22番 山風に遊ぶ文屋康秀

さて22番目は山と渓をこよなく愛す我らが談話室仲間文屋多寡秀どののご先祖の登場です。どんな人物でどんな歌を詠まれたのでしょう。垣間見てみましょう。

22.吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

訳詩:    それが吹けばたちまち
       秋の草木もしおれてしまう
       なるほどそれで  
       吹きおろす山からの風を
       嵐というのか

作者:文屋康秀 生没年未詳(?-885?) 六歌仙
出典:古今集 秋下249
詞書:「是貞親王の家の歌合の歌

①天武天皇の孫が臣籍降下して文室(ふんや)姓を名乗りその傍系が文屋となった。文屋康秀は下級官吏で最高官位は正六位上、縫殿助を勤めた。
 →天武帝から150年も経つと子孫は埋没してしまう。その没落氏族の一つ。
 (百人一首前半50首中、大和朝廷に仕えた有力な古代氏族だが平安期になると没落してしまった氏族に属するのが18人いる。後半では藤原氏全盛になり殆どいなくなってしまう=「百人一首の作者たち」より)
 →小野・文屋・大江・菅原・凡河内・壬生・坂上・春道・紀・清原・曽禰・大中臣の十三氏

 歌は巧みだったのだろう。古今集に5首、後撰集に1首だが六歌仙の一人で古今集序で論評されている。

  文屋康秀は、言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人のよき衣きたらんがごとし
  →商人がいい物着ては悪いんでしょうか。商人蔑視、まあ身分万能の平安時代、仕方ないですかな。

②康秀が生きた時代は小野小町・在原業平・僧正遍昭の頃(遍昭とは同年齢との説も)、順番が22番というのはちょっとおかしい。13番くらいが妥当だろうに。

 9番歌小野小町の所で触れたが康秀と小町は交遊関係にあった。
 (三河への赴任時いっしょに来ませんかと誘ったが小町はやんわり断った)

 22番歌の詞書「是貞親王の家の歌合の歌」=行平の在民部卿家歌合に次いで古い歌合
 是貞親王は光孝帝の第二皇子。「歌合」は893年頃とされる。康秀は885年没とされており辻褄が合わない。そこでこの歌は康秀のものでなく息子の朝康のものだという説も有力。
 →是貞親王の歌合には故人の歌も登場した、、ということでいいのではないか(片桐洋一説)

 古今集8番に二条后(高子)に召されて詠んだ歌が載せられている。
 →高子にも買われていた。歌人としては名を馳せてたのであろう。

  二条のきさきの東宮の御息所ときこえける時、正月三日のおまへにめして、仰せ言あるあひだに、日はてりながら雪の頭にふりかかりけるをよませ給ひける(長い詞書である)
   春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき

③さて、22番歌。漢詩に字訓詩・離合詩という形式があるがそのやまと歌バージョン。
 言葉遊びであり、つまらない、、、とする意見も多いようだ。
 →確かにちょっと待ってくれという感じだが気楽な息抜きということでいいのではなかろうか。
 →爺はこういう言葉遊び・洒落・ユーモアが大好きです。22番歌、「むすめふさほせ」だし好きな人も多いんでしょうね。

  同種の歌(言葉遊び的)として挙げられている歌を2首
  雪ふれば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし 古今集 紀友則
  ことごとに悲しかりけりむべしこそ秋の心を愁といひけれ 千載集 藤原季通  
  
 「あらし」は「荒らし」で荒々しい風のこと。
 「颪」は国字だが「嵐」は中国からの漢字。意味は山を吹く風ということだったのか。それが転じて大和言葉として「荒らし=荒々しい風」を訓読みにしたのだろうか。

  「風」の歌は実に多い。百人一首に10首(12.22.32.37.48.58.71.79.94.98)
  「嵐」の歌は百人一首に3首(22.69.96)
  「颪」の歌は百人一首に1首(74)
   合計すると13首(22番がダブルので)が風関連の歌。
   →「雨」2首、「雪」4首、「霧」2首、「露」4首、「霜」3首、「霞」1首

④嵐もいいけど平安時代にあってはやはり「野分」という言葉の方がいいのでは。
 「野分」=野の草を分けて吹く暴風、台風
 野分は百人一首には出て来ない。なんででしょうねぇ。
 →「野分」は秋の季語だが「嵐」は季語ではない。これは重要ポイントかも。

 さて、「野分」と来ると源氏物語でしょう。

 ・桐壷8 野分の段、坪前栽の段とされてる所
  (桐壷更衣の死を桐壷帝が悼んでいるところ、宮城野は幼い光源氏)

  野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。

  宮城野の露吹きすさぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ 桐壷帝

 ・野分2 六条院に野分襲来、夕霧が憧れの義母紫の上を垣間見るシーン
  
  野分例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。。。
見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す

  →風の悪戯、、。見てはならないものを見てしまう。でも自制的な夕霧、この辺は夕霧ってまともな男じゃん、、、と思ったのものです。

 ・山に吹く荒々しい風、これはやはり宇治の山から吹き下ろす風のことであろう。
  晩秋、薫が宇治を訪れ姫たちを垣間見るシーン

   いと荒ましき風の競ひに、ほろほろと墜ち乱るる木の葉の露の散りかかるもいと冷やかに、ひとやりならずいたく濡れたまひぬ。

   山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな 薫

 →「荒らし=荒々しい風」、これは慎ましく生きるか弱い人々にとってはとてつもないインパクトをもたらす「非日常」なんでしょう。

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12 Responses to 22番 山風に遊ぶ文屋康秀

  1. 小町姐 のコメント:

    文屋康秀というと落語かなんかでが死んでから誰かの身を借りて、生き返ったというのを思い出しました。 
    詳しい内容は忘れましたが幽霊っぽいのが記憶に残っています。
    朝っぱらから幽霊の話ですみません。

    さてこの人、六歌仙の一人だそうですがおもしろい歌を詠んでくれましたね。
    古今集序の紀貫之の評は辛辣ですが言い得て妙かもしれません。
    でも「馬子にも衣装」って言葉もありますしね。
    おっしゃるとおり小野小町とも親交があったとすれば確かにこの順序はおかしいですね。
    そこから子息の朝康という説になるわけですね。

    この22番歌、小学生でも覚えてくれるのではないでしょうか。
    山と風で何と読む≒嵐。なぞなぞにも出来るし漢字の学習にも役立ちますね。
    ならば海と風で何と読ませましょう。?誰か考えてくれませんか。

    文屋姓は天武天皇の傍系になるのですか。
    「天上の虹」の系図を思い出しながら150年と言うとかなり経ちますね。
    結局は天智系になっているわけですね。
    百人一首で辿る歴史の流れは今まで考えてもみなかったことですが実に興味深いです。
    1番から100番が時代順になっている事さえ百々爺さんから聞くまで知らなかった私にとっては歴史を学び直す良い機会でもあります。

    なぞなぞ、言葉遊び面白い!!私も好きです。
    木と毎で梅  秋の心で愁、むべなるかなです。
    ではここで一つなぞなぞといきますか。
    嵐は山を去って軒のヘンにあり
    さて何と言う言葉ができるでしょうか?決してググらないでくださいね、簡単ですから。

    風、関連の歌、実に多いですね。やはり詠みやすいと言うことでしょうか。
    それにしても源氏物語の野分、改めてどの場面も印象深く残っています。
    いつも源氏物語と関連付けて下さるのでうれしいです。

      宮城野の露吹きすさぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ 

    桐壺帝の心情に切ない思いが甦ってきました。

    • 百々爺 のコメント:

      いつもながら談話室にふさわしく色々な話題を提供していただきありがたいです。

      1.文屋康秀は落語にも出て来ますか。それも幽霊で。後世の人もそれだけ親しみを持っていたということでしょうね。何せ六歌仙ですからね。

       改めて六歌仙のこと考えてみました。古近集序で取り上げられた六人(遍昭・業平・康秀・喜撰・小町・大伴黒主)のことですが、何でこの六人になったのか、、、。品評は何れもけっこう厳しいですしね。でも歌聖赤人・人麻呂に次ぐ優れた歌人ということで取り上げられたのは間違いないのでしょう。というのは六歌仙を評したあと古近集序は、

        このほかの人々、その名きこゆる、野辺に生ふるかづらのはひ広ごり、林にしげき木の葉のごとくに多かれど、歌とのみ思ひて、そのさま知らぬなるべし

       他の人は葉っぱですからね。まあ六歌仙は木の幹くらいには思われたのでしょうか。貫之の自信のほどを表しているのでしょうがちょっと不遜にも思えます。

      2.かるた札では一字決まりだし下句の「む」も2枚(22番と43番)だけ、取りやすいのでしょう。小6生は自分の右下に置いて一瞬で取っていました。

      3.「海風」何でしょうね。漁師とかヨットマンなら何かありそうですね。私にはハリケーンくらいしか思い浮かびません。なぞなぞの問題は車偏に風かと思い調べましたがそんな字ありませんでした。ググって分かりました。

      4.150年後天武の血を引いた人は何人いたのか。一世代30年として五世代。(男も女も)5人づつ子を成したとすると5の5乗ですから五代目だけで3125人。累計だと3905人にもなります。
       →5人づつの妥当性は疑問ですが、何れにせよtoo many to countでしょう。

      5.桐壷帝から贈られた歌(宮城野の)に対する母君(桐壷更衣の母)の返歌も母を失くした幼い源氏を哀れんだ切ないものでした。

        あらき風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞ静心なき  

      • 小町姐 のコメント:

        そうでしたね。母君のお歌も泣かせます。
        娘を亡くした悲しみ、そして孫の不憫を思いやる気持ち、切々と伝わります。
        こうやって関連する箇所を取り上げていただき有り難いです。
        源氏を忘れないためにもね。
          あらき風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞ静心なき  

        先日「徹子の部屋」で東儀秀樹の篳篥の演奏を聴きました
        日本の抒情歌(いわゆる童謡唱歌)を奏でました
        その素晴らしい音色に魅了されて急に邦楽が聴きたくなり昨日行ってきました。
        若手演奏家でしたが筝と尺八のコラボは案の定、素晴らしいものでした。
        有名な八橋検校の「六段の調べ」に始まり昔懐かしい日本人の心に訴える曲の数々、会場からはハミングが聴こえました。
        尺八で「石清水」も演奏されましたよ。
        有名な京の焼き菓子、「八橋」は検校からきているそうです。
        そう言えば八橋は筝の形をしていることに気付きました。

        遅がけの避暑に信州へ行ってきます。
        信州はすっかり秋めいているかもしれません。

        • 百々爺 のコメント:

          邦楽コンサートよかったですね。そうですね、京都の八橋の反り具合は筝の形かもしれません。源氏物語若菜下の女楽(女三の宮=琴の琴、紫の上=和琴、明石女御=筝の琴、明石の君=琵琶)の再現コンサートでもあればいいでしょうにね。

          信州、いいですね。秋をみつけてきてください。。

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    この歌

    吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ 

    古今集巻五 和歌下の巻頭にあり、対となる古今集 和歌上の冒頭は、

    秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
           藤原敏行(百人一首 十八番歌 作者)

    とのこと、ともに趣の異なる秋の風を詠い、良い組み合わせです。

    この藤原敏行の秋の歌は好きで、これに対する春の歌では

    久方の光のどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ
           紀友則(あとで出てくる三十三番歌)

    が小生には気に入っています。  

    ところで、「颪」なる字 見た記憶もなく読めませんです。
    七十四番歌をみると、「山おろし」なんですね。勉強になります。

    最後に、今回は文屋多寡秀さんのコメント特に楽しみにしています。

    • 百々爺 のコメント:

      22番歌は古今集 秋歌下の巻頭ですか。なるほど、巻頭の歌は意識して選ばれた歌ということなんでしょうね。上の巻頭が「秋来ぬと」これも素晴らしい歌ですね。

       古今集の春夏秋冬歌はそれぞれ季節の初め~終りと並べられたものなんでしょうか。古今集パラパラとめくり数字でまとめてみました。

       春上 68首
        巻頭 年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん(在原元方)

       春下 66首  (春は合計で134首)
        巻頭 春霞たなびく山のさくら花うつろはむとや色かはり行く(読人しらず)

       夏 34首
        巻頭 わがやどの池の富士なみさきにけり山郭公いつかきなかむ(読人しらず)

       秋上 80首
        巻頭 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)

       秋下 65首
        巻頭 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ(文屋康秀)

       冬 29首
        巻頭 竜田川錦おりかく神な月しぐれの雨をたてぬきにして(読人しらず)
        (そして次の歌が28番歌=山ざとは冬ぞさびしさ=源宗于)

       春134首 夏34首 秋145首 冬29首 合計 342首です。

      古今集が平安文化人の教養のイロハであったことに感じ入っています。  
       

  3. 百合局 のコメント:

    小野小町とセットにしないと盛り上がりません。
    以前、小町のところでも触れましたが、

    謡曲『関寺小町』に「侘びぬれば身をうきくさの根を絶えて誘う水あらば往なんとぞ思ふ。これは小町の歌候な」「これは大江の惟章が心変りせしほどに、世の中もの憂かりしに文屋の康秀が三河の守になりて下りし時、田舎にて心をも慰めよかしとわれを誘ひしほどに詠みし歌なり」とあります。
    小町と文屋康秀との歌人グループの心安さが感じられていい話だと思います。
    小町は天性の歌人、文屋康秀は職業歌人、どちらもいいですよね。
    歌合の場では機知を重んじた詠みぶりも大切で、それによって読み手も鍛えられることが多かったように思います。

    • 百々爺 のコメント:

      そうですか、康秀は小町とセットで考えるべきですか、なるほど。
      小町の9番歌の所復習してみました。

      古今集雑歌下938

       文屋のやすひでが三河の掾になりて「あがたみにはえいでたたじや」と、いひやれりける返事によめる
       (小野小町)
         わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ

       大江の惟章が心変わり=小町がこの人に振られて寂しがってる時だったと言うのですね。それで康秀は三河でいっしょに暮らそうと誘った。なるほど、でもそれにしては誘いの歌がないですね。「あがたみにはえいでたたじや」だけではつまらない。

       ここは自分を山風に小町を草木に例え22番歌そのものを贈った方がよかったのじゃないでしょうか。

       吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

       →「なびく女」、可愛いじゃないですか。

  4. 文屋多寡秀 のコメント:

    そうでした。ブログは週2回ペースでしたね。
    のんびり構えていられませんね。我が先祖の出番に欠場では一生浮かばれませんよね。

    さ~て、本日は「じいじい蝉」(逗留中の孫娘)が外出とのことで、「シメシメ」とほくそ笑んでおりましたら、すっかり失念しておりました地域の部会がありましてこれまた筆止め。帰宅すれば既に高校野球は決着が付いておりました。東海大相模、優勝おめでとう。

    嵐を呼ぶような試合内容は、やはり文屋旋風でしょうか。山に風で嵐、下に吹く風は颪。何とも単純明快。これが歌になるんですから「軽い軽い」なんて思ったら大間違い。技巧の限りを尽くしておりますな。文屋康秀、なかなかのテクニシャンとお見受けしました。

    六歌仙のひとりなんだからそれなりの評価はされていたと思われますが、「作歌技巧のすぐれた歌人」としての評価でしょうか。

    歌の評価は皆さんにお任せし、六歌仙についてのエピソードを紹介しましょう。

    狂歌で名高い蜀山人。歌を詠むように殿様に命じられ、白紙に「四」と書き
    「お題をいただきとうございます」。
    御殿様は
    「六歌仙」と題を与えた。
    蜀山人、少しも騒がず
     ”四歌仙小用に立ったそのあとで小町業平なにかひそひそ

    狂歌ついでにもう一つ
     ”喰うからに汗のお袖のしをるればむべ豆粥をあつしといふらむ

    お後がよろしいようで。

    • 百々爺 のコメント:

      そうですよ、ご先祖様の登場に出て来られないとバチが当たりますよ。

      1.週2回、初めは楽チンかと思ってたのですがけっこう忙しいです。週3回だと多分パンクでしょう。週1回だと間延びしますしねぇ。月・木は百人一首と銘じておいてください。

      2.「じいじい蝉」いいですねぇ。振り払っても振り払ってもまとわりついてくる。多寡秀どののやに下がった顔が目に浮かびます。

       えっ、折角の「じいじい蝉」の留守なのにあの世紀の一戦を見逃した?!それは勿体ない(まさか代りにドームの第3戦終りまで見てたのじゃないでしょうね)。

       →甲子園ベストゲームの10傑には入る試合でしょう。
        (松坂対PL・明徳、斉藤祐樹対田中将大に匹敵するでしょう)
        あそこまで来たら仙台に勝たせたかった。

      3.六歌仙の狂歌、面白いですね。

         四歌仙小用に立ったそのあとで小町業平なにかひそひそ
         →これは小町と業平がいちゃつきながらデートの約束でもしているという意味でしょうか。

         それならこんなのも成り立つのじゃないでしょうか

         四歌仙小用に立ったそのあとで康秀業平恋の鞘当て

  5. 枇杷の実 のコメント:

    「嵐」という言葉の成り立ちを歌にしただけなので、覚えやすいが、深い意味はないと云われている。単なる言葉遊びだけではなく、山風の凄さが、草木をからし、晩秋から厳しい冬の到来へと、世の景色の移ろいを感じさせるものがある。
    山風をあらしと人の言ふなへにあたる草木のしほれぬはなし」(忠岑集)
    文屋の歌を逆さにした様でおもしろい。
    壬生忠岑(30番)も康秀同様、役所の身分はそこそこのでも、実力の歌人である。

    犬百人一首にある狂歌に
    売るからに草双紙でも安ければむべ買う人のうれしというらむ(本屋安売)

    • 百々爺 のコメント:

      萎れる=草木などが生気を失ってしぼむ。考えてみれば嵐(台風・暴風雨)が来たってそれで山の草木がすぐに萎れてしまうなんてことはないですよね。嵐の最中は倒されているものの嵐が過ぎればまた立ち直るのが普通でしょうに。ただ季節的には嵐が来るのは秋もたけなわになってからで、すぐに冬になる、そうすると色が変わって枯れてしまう、、、、そういう全体的な意味があるのかもしれません。
       
      (今28番歌「山里は」の所を予習中で山里の秋と冬の草木のことを考えているところなんで、、、)

      それにしても22番歌、派生歌もいっぱいあるし、狂歌でご紹介いただいたような「○○は☓☓だから△△だ」という形のテキストでもありますよね。

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