81番に入りました。後、五分の一、20首です。
後徳大寺実定、時代はぐっと下って平家台頭の時代に生きた藤原貴族です。順番的には80番台後半が定位置だと思うのですが何故か早めに登場してます。平氏の台頭~源平の争乱をバックに実定について考えていきましょう。
【本文は「百人一首 全訳注」(有吉保 講談社学術文庫)による】
81.ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
【訳詩は「百人一首」(大岡信 講談社文庫)より転載】
訳詩: 待ち明かしたほととぎす
一声鳴いて あとはほのか
空をさぐれば
あの声の あれは残夢か
ただひとつ 有明の月ほのか
作者:後徳大寺左大臣(藤原実定)1139-1191 53才 俊成の甥 定家の従兄弟
出典:千載集 夏161
詞書:「暁に郭公を聞くといへる心をよみ侍りける」
①藤原実定 1139-1191 53才
25藤原定方、51藤原実方、そして81藤原実定。。。ヤヤコシイ。
・後徳大寺の左大臣(従二位)と呼ばれる。
閑院流。始祖は兼家の弟公季。右大臣として甥道長を支える。
時代が下って閑院流は天皇の外戚を占める主要な家流となっていく。
白河帝生母茂子は3代公成の娘
鳥羽帝生母苡子は4代実季の娘
崇徳帝・後白河帝生母璋子は5代公実の娘
・実定の祖父徳大寺実能は璋子の兄(璋子は実定の大叔母)
実定の父は公能(二位右大臣、多芸多才、勅撰歌人(32首)、西行らとも交遊)
実定の母は藤原俊忠の娘(俊成の妹)、従って実定と定家とは従兄弟(定家が23才年下)
→徳大寺家(実能が始祖)は当時歌人の有力パトロンであった。
さらに、
実定の同母姉忻子は後白河帝の中宮に。
同母妹多子は近衛&二条両帝の皇后となり二代の后と呼ばれる。
→平家なんぞが出て来なければ徳大寺家、実定は政権の中枢に行けてたのではないか。
・実定の一生を辿るには平氏の台頭~源平の争乱の年表が必要
1118 平清盛・西行誕生
1139 後徳大寺実定誕生
1156 保元の乱
1159 平治の乱
1160 清盛 参議三位
1167 清盛 従一位太政大臣(平氏政権成立)
(実定は二位まで上がったが1165-1177失職 作歌で身を慰める)
(1177実定、復職、大納言左近衛大将に)
(その後実定は源平の間を泳ぐように右大臣左大臣などを歴任)
1178 清盛娘徳子(高倉帝中宮)安徳帝を生む。
→平家絶頂へ。清盛が「この世をばわが世とぞ」思った時代。
1180 福原遷都 源頼政、以仁王を擁し挙兵、源頼朝挙兵
→のろしが上がり始める。
1181 清盛熱病で死去
1183 木曾義仲、京制圧
1184 源義経、京制圧
1185 義経、壇の浦で平氏を滅亡させる
1190 義経追討、頼朝上洛 1191実定死去@53才
1192 後白河院崩御、頼朝鎌倉幕府を開く
→保元の乱以降武士の世になっていったことが如実に分かる。
→平氏の台頭に誇り高い藤原公家はどう身を処したのか。
→あっちへ行ったりこっちに戻ったり。バランス感覚が必要。でも官位役職は離さない。
②歌人としての後徳大寺実定
・詩歌・管弦に秀ず。教養深き文化人。蔵書家としても名高い。
千載集以下勅撰集に78首。私家集「林下集」多くの歌合、歌会に参加
→作歌活動は専ら1167-1177の浪人時代だった。その後は力が入っていない。
・平家物語に何度も登場する。
1 巻二 徳大寺の沙汰 けっこう長い。
実定は平宗盛に右大将の官職を越えられて籠居、平氏に抵抗するのが能でないと悟った実定は平氏(清盛)に迎合すべく厳島神社に参詣。それを知った清盛により左大将に任じられる。
→虚構かもしれないがまあ、長いものには巻かれろと考えたのだろう。
2 巻五 月見
福原に都が移った中秋、実定は京に残った妹多子(二代の后)を慰める。
実定が訪ねた時大宮(多子)は月を愛で琵琶を弾いている。
宇治十帖(橋姫)が引用されている。
源氏の宇治の巻には、うばそくの宮の御娘、秋のなごりを惜しみ、琵琶そしらべて夜もすがら、心をすまし給ひしに、在明の月いでけるを、猶たへずやおぼしけん、撥にてまねき給ひけんも、いまこそ思ひ知られけれ。
3 灌頂の巻 大原御幸~六道之沙汰~女院死去
後白河院が大原に建礼門院徳子(清盛の娘、高倉帝中宮、安徳帝生母)を訪ねる。
これに徳大寺実定も随行。白河院と建礼門院との昔話は涙を誘う。
最後に実定と徳子は歌を交し合う。
実定 いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなき深山辺の里
徳子 いざさらばなみだくらべん時鳥われもうき世にねをのみぞ鳴く
→何と「ほととぎす」である。
・実定の歌
晩霞といふことをよめる
なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふ沖つ白波(新古今集)
→視覚的映像性の富んだ感覚的・印象的な叙景歌にすぐれていた(有吉)
→実定さん、「ながむれば」がお好きだったようである。
③81番歌 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
・歌意は平明。ありきたり、陳腐にも思えるが結構評価は高い。上は聴覚、下は視覚。
ホトトギスを詠んだ歌の中で最高(宗祇)
・ホトトギス、鳥の中で一番。万葉集に156回。
春を告げる鳥=ウグイス(ウグイスの初音)
夏を告げる鳥=ホトトギス(ホトトギスの初音)
秋を告げる鳥、、、モズだと思うのだがどうだろう。
・初夏、ほととぎすの初鳴きを夜を徹して聞く。これがもてはやされた。
枕草子第39段 鳥は(講談社文庫版)
郭公は、なほさらに言ふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花・花橘などに宿りをしてはたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨の短き夜に寝覚めをして、いかで人よりさきに聞かんと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せんかたなし。
→何とも風流と言おうかマニアックと言おうか。
→ただ一声、一瞬の勝負、うたた寝もダメ、酔払っててもダメ、いちゃついててもダメ。
→レコーダーもないしもめることもあったのかも。
「おっ、鳴いた、聞いたろう?」「いや聞いてない」「えっ、ウソだろう!」
・派生歌 類想歌
郭公なくひと声のしののめに月のゆくへもあかぬ空かな(定家)
有明の月だにあれやほととぎすただひと声に明くるしののめ(藤原頼通
後拾遺集)
・「涙を抱いた渡り鳥」水前寺清子 作詞 星野哲郎
ひと声鳴いては 旅から旅へ くろうみやまの ほととぎす
今日は淡路か 明日は佐渡か 遠い都の 恋しさに
濡らすたもとの はずかしさ いいさ 涙を抱いた渡り鳥
④源氏物語との関連
・ホトトギスと花橘は必ずペアーで登場する初夏の風物詩
花橘の香りは昔の人を思い出させる。ホトトギスは冥土と現世を往来する
・幻10 五月雨の頃、夕霧と最愛の故人紫の上を偲ぶ
源氏 なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす
夕霧 ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと
・花散里3 須磨に行く前に花散里(源氏が夕霧や玉鬘の母と恃んだ家庭的な女君)を訪ねる
源氏 橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ
→花散里、六条院夏の町に迎えられ共寝はしないが癒し系の女君として源氏が頼りにした女君でした。