古今集編纂者近辺の歌人が続きます。坂上是則、あまり有名じゃないですね。祖先坂上田村麻呂と歌に詠まれた吉野を中心に考えてみたいと思います。
【本文は「百人一首 全訳注」(有吉保 講談社学術文庫)による】
31.朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
【訳詩は「百人一首」(大岡信 講談社文庫)より転載】
訳詩: 京をはるか離れてきて
吉野の里に旅寝する明けがた
あたり一面白みわたる気配
有明月が光を落しているのだろうか
窓をあければ ああ うっすらと一面に雪
作者:坂上是則 生没年未詳(~930没?)坂上田村麻呂の子孫 五位
出典:古今集 冬332
詞書:「大和国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる」
①坂上是則 田村麻呂の子孫だが是則自身は文官で御書所といった文書畑の官人であったようだ。寛平后宮歌合・宇多院大堰川御幸など有名イベントに登場。
古今集7首 勅撰集39首入集 三十六歌仙 古今集撰者に次ぐ位置づけの歌人。
定方・兼輔・貫之らとも個人的な交遊はあまりないにせよ歌合などではなじみだった。
②祖先坂上田村麻呂755-811 54才
蝦夷(えみし)=大和朝廷以降の中央政権の勢力が及ばなかった地方に住む人々
7世紀半ばでは新潟以北だったが大和朝廷が段々と北へ平定を進めて行った。
→新潟の蝦夷が北へ逃げて行ったのではなく平定されて大和朝廷に属する地方になったということ。
724 多賀城(仙台北)設置
→東北平定の拠点 軍事的施設+都市であった。
この間も各地で蝦夷の反乱が相次ぐ
797 坂上田村麻呂征夷大将軍に任命さる
~802 蝦夷平定(アテルイ降伏)
802 胆沢上(平泉北)設置
→これで岩手~青森まで概ね治まったということか。
・征夷大将軍は蝦夷征討のトップで天皇が任命、8世紀半ばから制度化され田村麻呂の平定で有名になった。鎌倉幕府(源頼朝)以降武家の頭領が征夷大将軍を名乗る。
→朝廷の意を踏まえ朝敵を討つ軍事組織のトップの意味合いか。
・芭蕉は奥の細道で多賀城壺の碑(田村麻呂が蝦夷を征伐した時弓を掛けたところ)を訪問している(1689.6.24)。
、、、、むかしよりよみ置ける歌枕おほく語傳ふといへども。山崩れ川流れて道あらたまり、石は埋れて土にかくれ、木は老いて若木にかはれば、時移り代変じて、其の跡たしかならぬ事のみを、ここに至りて疑ひなき千載の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落つるばかり也。
→千年も前から先人が苦労して築き上げてきた拠点を前に芭蕉の感慨がほとばしる一章である。
京の皇族貴族から見て蝦夷地は如何に遠かったことだろう。田村麻呂ら武人のお蔭で王朝は版図を広げ政権を維持していけたのである。東北地方はこの後出羽国の蝦夷の反乱(878)などはあったが概ね平穏で11世紀後半の前九年の役・後三年の役を経て12世紀に平泉で藤原三代の華が咲くことになる。
③次に吉野について
・百人一首では31番歌と94番歌の2首
31番歌 冬 雪 吉野の里=離宮のあった宮滝付近であろうか。
94番歌 秋 風 吉野の山=山深く入った隠れ里のイメージ
・吉野は天武帝が壬申の乱に向け挙兵したところ。持統帝はその昔を懐かしみ33回も吉野に行幸している。
よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見つ(天武帝)
・天武帝が天女の舞(12番歌)を見たというのが中千本にある勝手神社。ここで静御前が捕えられて舞を演じたとの伝あり。
・他に吉野ゆかりの人としては義経・西行・後醍醐天皇・秀吉
→大和~奈良朝の人たちにとっては吉野は身近な山里だったろうが平安京からは遠い。平安人には想像と憧れの歌枕だったのだろうか。
④31番歌について
・「大和国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる」
是則は大和国勤務を経験している。赴任地を詠んだ歌である。
是則の吉野の山の歌 古今集 冬
み吉野の山の白雪つもるらしふるさとさむくなりまさるなり
→94番歌の本歌。定家は余程是則の吉野の歌がお気に入りだったのだろう。
・「あさぼらけ」=朝がほんのりと明けてくる頃
64番歌も「あさぼらけ」から始まる。所謂大山札(山を張って取れ)である。
古今集で「あさぼらけ」から始まる歌はこれだけ。序でに言うと古今集冬の歌は23首だが月が出てくるのはこの1首のみ。
・春の淡雪か冬の深雪か。
→冬の歌だが春の桜をもイメージした淡雪でいいのではないでしょうか。
深雪を詠んだ歌
み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人のおとづれもせぬ 壬生忠岑 古今集冬
⑤源氏物語との関連
源氏物語の舞台としては大和は初瀬・長谷寺は重要地でしばしば出て来るが吉野は登場しない。紫式部や光源氏にとっては吉野は歌枕ではあるもののあまり具体的なイメージはなかったのかもしれない。
・吉野山の雪が引用されているのは薄雲5.大堰の子別れの場面
冬、雪の朝源氏は明石の姫君を引き取り二条院に連れ帰る。姫君と引き離される明石の君の切なさ。ここでの寂しげなる冬の情景描写は源氏物語中でも象徴的表現の代表とされる。
→この冬の象徴的場面から明石の君は「冬の方」と呼ばれる。
雪ふかみみ山の道は晴れずともなほふみかよへあと絶えずして 明石の君
雪間なき吉野の山をたづねても心のかよふあと絶えめやは 乳母=宣旨の娘
→吉野の山は雪の象徴であった。
・吉野の桜(山桜)は引用されてないようだ。
脱線ばかりになりました。東北地方の蝦夷に想いを馳せた一段とご理解ください。