今年の夏は異常とも思えるほど暑苦しかったですね。いかがお過ごしでしたでしょうか。
長らくお休みをいただきました。談話室再開します。いきなり全開は無理かもしれません。徐々にペースを上げれればと思っています。平仄が合ってない所などご容赦ください。
【お盆が過ぎバーレーン一家は帰国しましたが帰るはずの新生児一家が母親が風邪をひいてしまいまだ残っています。育爺業もちょっと延長戦です。でもこれも二三日、余韻を楽しむ時間かもしれません】
【本文は「百人一首 全訳注」(有吉保 講談社学術文庫)による】
21.今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
【訳詩は「百人一首」(大岡信 講談社文庫)より転載】
訳詩: 近くまたと あんな文を下さったばかりに
あわれこの秋の夜長を
まんじりともせずあなたを待ちわび
夜ふけて出る有明の月を
ひとり待ち ひとり眺めたことでした
作者:素性法師(俗名 良岑玄利) 生没年未詳(844?-910?) 12番僧正遍昭の子
三十六歌仙 能書家
出典:古今集 恋四691
詞書:「題しらず」
①俗名 良岑玄利(はるとし)僧正遍昭(816-890)29才の時の子。遍昭は39才で出家している。この時玄利は7才。父は出家(家出みたいなものか)、母に育てられ成人し清和帝に仕える。ある日父に会いにいくと遍昭は玄利を出家させてしまう。
「法師の子は法師たるぞよきとて法師になしてけり」
(大和物語第165段は遍昭の物語、その中に小野小町や素性のことが出てくる)
→どうも強引な感じ。子には子の道があろうと思うのだが。
→遍昭は法師としての居心地がよかったので子にもその方が得だと思ったのだろうか。
→何となく俳優の子は俳優にという現代にも通じるような気がする。
②和歌も能くする前途有望な官吏(左近将監督)だった玄利、僧侶(素性法師)としては父の雲林院を継ぎここで歌会なども催している。その後大和石上の良因院で住職を勤める。住職業の傍ら父遍昭が光孝天皇の近くに仕えたと同様素性は宇多天皇に重用され菅原道真、大江千里、藤原敏行らと寛平歌壇の重鎮であった。
→親子二代よく似た立場(宮廷に近い僧侶歌人)で活躍。DNAのなせるわざか。
宇多上皇が吉野の宮滝に行幸したとき素性も召されて同道、歌を詠んでいる。この行幸には道真も随行し途中で24番歌(このたびは)を詠んでいる。素性・道真は同僚、昵懇の間柄であった。
→宇多帝寛平の治、聖代を生きた文化人であった。
③素性法師の女性関係について
遍昭は妻帯後(妻は何人もいた)出家しているが、素性は独身で出家している(させられている)。これはひどいのではないか。妻を持ったことない男(恋に縁のない僧侶)に恋の歌など詠めるはずがないではないか、、、と思ったのですが。。。
「心にもあらでなりたりければ、親に似ず、京にも通ひてなむし歩きける」(大和物語)
→僧侶の身でありながら遊びまくり「延喜の遊徒」と呼ばれたとも(目崎徳衛)。
→この辺も父の自由な生き方に似ているか。まあ洒脱な人柄だったのでしょう。
④さて21番歌
素性が女性の身になって、行くと約束しながら来ない男を恨む歌を詠んだもの。
「待つ」について「月来説」(定家)と「一夜説」(現在の通説)がある。
→「今晩もそうだがずっと長い間待ってます」と両方にとったらいいのではないか。
→僧侶が女性の身になって恋の歌を詠む、、、どうも好きになれません。
(父も舞姫を詠んで「スケベ坊主」と言われていましたっけ)
「今来むといひしばかりに」
父遍昭の古今和歌集の歌、これが本歌だろうか。
今こむといひて別れし朝より思ひくらしの音をのみぞなく
→「今すぐ行くから、、、」男の言うことはあてにならない。
→遊郭での遊女のかけ持ちもそんな調子だったらしい。そうなると「待つ男」、、、これも哀れですねぇ。
「有明の月」16日以降明け方になっても空に残っている月
20日の月の出時刻は午後10時過ぎ、まだ宵の口である。これを待つというのは明け方の歌ではなさそう。
→「一夜説」より「月来説」の方がいいのかもしれない。
「有明の月」百人一首では他に3首あり。夜明けに残った月、、感慨深かったのであろう。
30番歌 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
31番歌 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
81番歌 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
「有明の月」
源氏物語 帚木15 源氏が中川紀伊守邸で空蝉と契った後朝のところ
月は有明にて光をさまれるものから、かげさやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。
これを芭蕉は奥の細道の旅立ちのところでそっくりいただいている。
弥生も末の七日、明けぼのの空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。
⑤素性法師の他の有名歌
素性は古今集に36首採られている。第4位、古今集撰者以外ではナンバーワン。
一番有名なのは、
花ざかりに京を見やりてよめる
見わたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける
→但し定家は八代抄にこの歌を採っていない。「今来むと」を代表歌と見ていたらしい。
あらたまの年たちかへるあしたより待たるるものは鶯のこゑ(拾遺集)
これを引いて源氏物語初音の帖は始まる。
年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさには、、、、
他にも春の山辺に桜を愛で興ずる歌が多い。法師という衣をまとった自由奔放な俗人(悪い意味ではなく)だったと言えようか。