六少将さんの案内でレンタサイクルでの飛鳥巡りです。
→飛鳥、けっこう起伏もあり電動サイクルでよかった。レンタルショップのおじさんによると「電動は限られていて予約も受け付けてない、ラッキーでしたね」とのこと。
・起点は亀石営業所
・甘樫丘(標高約150M)飛鳥の里、藤原京を一望 大和三山&多武峰も
→飛鳥京はすぐ山が迫りいかにも狭い。藤原京は広大(発掘調査途上だが)。
→多武峰の威容がすごい。飛鳥人は多武峰を仰ぎ多武峰に護られてたのだろう。
・水落遺跡 天智が作った水時計(漏刻)跡。
・飛鳥寺 蘇我馬子建立 丈六の釈迦如来坐像
入鹿の首塚 & 中大兄と鎌足がであった蹴鞠の広場(槻の広場)
・板蓋宮跡 ここがクーデターの現場(乙巳の変)
→入鹿の首塚まで約500M 首塚まで首が飛んでも不思議ではない。
→日本の歴史が動いた場所。今はのどかな田園、ヒバリにモズ、ギンヤンマもいた。
・万葉文化館 飛鳥京の工房跡。「天上の虹」作品展をやっていた。
・犬養万葉記念館 休日でパス 昔の民家風建物だった。
・酒船石遺跡
・岡寺 上りかけたが自転車をおいて徒歩で行かねばならず断念。
・石舞台 馬子の墓、一番有名なところ。中に入って写真を撮ってもらった。
・橘寺 聖徳太子の生誕地 二面石 芙蓉がいっぱい。柑橘の伝来地とも。
・亀石、マラ石 至るところに謂れある石がいっぱい。
・高松塚古墳 壁画館 壁画の模写迫力あり。こんなの出てきたら吃驚したでしょうね。
・天武・持統天皇陵 「サラさん、安らかに」と念じて通り過ぎました。
レンタサイクルを返し車で多武峰山麓の聖林寺へ
・聖林寺 鎌足の長男定恵建立 十一面観音(フェノロサ激賞、在六少将さん推奨)
いやあいっぱい回りました。大化の改新(乙巳の変)の舞台に立てて感慨深かったです。飛鳥の里がこんなに狭い所とは思いませんでした。甘樫丘から多武峰を眺める景色は最高でした。
5日目 晴れ(帰り談山神社へ行く所で雨になった)
吉野へ 橿原から1時間もかからず着いた。
・吉野神宮 後醍醐天皇を祀る神社、明治創建 そうだ、南朝があったんだ。
→建武中興、南北朝、太平記のことは目下興味の外でありまして、、、。
シーズンオフ平日の朝10時誰もいない。どうしたものか迷っていると吉野山駐車場の土産物屋のおじさんが元ボランタリーガイド。車で奥千本まで行けるよって地図を書いて詳しく案内してくれた。おじさん、ありがとう!
・金峯山寺 蔵王堂 大仏殿に次ぐ日本第二の古建築 現在のは1592秀吉が造営。
→檜皮葺の大建造物、すごい迫力。金剛蔵王権現は公開日が過ぎてて見れず。
・吉水神社 日本最古の書院建築、見たかったが修理中で入れず。
・勝手神社 大海人が舞姫を見たところ(五節の舞のゆかり)静御前も舞を舞った。
→鳥居があるだけで通り過ぎた。
・吉野水分神社 上千本 秀吉が建立 狭いながらも風格があった。
・金峯神社 奥千本 ここまで来ると修行神社の趣
→ここから西行庵まで徒歩片道20分、眺めやるのみにとどめた。
下千本・中千本・上千本・奥千本とそれぞれの所での桜は見応えあるのでしょう。桜の花がなかったせいもあるが吉野山は杉だなとの印象でした。
下って(狭い生活道路、対向車がなくてよかった。勿論シーズン中は通行止め)
・宮滝(吉野宮跡) 吉野資料館で勉強
→この吉野宮に持統天皇は31回も行幸した。余程思い入れがあったのだろう。
→壬申の乱の出立地でもある。
柴橋から吉野川を眺める。巨石の渓谷が見事だった。
持統が通った道を通って多武峰山麓の談山神社へ、夕立来る。
・談山神社 中大兄と鎌足が入鹿を撃つべくクーデター計画を話し合ったとされる。
→神社縁起に蹴鞠の場面から語らいの場面斬殺の場面まで詳しく書かれていた。
→爺としても乙巳の変、現場を大体辿れて感慨深かった。
長くなりました。また続きにします。
本格的な中央集権国家となると、さすがに飛鳥では手狭になり藤原京建設が計画されたのでしょうね。現在の藤原京跡は茫洋として果てがしれません。大極殿跡近くの資料館にジオラマがあり、初めてその壮大さを知ることができます。元薬師寺など大寺院のロケーションもよくわかります。
飛鳥では、「槻の広場」の発掘が毎年続いています。今年も晩秋の頃、マスコミ発表あるでしょうから楽しみです。去年は壬申の乱時の屯舎跡かと注目されました。今年はさて何が出てくるか。
奥千本からの生活道路をよく車で下ってこられましたね。相当な傾斜でエンジンブレーキだけでは到底無理でブレークペダル踏みっぱなしだったのでは。
藤原京は天武・持統悲願の本格的都市(日本で最初に条坊制がしかれた)とのことですが期間は16年間(694-710)。続く平城京は74年間(710-784))ですから平城京跡の方が掘れば色々いっぱい出て来るのじゃないでしょうか。でも発掘作業もお金もかかるし大変なんでしょうね。
往きはバス道路で行ったのですがこれもくねくね道でけっこう大変でした。金峯神社の人に聞いたら「まっすぐ下りればいいよ」というのでゆっくり下りました。車だから奥まで行けたのですが上に立っても吉野山の山深さはもう一つ実感できなかったのかもしれません。